第27話 欲張った背甲は帰り道で邪魔になるらしい
「多いです」
ギルドの食堂で装備を広げた途端セオに言われた。まだ迷宮へ入っていないのに荷物の検査が始まっている。三人で動く初日なのだから準備は多い方が安心だと思ったんだけどな。
「念のために持ってきたものが多いだけだよ」
「念のためを全部持つと必要なときに走れません」
採集袋と布に水筒と予備の縄。それから簡単な工具。岩甲虫の背甲を四枚持ち帰るなら途中で荷をまとめ直すこともあるだろう。
ミレアが俺の鞄から木槌を抜いた。
「これは?」
「何か固定するときに使う」
「迷宮で何を建てるの?」
「何か必要になったら」
「置いてく」
木槌は宿へ戻して置いてきた。余計な往復を済ませてギルドへ戻るとセオが救護鞄を開いて包帯と薬瓶の位置を確かめていた。手を伸ばしかけた俺から鞄を引き寄せた。
「そこは俺が管理します。誰かが触ると必要なものの位置が変わるので」
「ずいぶん細かいな」
「暗い場所で包帯を探す時間は惜しいです」
言われてみればもっともだ。昨日の打ち合わせでは消耗品を共同で精算する話もした。何を何本使ったか分からなくなればあとで揉める。
北西迷宮管理所で入場記録を済ませて第一層へ入る。ミレアが先頭、俺が中央、セオが後ろ。青札一番の道を進む。曲がり角では三人全員が通ったことを確認した。
「治癒役が最後でいいのか?」
「前で殴られたい治癒役はあまりいません」
「ガルムなら喜びそうだけど」
「誰です?」
「昨日会った盾役。気にしなくていい」
湿った石の匂いは前回と同じだった。それなのに後ろを振り返る回数が増えた。ミレアと二人なら互いの位置だけで済んだが、今日はセオがどこにいるかも考えなきゃいけない。
*
「止まって」
ミレアが片手を上げた。右の通路から石を擦る音が聞こえる。曲がり角の先に灰色の甲殻が現れた。岩甲虫が一匹。こちらへ向かって脚を動かしている。
「やる?」
「依頼対象です。退路は今の通路ですね」
セオは杖を構えながら後ろの道を確認した。俺とミレアは前回と同じように通路の広い場所まで下がる。岩甲虫が追ってきたところで足元へ風を当てた。
「《ブリーズ》!」
巻き上がった砂で岩甲虫の進む向きがわずかにずれる。横へ回ったミレアが短剣を脚の付け根へ突き入れた。俺も逆側から脚を切る。向きを変えようとした岩甲虫の脚がもつれ、腹が見えたところへミレアが短剣を入れた。
「……前より早く倒せたな」
「同じ相手と戦った経験があるからでは?」
セオの返事には夢がない。俺としては《超成長》の成果だと言いたかったが、ミレアに先回りされた。
「長い話は帰ってからね」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてある」
背甲を外そうと刃を入れかけたところでセオが止めた。
「そこを切ると素材の値が落ちます。合わせ目から外してください」
「治癒術師なのに詳しいんだな」
「前の組でもやりました。治療がいらない時間に立っているだけでは仕事になりませんから」
三人で背甲を外し、布で包んで縄を掛けた。持ち上げると思った以上に重い。俺が顔をしかめるとセオが荷を指した。
「四枚になったらどう運びます?」
「三人で分ける」
「帰りに怪我人が出たら?」
「背甲を置く」
「ならいいです」
返事があっさりしていて少し拍子抜けした。怪我人が出たら素材を捨てる。それさえ決めておけば今は持って進んでもいいらしい。
二匹目は壁際から離れなかった。俺が正面へ出ようとしたところでセオの声が飛ぶ。
「押さなくていいです。待ちましょう」
「でも時間がかかるぞ」
「期限は今日中です。今はまだ朝ですよ」
急ぐ必要はない。少し離れて様子を見ていると岩甲虫は自分から壁を離れた。広いところまで誘い、ミレアが側面を取る。さっきより時間は掛かったが、怪我なく二匹目を倒せた。
「待ってれば向こうから来るんだね」
ミレアは新しい背甲を布の上へ載せた。
「罠なら待つのが得意なんだけどな」
「剣を抜くとすぐ急ぐよね」
その指摘には心当たりがあった。
*
