第30話 出口の矢印は帰り道を教えてくれない
迷宮管理所の職員グレンは地図に二つの丸を付けた。どちらも第一層の西側だ。一つは青札二番から分かれる道にある。もう一つは西回廊から戻る分岐だ。
「『出口』の矢印がおかしいと報告が来ている。道標の位置と向きを調べてくれ」
「壊れてるんですか?」
「分からん。だから調べる。標柱を動かすな。直そうともするな。見たまま書いて戻ってこい」
グレンは点検票と木炭筆を机に置いた。依頼は道標を二つ確認するだけ。魔物を倒す必要も重い素材を運ぶ必要もない。これなら迷宮へ行って帰るだけで報酬がもらえる。
「写真みたいに記録できる魔道具はありませんか?」
「ある。お前たちへ貸す予算はない」
「便利なのに」
「紙と筆の方が安い。絵で描け」
正論だった。魔道具を壊して弁償することを考えれば俺も紙の方がいい。グレンは迷宮への入場記録を確かめ、点検する区画をもう一度指した。
「ほかの通路まで調べなくていい。異常を見つけたら場所を残せ。危険なら先へ行くな」
「分かりました。地図と照らし合わせます」
「ならいい」
ミレアが先頭で周囲を警戒し、俺は地図と道標の位置を確かめる。セオが点検票を担当することになった。俺は記録係もやりたかったが、見取り図を描く役目なら残っていた。
「俺も記録は得意だぞ」
「あなたは途中で宝箱の場所まで書き込みそうなので」
「仕事の地図と宝箱の地図は分けるって」
「両方描くつもりだったんですね」
*
青札二番までは前にも通った道だ。西側の分岐へ入ると石床の色が少し変わった。奥から冷たい風が吹いてくる。壁の魔道灯と地図の曲がり角を照らし合わせて進む。
一つ目の道標はすぐ見つかった。石の柱に木の矢印板が取り付けられている。板には『出口』と彫られている。なのに矢印は西の奥を向いていた。
「地図だと逆だね。来た道へ戻るのが出口でしょ?」
「柱の場所は合ってる。向きだけおかしい」
セオが柱の根元へしゃがんだ。石床に触れずに傷を確かめて木炭筆を取り出す。
「ここに白い擦れ跡があります。周りの石より新しく見えますね」
「柱を回したのか?」
「それはまだ分かりません。近づいて確かめますが動かさないでください」
「まだ触ってないって」
「今にも触りそうだったので」
俺は両手を上げた。ここで道標を回せば矢印は正しくなるかもしれない。でも点検依頼は直す仕事じゃない。何が起きているのか分からなくなる方が困る。
セオは位置と矢印の向き、それに根元の擦れ跡を点検票へ記録した。俺も板と柱の位置を簡単な絵にする。小さく描いた矢印がずれたので一度消して描き直した。
「ちょっと。これ出口か?」
背後から声を掛けられた。二人組の冒険者が立っている。一人は道標を見て西へ進もうとしていた。
「待ってください。その矢印は今点検中です。地図では反対が出口ですよ」
「そうなのか? さっきもこれを見て奥まで行っちまった」
「戻ってきたんですか?」
「行き止まりだった。しかも岩甲虫がいたんだよ」
もう一人は脛の革当てを指した。表面に新しい傷がある。セオに怪我の有無を尋ねられた二人は足を動かして見せた。血は出ておらず歩けるらしい。
「念のため管理所へ報告してください。地図でも出口を確かめた方がいいです」
「助かった。もう一回奥へ行くところだったよ」
二人は青札二番の方へ戻っていった。ミレアは二人を見送って道標へ視線を戻した。
「道を間違えた人がもういるんだね」
「間違った矢印を信じたら迷って当然だ。ハルディンの街道でも札が逆を向いてたら宿屋まで客が来なくなるな」
「その場合は宿の人が困る前に直さないとね」
「だからこそ勝手に触らず報告だな」
俺は頭の中の拠点メモに『道標と公共の管理』を追加した。村を便利にするには標識を立てるだけでは足りないらしい。誰が見回るのかまで考えないと、俺が休んでいる間に変な方向を指しそうだ。
