第31話 道標より先に台車を助けることになった
台車の男は矢印板から手を離した。さっきまで板を握っていた指を上着で拭い、何もしていなかったような顔で俺を見る。
「誤解だ」
「何がですか?」
「出口の向きがおかしいだろ。直そうとしてただけだ」
ミレアは傾いた柱と男の顔を見比べた。俺の手にはセオから預かった点検票がある。二か所の道標とも出口とは反対を指していて、根元の傷まで記録したところだ。
「管理所から標柱には触るなと言われています。直すのも禁止です」
「……そうかよ」
「今触っていたことは報告します」
「待て」
「そこは二人とも見ました。間違っていませんよね?」
男はしばらく黙ったあと小さく頷いた。まだ道標は奥を指したままだ。
「お前がやったのか!」
壁際に座っていた冒険者が怒鳴った。膝を痛めたせいで立てないはずなのに、柱へ手を伸ばして腰を浮かせる。
「俺たちはあれを見て奥へ行ったんだぞ!」
「座ってて。膝を悪くするよ」
ミレアが男の前へ回った。怒鳴られた台車の男も身構えたが手は上げない。俺まで騒げば救援が来る前に怪我人が増えそうだった。
「触ったのは認めましたね。前にも動かしたんですか?」
「知らん」
男はそう言って台車の麻布を直した。布の下にはさっき見た青みがかった石が積まれている。俺の目がそちらへ向いたことに気づいたのか男が口を開いた。
「西の奥に石の出る場所がある。浅いところにまとまってて質もいい。俺が先に見つけたんだ」
「ほかの人に採られたくなかった?」
「採掘場所なんて早い者勝ちだろ」
「管理所に許可は取ったんですか?」
「採って運ぶくらい、ほかの連中もやってる」
「道標を変えるのも?」
今度は返事がなかった。男は奥を向いた矢印を一度だけ見た。
「別に通路を塞いだわけじゃない。地図を見れば帰れるだろ。札だけ信じるから――」
「俺たちが悪いって言うのか!」
負傷した冒険者が再び立とうとした。ミレアが肩を押さえて止める。
「道を隠したい気持ちは少し分かります。俺だって稼げる採集場所なら秘密にしたいですし」
男がこちらを見た。話が通じたと思ったらしい。
「だったら――」
「でも出口の札を変えたら、知らずに来た人が怪我をします。この人もそうです」
手元の点検票を示す。採掘の許可や石の持ち主を決めるのは俺の仕事じゃない。道標の異常と目撃したことを書いて持ち帰る。それが今日の依頼だ。
「正義の味方のつもりかよ」
「依頼を終わらせたいだけです。騒ぎになれば帰るのが遅くなるので」
男は舌打ちした。それ以上何も言わず台車に手を掛ける。
*
「待って。奥から二人来る」
ミレアの耳が動いた。俺にも足音が聞こえ始め、若い冒険者が二人現れた。どちらも道標を見上げている。
「出口はこの先で合ってますか?」
「逆です。今は点検中なので青札二番へ戻ってください」
「でも『出口』って……」
「地図見せて」
ミレアは二人の地図を受け取って正しい道を指した。二人は顔を見合わせて進んできた方向へ戻ろうとする。
「そこまで案内する。セオとも途中で会うかもしれないし」
セオは負傷者の救援を呼ぶため管理所へ向かっている。ミレアまで離れたら俺一人になるが、目の前の男はまだ歩けないし、道標の前にも誰か残った方がいい。
「じゃあ頼む。セオに会ったら男が道標に触っていたことも先に伝えてくれ」
「あんたはここで待ってて。変なことしないでよ」
「俺がするわけないだろ」
「宝箱を探しに行くのもなし」
「……行かないって」
ミレアは二人を連れて去った。台車の男が出口側へ車輪を向ける。
「俺も帰るぞ」
「どうぞ。止める権限はありませんから」
「逃がすのか?」
負傷した冒険者が低い声で言った。
「目撃したことは管理所へ伝えます。俺が勝手に捕まえるわけにはいきません」
台車が動きだした。かたん、かたんと片輪が鳴る。数歩進んだところでひときわ大きな音がした。
がこん。
車輪が石床の溝にはまっていた。男は台車を真上へ引き上げようとするがびくともしない。負傷した冒険者が鼻で笑う。
