第29話 便利な台は持ち運べなければ意味がない
宿の前で乾いた音がした。振り返るとセオの救護鞄が肩からずり落ちていた。片方の肩紐が切れたらしい。
「うわっ」
蓋は閉まっているのに留め具の隙間から小瓶が一本転がり出る。とっさに足先を伸ばして行く手を塞いだ。
「踏まないでください!」
「止めただけだって!」
慌ててしゃがんだセオが小瓶を拾う。ひびもなく中身も漏れていない。ミレアは地面へ落ちた布包みを拾い上げた。
「肩紐が擦り切れてるね。昨日は大丈夫だったの?」
「昨日から怪しかったんです。店が閉まる前に戻れればよかったんですが」
「そりゃ今日切れるわけだ」
セオは救護鞄を抱き直した。重くて持ち上がらないわけではない。ただ片手が塞がれば治療も地図の確認もやりづらそうだ。
「今日は先に直そう。迷宮で落ちたら困るだろ」
「俺もそのつもりです」
切れた紐を見て宿の荷物にしまった金具を思い出した。
「……そうだ」
「その声やめて」
ミレアが嫌そうな顔をする。
「まだ何も言ってないだろ」
「あんたが妙なものを思いついたときの声だよ」
*
部屋から持ってきたのはボルドにもらった蝶番だった。ハルディンを出る前に折り畳み道具の相談をしたら「試しに使え」と渡されたものだ。
「この金具で折り畳み台を作れないかな」
「肩紐の修理に使うんですか?」
「そっちは新しい紐がいる。俺が言ってるのは治療道具を置く台だよ」
救護鞄を地面へ置いて開けば底に泥が付く。薬瓶を取り出したあとも置き場に困るだろう。畳める台なら必要なときだけ開いて使える。
「高さはどれくらいです?」
「膝より少し下かな」
「片手で開けますか? 片手で傷を押さえていることもあります」
「そういう使い方もあるのか……。できれば片手で開けたいな」
セオは小瓶を持ったまま考えている。さっきまで鞄を抱えていたときよりずっと真剣だ。
「雨のあとでも置けるようにしてください。足が沈んだら瓶が倒れます」
「脚を広げれば安定するだろ」
「脚を広げるってことは重くなるんじゃない?」
ミレアが蝶番を持ち上げた。
「誰が運ぶの?」
「俺だけど」
「なら好きにして」
「急に優しくなったな」
「共同装備にするって言われたら止めてた」
セオも黙ってうなずいた。俺は蝶番を鞄にしまう。三人でネイラの工房へ行くことになった。肩紐の修理は今日中に済ませる。それまではセオが鞄を抱えて歩く。
*
工房ではネイラが小型魔道灯の外枠を削っていた。工具を置かずに顔だけ上げる。
「また来たのか」
「今日はちゃんと客として来ました」
「その顔は面倒を持ってきた顔ね」
「みんな顔で判断しすぎじゃないですか?」
作業台へ蝶番を置くとネイラはようやく手を止めた。指先で金具を動かし、刻まれた跡を確かめる。
「ボルドの仕事か。何を折り畳む?」
「台です。前に話したやつ」
「用途を言え」
「薬瓶や包帯を置く台です。地面がぬれていても道具を汚したくなくて」
手振りで高さと大きさを示す。ついでに採集品や解体用の道具も載せられれば便利だ。
「高さは二段階に変えたいです。端には道具を掛ける金具も欲しい。あと魔石を組み込んで開閉を――」
「最後はいらない。手で開け」
「まだ途中ですよ!」
「魔石がなくても動くものに魔石を足すな」
「俺もいりません」
セオが即答した。ミレアも隣で手を上げる。
「あたしも。壊れたとき直せないものは困る」
「三対一か……」
ネイラは廃材置き場から板と細い脚材を持ってきた。台の形を確かめるための仮組みらしい。板の四隅に脚を当てて蝶番の位置を決め、動かせる形にしてくれた。
「持て」
「おっ。ちゃんと台だ」
持ち上げてみると見た目以上に重い。四本の脚と広い板をそろえれば安定はするが、これを背負って迷宮へ行く気にはなれなかった。
「重い……」