*
西回廊を進むと前方から車輪の音が聞こえてきた。
かたん。
少し間を置いて同じ音が続いた。かたん。
現れたのは台車を押す男だった。三十歳前後に見える。台車の荷には麻布が掛かっている。すれ違うとき布の隙間から青みがかった石が見えた。片方の車輪が床の継ぎ目を踏むたび跳ねている。
「採掘の帰りですか?」
「まあな」
「西の奥は岩甲虫が多いですか?」
「多い。行かない方がいいぞ」
男は俺たちの点検票を見た。
「そんな紙を持って何してる」
「道標の確認です。出口の矢印が地図と違っていて」
「なら地図の方が正しいんだろ。道標なんか見ずに進めばいい」
言うだけ言うと台車を押して去っていった。かたんという音が遠ざかる。
「片方の車輪だけうるさかったね」
「直した方が楽に運べそうだな」
「布の下の石も気になります。売るといくらになるんでしょう」
「セオもそこが気になるのか」
「値段だけなら」
妙なところで気が合った。
二つ目の道標は西回廊の戻り口に立っていた。こちらも『出口』の矢印は奥を向いている。柱そのものは少し傾いていた。根元には半乾きの泥が付いている。
「この辺の床は乾いてるよ」
ミレアの言うとおりだった。泥が付いているのは根元の片側だけだ。周囲へ水が広がった跡はない。
「どこから付いたんだろう。セオ、これも記録して」
「はい。『根元に半乾きの泥。周辺の床は乾燥』ですね」
「それで。人が動かしたかどうかはまだ分からない」
セオは頷いて柱が傾いた向きも描き加えた。俺は地図に二つ目の位置を書き込み、来た道と矢印の食い違いを確かめた。
「おい! あの道は出口じゃねえぞ!」
西の奥から二人の冒険者が戻ってきた。一人は肩を押さえ、もう一人は片足を引きずっている。衣服に血が付いていた。
「座ってください。まず怪我を見ます」
セオがすぐ前へ出た。道標の横の壁際へ二人を座らせて救護鞄を開く。俺とミレアは通路の前後を見張って岩甲虫の音がしないか確かめた。
「何があったんです?」
「出口って書いてあるから進んだんだ。おかしいと思って引き返す途中で岩甲虫が二匹来た」
肩の傷は甲殻で切られたものらしい。もう一人の膝は転んで痛めたと聞いた。セオは傷を洗って手当てをした。膝を無理に曲げないよう伝えている。
「肩の方は歩けそうですか?」
「俺はな。こいつは膝が駄目だ」
「では一緒に青札二番まで戻ってください。管理所の救援を呼んでもらいます」
「セオが付き添うのか?」
「俺が付き添います。トウマさんとミレアさんはここに残ってください。膝を痛めた方を一人にしないでください」
セオが点検票を俺に渡した。二か所とも記録は済んでいる。あとは救援が来るまで道を見張りながら待つだけだった。
セオは歩ける冒険者と戻っていった。残ったのは膝を痛めた男と俺たち二人だ。救護鞄はセオが持っている。俺とミレアは通路の前後へ目を向けた。救援が来るまでここを動けない。
「誰がこんな道標にしたんだよ」
男が壁へ背中を預けた。
「分かったら一発殴らせろ」
「気持ちは分かります。でもまず管理所へ知らせます。今もほかの人が迷うかもしれないので」
ミレアは黙って耳を動かした。
「……トウマ。車輪の音がする」
「車輪?」
「さっきの。片方だけ鳴るやつ」
息を止めると俺にも聞こえてきた。
かたん。
かたん。
先ほどの男が台車を押して戻ってきた。今度は荷が少ない。俺たちは道標の陰になる壁際にいた。男の方からは見えにくい位置だった。
男は周囲を見回すと台車を止めた。道標へ近づき『出口』と書かれた矢印板を両手でつかむ。そのままゆっくり向きを変えようとした。
「何してるんですか?」
ミレアの声に男の肩が跳ねた。俺も立ち上がって点検票を見せた。
「管理所からの依頼で点検しています。今その矢印を動かそうとしましたよね?」
男の手はまだ矢印板に掛かったままだった。




