第25話 初迷宮は宝箱より先に規則が待っていた
「昨日のうちに来なかっただけ、褒めてほしいくらいだ」
北西迷宮の依頼板に手を伸ばした俺へ、ミレアが冷たい視線を向けた。昨日ようやくEランクになったばかりだ。今朝まで待ったのだから、十分な我慢だろう。
「普通はそれを我慢って言わない」
「だったら何て言うんだ?」
「せっかち」
否定しづらい。
外した依頼票には『白脈苔の採集』とある。第一層の湿った壁に生える白っぽい苔で、必要なのは小袋一つ分。採集できる場所は管理所の地図に示されており、閉鎖区画に入らないことも条件だった。
「初めての迷宮で採集なの?」
「いきなり強い相手と戦うより、道を覚えた方が次から楽だろ。ついでに宝箱の場所も確認できる」
「最後の一言で台無し」
「迷宮だぞ。何か落ちてるかもしれないだろ」
魔法鞄が落ちていれば、今度こそ運搬の苦労から解放される。そんな期待を胸に受注を済ませ、俺たちは北西門へ向かった。
*
数日前は補給の手押し車を押してきた道を、今日は剣と採集袋を持って歩く。管理所の入口では、職員が登録札を二枚とも確かめた。
「Eランク二名。入れるのは第一層までです。青札の道を基準に進んでください。赤札の先は閉鎖区画。地図と現場の表示が違う場合は、現場表示を優先して戻って報告してください」
机に広げられた地図へ、今日の日付の印が押される。
「地図って、そんなに変わるんですか?」
「崩落もあれば、魔物が通路を塞ぐこともあります。昨日通れた場所が今日も安全とは限りません」
「なるほど……」
初回で地図を埋めれば二回目からは楽になると思っていたのに、更新が必要らしい。ゲームの攻略地図ほど親切ではなかった。
注意事項を聞き終えて、ようやく石の入口をくぐる。湿った石の匂いが鼻に届いた。壁には一定の間隔で魔道灯があり、足元が見えなくなるほど暗くはない。どこかで天井から水が落ちている。
「もっと真っ暗だと思ってた」
「入口から真っ暗だったら、管理する人も困るでしょ」
ミレアは平然と答えるが、尻尾はいつもより低かった。
「緊張してる?」
「してない」
「尻尾が」
「見るな」
怒られたので、青札一番へ視線を戻した。
白脈苔が採れる候補地は三か所。まず入口に近い壁を調べる。地下水が染み出す石の隙間には白い苔が残っていたが、厚く育った部分はほとんど先客に採られていた。
「また先を越されたか」
「残ってるのもあるよ」
「根こそぎ採ったら次に来たとき困るだろ。使えるところだけにしよう」
持ってきた小さな道具で育った部分を少しずつ削ぎ取り、採集袋へ入れる。袋の底がようやく隠れたところで手を止めた。これでは足りないが、三か所も候補があるなら焦る必要はない。
*
二か所目へ向かう途中、石を引っかく音がした。
「いる」
ミレアの声と同時に、曲がり角の先から灰色の背中が現れた。岩甲虫だ。胴体ほどの大きさがあり、甲殻は石壁とよく似た色をしている。
岩甲虫は足を鳴らし、こちらへ体を向けた。
「迂回できる?」
ミレアが地図を開く。
「入口まで戻れば別の候補地へ行ける。でも、かなり遠回り」
「正面から殻を切るのは難しそうだな」
「脚の付け根ならどう?」
「広いところへ誘おう。狭いままだと回り込めない」
片手剣を抜いて後退する。左腕はもう日常生活に困らないが、大きな衝撃を受け止めるのは避けたい。岩甲虫が石床を叩きながら進み、通路の幅が広がったところで速度を上げた。
「来るよ!」
「《ブリーズ》!」
風を足元へ当てる。岩甲虫の巨体を持ち上げるほどの力はない。乾いた砂を巻き上げて脚元へ流すと、相手の足運びが乱れ、進む向きがわずかに変わった。
「今!」
ミレアが横から踏み込み、短剣を脚の付け根へ突き立てた。硬い音が響くが、一撃では止まらない。ミレアはすぐ離れ、俺も正面へ立たないよう斜め後ろへ回る。