「四脚だからね。大きさを減らすか用途を減らせ」
「じゃあ布を張るのはどうです? 板の部分が減れば軽い」
ネイラは小さな木枠に布を張ってみせた。確かに軽くなった。ところがセオが蓋を閉めた小瓶を一本置くと布が沈み、瓶は横へ転がってしまう。
「これでは使えません」
「中央だけ板を残したら?」
ネイラが細い硬い板を渡す。布の中心を支えるように置けば小瓶は倒れない。今度は脚を二本だけにして両側へ開く形を試した。
「これなら持てそうだ」
畳んだ形をミレアが背中に当ててみる。上の金具が服に引っかかった。
「ここが出っ張ってる。歩いたら服が傷むよ」
「削る。だが開くと横幅が出るぞ」
「狭い通路では開けないね」
「置く場所は選べ。どこでも使える道具にはできん」
次はセオが片手で脚を開こうとした。留め具に指が届かず一度閉じたまま止まる。
「治療中だと両手を使えないかもしれません」
ネイラは別の金具を取り出した。押すと外れ、脚は重みで開く仕組みらしい。セオが一度試すと今度は片手で開けた。
「自動で開く!」
「ばねと重さで動く。魔石は使わん」
「実質、自動展開では?」
「名前は好きにしろ。魔石を付ける費用は出さんぞ」
夢の自動展開には魔石なんていらないらしい。俺が感心しているとネイラが布を指で弾いた。
「解体台として使うなら血と脂が染みる。布を使うなら用途から外せ」
「なら治療用と記録台だけで」
「荷物は?」
「重いものは載せない。座るのも禁止だな」
高さの変更も諦めることになった。二本脚と布を組み合わせて中央に硬い板を渡す。薬瓶や包帯を地面から離して置くだけの台になったが、最初の案より使いやすそうだった。
「試作なら千八百リル。金具代込み。布は丈夫なものを使う。失敗しても全額は返さん」
「共同経費で――」
「トウマ」
ミレアの声が低くなった。セオまで帳面を開いている。
「……俺が払います。俺の道具だし」
「運搬も本人ですね」
セオが帳面に書きつけた。ミレアも横からのぞき込む。
「『今日はミレアが持って』は禁止って書いといて」
「それくらい頼むかもしれないだろ」
「だから書いてるんだよ」
前金を払って蝶番を預けた。正確な完成日はまだ決まっていないが数日はかかるらしい。
「途中で余計な機能を増やしに来るなよ」
「一個だけ思いついたんですけど」
「帰れ」
*
午後にギルドへ寄るころにはセオの救護鞄の肩紐が応急で交換されていた。費用は本人持ちだ。共同経費にしてはどうかと聞いたが、きっぱり断られた。
「私物の修理です。誰が持ち主か分からなくなるのは困ります」
「使うのは俺たちのためだろ?」
「使う薬や包帯の代金とは別です。そこを分けないと後で揉めます」
ネイラの工房でも言われたことを思い出した。便利な道具は作ったら終わりじゃない。誰が払うか、誰が運ぶか、壊れたらどうするか。そこまで決めると意外に面倒だ。
「それでトウマ。次の依頼は?」
ミレアが掲示板を指した。迷宮管理所から新しい依頼が出ている。
『青札二番から西回廊の道標確認。異常箇所の記録。標柱の移動・修理は禁止』
「戦闘じゃなくて確認の仕事か」
「地味ですね」
「だからいい。背甲を抱えて走らなくて済む」
依頼票を外して三人で条件を確かめた。地図と通行可能な範囲を照らし合わせ、道標は触らず記録だけを取ればいい。重い素材を運ぶ仕事でもないので荷物を増やす必要もなさそうだ。
「こういう仕事なら楽に終わりそうだろ」
「昨日も同じようなこと言ってなかった?」
ミレアが笑う。セオは備考欄を指さした。
「道標の位置が違っていた場合の報告手順も決めておきましょう」
「決めるも何も。見たとおり書いて帰るだけだろ?」
受付で翌日の依頼として受注印をもらった。異常があっても標柱を直さなくていい。こんなに楽な依頼がまだ残っていたのか。