青札二番へ向かう途中で硬い音が重なった。前方の通路から岩甲虫が床を擦る音。それも一つじゃない。
「二匹か?」
「前に二つは聞こえる。……待って。後ろにも何かいる」
ミレアが振り返る。来た道の奥からも同じ音が近づいてきた。前方の姿はまだ見えない。背後には少なくとも一匹いそうだった。
「戻ります」
セオはすぐに言った。
「後ろにもいるぞ」
「だから今です。まだ距離があります」
「後ろの一匹を倒して抜ける手もあるけど」
「戦っている間に前の二匹が来たらどうします?」
俺は地図を開いた。左に細い脇道があるが、その先は行き止まりになっている。
「一度そこへ隠れたら――」
「袋小路だよ。逃げ道がなくなる」
ミレアも地図を見て首を振った。前の音が大きくなる。後ろからも石を引っかく音が続いた。
セオが救護鞄の肩紐を握り直した。
「背甲は置いてください」
「二枚とも?」
「走ることになるかもしれません」
俺は抱えていた背甲を見た。二匹倒して二枚確保した。あと二枚で依頼達成だ。ここまで来て両方置いていけば報酬は出ない。
「トウマ」
ミレアが俺を見る。
「戻るよ」
少し前の俺なら一匹くらい何とかなると考えたかもしれない。だがここで三人が動けなくなったら薬代どころの騒ぎじゃない。せっかく見つけた治癒役を初日に失うなんて、それこそ高い買い物だ。
「……分かった。置こう」
二枚の背甲を通路の壁際へ寄せた。中央へ放り出せば逃げ道を狭くしてしまう。青札二番から見える場所に置いたが、取りに戻れる保証はない。
「俺が先に退く道を見ます。前の二匹が来る前に抜けましょう」
セオが杖を下ろし、来た通路を指した。三人で歩き始める。最初の曲がり角に差しかかると後ろから来た岩甲虫が姿を現した。
「止める?」
「戦いません。右の広くなっている部分を使って抜けます」
右壁との間に人が通れる幅がある。俺は足元へ《ブリーズ》を当てて砂を巻き上げた。岩甲虫が頭を振った瞬間にミレアが抜ける。次はセオだ。俺も剣を前に構えて壁沿いを走った。
通り抜ける寸前に岩甲虫の脚が靴の踵を擦った。
「トウマ、走って!」
追いかけてくる音がした。それでも振り返らない。青札一番まで戻ったところで三人は足を緩めた。
「怪我は?」
「ない」
「あたしも大丈夫」
俺は靴を見せた。革の表面が少し擦れているが、足は動く。セオは二人の歩き方まで確かめてから頷いた。
「帰ります」
「……背甲は二枚とも置いたな」
「はい」
「依頼は未達だな」
「はい」
セオの顔色は変わらない。
「戻れば次の仕事を受けられます。怪我をすれば薬代が要ります。踏み潰されればもっと高くつきます」
「最後だけ急に怖いな」
「治癒魔法で何でも元に戻るわけではありません」
それは昨日も聞いた話だった。今日は背甲二枚を置いた分だけよく分かった。
*
管理所で岩甲虫の数と場所を報告した。職員は地図へ印を付け、同じ区画の注意を追加するため別の職員を呼んだ。
「前方に二匹、後方に少なくとも一匹。背甲二枚を置いてきたんですね」
「はい。青札二番から見える壁際です」
「回収できるとは限りませんよ」
「……ですよね」
ギルドへ戻ると依頼は未達として処理された。完了印は押されず、報酬もない。三人で食堂の席へ座り水を飲んだ。
「初回から失敗かあ」
「未達です」
セオが救護鞄を膝へ置いた。
「全員無傷で戻りました。俺は判断が間違っていたとは思いません」
「あたしも。あのまま進んだら挟まれてたよ」
「俺も撤退に賛成しただろ」
「最後にね」
「そこ大事か?」
「かなり」
二対一だった。いつものミレアにセオまで加わると言い返すのが難しい。
「試用はここまでにします?」
セオが尋ねた。俺はミレアの顔を見た。ミレアは肩をすくめて何も言わない。
「もう一回お願いします。まだ一緒に成功した仕事がないし」
「では次は俺が依頼を選んでいいですか?」
「どうして?」
「背甲四枚を見たときトウマさんは報酬欄ばかり見ていたので」
「そんなことないぞ」
「見てたよ」
ミレアに即答された。セオは募集席で見たときより少しだけ口元を緩める。
「次は背甲を持って走らなくていい仕事にします」