甲殻に剣を当てても滑る。狙いを脚へ変えて一度突き、相手が向きを変える前に下がった。二度目は少し浅かったが、傷を負った脚がもつれる。岩甲虫は頭を振り、壁へぶつかった。
「トウマ、こっちへ寄せて!」
ミレアが空いている側へ動く。俺が音を立てて注意を引くと、岩甲虫は再び向きを変えた。その隙にミレアが腹側へ短剣を入れる。
虫の脚が石床を引っかき、やがて動かなくなった。
「……硬かったな」
「名前に甲って入ってるしね」
「親切な名前だよな。弱い場所も書いといてくれればいいのに」
ミレアは肩を軽く回したあと、すぐにやめた。俺も左腕を一度曲げ伸ばしする。新しく痛む場所はないが、連戦になれば心もとない。
魔石を一個回収し、岩甲虫の背甲を見た。素材として売れるらしい。ただ、今日は白脈苔の採集袋しか持っていない。
「背甲、持っていく?」
「持つだけならできそうだけど、帰るまで邪魔だ。依頼は苔だし、先にそっちを終わらせよう」
「珍しく宝物を置いていくんだ」
「背甲は宝箱じゃない」
「魔法鞄なら入ったのにって顔してる」
そんなに分かりやすかったか。
二か所目の壁には、十分な厚さの白脈苔が残っていた。濡れた石を滑らせないよう足場を確かめ、必要な分だけ採る。小袋を閉じ、二人で採集量を確かめた。三か所目まで行く必要はない。
*
帰り道、赤札の立つ脇道が見えた。
『崩落確認中 立入禁止』
地図にも閉鎖を示す印がある。その奥は魔道灯が消えており、数歩先から暗闇だった。
「行かないよ」
「分かってる。昨日もらったばかりのEランクを取り上げられたくない」
「ならいいけど」
そこで金属を打ったような音がした。
カン。
一拍置いて、カン、カン。
石の崩れる音とは違う。奥で何かが当たっているらしい。ミレアの耳が立ち、俺も赤札の手前で足を止めた。
「聞こえた?」
「うん。誰かいるのかな」
「……分からない」
作業中の職員かもしれない。そうでないならなおさら危ない。地図の閉鎖位置へ小さな印を付ける。
「宝箱が転がってたらどうする?」
「解除されるまで待つ」
「よく言えました」
「ただし場所は覚えておく」
「そういうところは変わらないね」
赤札には触れず、来た青札の道を引き返した。
岩甲虫の背甲は同じ場所に残っていた。試しに端を持ち上げてみたが、重い上に抱えると前が見えづらい。剣と採集袋もある。帰り道で別の魔物に出くわしたら困る。
「置いていく。次に背甲が必要な依頼を受けたら、運び方を考えてから来る」
「……本当に準備から始めるんだね」
「楽するためだからな」
管理所へ戻ると、職員が白脈苔の量を確かめてくれた。閉鎖区画の奥で金属音を聞いたことも、地図を指しながら伝える。
「閉鎖札の先には入っていませんね?」
「手前までです。音が三度聞こえました」
「分かりました。こちらで確認します」
職員は地図に位置を記し、別の職員へ確認を頼んだ。こちらに入る許可が下りたわけではない。詳しい説明もないまま、俺たちは採集品を持ってギルドへ戻った。
依頼は無事に完了。魔石一個も持ち帰ったが、宝箱は結局見つからなかった。
宿へ向かう途中、ミレアが口を開いた。
「ねえ、三人目を探さない?」
「急だな。今日だってちゃんと勝てただろ」
「勝てたけど、あたしが脚をやられたら誰が歩けないあたしを運ぶの?」
「俺が……いや、この腕じゃ難しいか」
「じゃあ、あんたが怪我したら?」
「あたしが手当てする。でも、今度は戦う人が一人になる」
「二人とも動けなくなったら?」
返す言葉がなくなった。今日、岩甲虫がもう一匹出てきたらどうしていただろう。白脈苔を袋へ詰める手も、負傷した仲間を守る手も足りなくなる。
「治療ができる人か。盾役もほしいな。できれば荷物も持ってくれる人がいい」
「一人だけ探す話だからね」
「全部できる人はいないのか?」
「そんな人がいたら、あたしたちの出番がなくなるでしょ」
どうやら次の攻略では、まず仲間の募集条件から考える必要がありそうだった。