「ざまあみろ」
男は睨み返した。俺は荷台と石床を見た。通路の真ん中で台車が止まると、救援の担架が通れなくなる。
「石を少し下ろした方がいいですよ。後ろへ引いてから斜めに動かしましょう」
「……助けるつもりか?」
「救援が通れなくなると困るんです」
青い石の袋を二つ下ろす。左腕に負担をかけないよう一袋ずつ男に渡し、男が荷を軽くした台車を持ち上げる。俺は車輪の向きを確かめて右側から枠を押した。
「真上だと溝に引っかかります。少し戻して」
「分かってる!」
「さっきは上に引っ張ってたでしょう」
「……うるさい」
車輪が溝から抜けた。男は袋を積み直して荷台の麻布を掛ける。すれ違いざまにこちらを見た。
「石の場所は教えねえぞ」
「まだ聞いてませんよ」
「聞きたい顔してる」
「それは聞きたいです」
男が初めて笑った。
「教えねえよ」
「ですよね」
台車はかたんと鳴りながら出口へ消えていった。せっかくの青い石は一欠片も手に入らなかったが、救援の邪魔になる物はなくなった。
*
セオが戻ったのは少ししてからだった。肩には交換した肩紐の救護鞄があり、来た道を気にしている。
「管理所へ連絡しました。職員が担架を持って来ます」
「ミレアは?」
「青札二番で待っています。案内した二人も無事に戻りました」
セオは膝を痛めた冒険者をもう一度診た。無理に歩かせない方がいいと判断し、壁際で待ってもらう。俺は台車の男が道標に触っていたことを話した。
「止めなかったんですか?」
「拘束する権限はないだろ。それに目撃したことを報告すれば調べてもらえる」
「それでいいと思います。まずこの人を無事に帰しましょう」
待っている間にも一人の冒険者が奥へ進もうとした。俺は逆向きの道標を指して進む方向を訂正する。誰かが来るたびに同じ説明をするのはさすがに面倒だ。
地図を開いたついでに壁のくぼみや床の継ぎ目も目に入ったので、点検票の余白へ書き込んでおいた。後で自分用の地図へ移せばいい。
やがてグレンと職員二人が現れた。担架を下ろすとセオが傷の状態と応急処置を伝える。職員たちが負傷者を運ぶ準備をしている間にグレンは二つ目の道標を確かめた。
「触ってはいないな?」
「はい。逆向きのままです。男が矢印に触っていたところは二人で見ました」
グレンは持参した仮設札を正しい向きに設置した。『出口→』と書かれた札が今までの矢印とは別に立つ。
「正式な交換はあとだ。今日はこれで通す」
「台車の男は?」
「入口側で話を聞いている。判断は記録を確認してからだ」
俺たちも担架の後ろにつき管理所へ戻った。入口近くの別室に男がいるらしい。青い石の袋が床に並んでいた。
「石はどうなるんです?」
「お前のものにはならん」
「そこまでは聞いてないですよ」
「顔に出てる」
グレンまで同じことを言う。まったく最近の大人は表情を読みすぎだ。
依頼は達成となったが追加報酬はなかった。セオは包帯と洗浄薬の使用分を帳面から確かめ、現場処置として別途確認に出した。グレンは記録の細かさを評価していたものの、金額の決定はまだらしい。
「点検票を見せてくれ」
俺が差し出すとグレンは一枚目と二枚目を順に確認し、裏返したところで眉を寄せた。
「トウマ、情報が多すぎる」
「詳しい方がいいと思って」
「異常箇所が埋もれてる」
見ると余白へ書いた小さなメモが残っていた。
『壁のくぼみ 宝箱候補』
『床の継ぎ目 隠し通路候補』
『青い石 値段を聞く』
「これ何?」
ミレアが俺の肩越しにのぞき込む。
「現場で気になった場所」
「点検票だよね?」
「あとで役に立つかもしれないだろ」
「消す」
「待って! 自分の地図に移すから!」
グレンが無言で別の紙を差し出した。セオは帳面を閉じる。
「その紙は個人の支出にしてください」
「紙一枚くらい……」
「道標の点検費用には入れません」
俺は新しい紙に『第一層西回廊 宝箱候補』と書き始めた。道標の仕事はもう終わったはずなのに、今度は自分用の地図を清書する羽目になっていた。




