第23話 昇格確認は剣を抜かない
「討伐証明の袋は、今回は必要ありません」
ギルドの職員にそう言われ、差し出しかけた手を引っ込めた。
昇格確認依頼の朝、渡されたのは地図と二人分の人相書きだった。いや、人相書きというほど詳しくもない。年齢や服装、持っていた道具が書いてあるだけだ。
一人は四十代の男性。採集歴が長く、北西の林道には何度も入っているらしい。
もう一人はミーナという若い女性。二人で薬草と樹皮を採りに出たまま、昨日の夕方になっても帰ってこなかった。宿にも戻っていない。
「試験だからって、特別な場所へ行くわけじゃないんですね」
俺が言うと、職員は地図の一角を指で押さえた。
「困っている人の場所は、試験に合わせて決まりませんから」
「……ごもっともです」
どうやら昇格用の専用イベントではなく、本物の捜索依頼らしい。
依頼票には、発見を最優先とある。怪我人がいた場合は状態を確かめ、無理に動かさないこと。危険が大きければ救援を求めること。
「二人とも見つけたら合格ですか?」
「現場で何を確認し、どう判断したかも見ます。結果だけで判断する依頼ではありません」
「つまり、敵を倒しても加点にはならない?」
「敵が出るとは限りませんよ」
職員はそれ以上説明せず、地図を差し出した。
そりゃそうか。行方不明者が二人もいるのに、敵が出る前提で考えるのはおかしい。
「範囲、結構広いね」
ミレアが地図を広げ、指で林道をたどった。
「ああ。でも、最後に見られた場所から順番に探せばいい」
「二手に分かれる?」
「最初は一緒に行こう。何があったか分からないし」
ミレアは頷き、道具を確かめた。短剣、縄、水筒。俺も同じように装備を見直す。
腰の片手剣は修理してからまだ刃先に違和感がある。左前腕の傷も閉じたとはいえ、無茶な力仕事をする気にはなれない。
できれば剣を使わずに終わらせたい。
その方が怪我もしないし、早く昇格して迷宮へ行ける。
*
北西門からしばらく進み、迷宮管理所へ向かう道の途中で林道へ入った。
昨日通った道とは違い、人の行き来が少ない。木の根が地面を横切り、道の端には低い草が生えている。
「ここだね」
ミレアが立ち止まった。
林道脇の低木に、枝の折れた跡があった。足元の土には靴跡が残っている。
しゃがんで確かめると、形の違う跡が二種類あった。一つは幅が広く、踵の外側がよく減っている。もう一つはそれより小さい。
「二人分かな」
「可能性はある。でも昨日のものかどうかまでは分からない」
「雨は降ってないし、形も残ってるね」
「ああ。しばらく追ってみよう」
足跡の近くには、採集籠を背負って通ったのか、枝が横へ押し分けられた跡もあった。
その先で細い樹皮を一本見つける。さらに進むと、草が広い範囲で倒れていた。
「ここで何かしたのかな」
ミレアが草をかき分けた。
土の上に丸い跡が二つある。採集籠を下ろしたようにも見えるが、それだけでは休憩したのか荷物を整理したのか判断できない。
「道を間違えたなら、ここで地図を見たかもしれない」
「でも、経験のある人が一緒なんでしょ?」
「そうなんだよな」
その先で足跡が分かれていた。
広い靴跡は林道沿いに続いている。小さい方は右側の斜面へ向かっていた。
「別行動したのかな」
「採集ならありえる。でも、いつ分かれたかは分からない」
右へ進んだ人が戻った跡は、ここからでは確認できない。
「どっちを先に探す?」
ミレアが聞いてきた。
俺は林道側の広い靴跡を見た。
「こっち。経験のある人が無事なら、まず道へ戻ろうとすると思う」
「じゃあ、そっちから」
ミレアは少し迷っていたが、最後には俺の隣へ戻った。
*
歩き始めて十分ほどたったころ、ミレアが突然足を止めた。
「……待って」
耳が前へ向いている。
「何か聞こえた?」
返事はなかった。
俺も息を止めた。葉が擦れる音と、遠くで鳥が鳴く声しか聞こえない。
「声……かな」
「どっち?」
「左。たぶん」
ミレアの視線の先には緩い下り斜面があった。林道から少し外れているものの、木々の間から下の様子は見えそうだ。
「行ってみよう。ただし、道から離れすぎない」
「分かってる」
斜面へ下りる前に戻り道の木と石の位置を覚え、見失わないよう目印を付けた。
途中でもう一度声が聞こえた。
「おーい!」
今度は俺にも分かった。ひどくかすれているが、人の声だ。
「います! ギルドから捜索に来ました!」
返事があった。
その方向へ進むと、倒木のそばに男が座り込んでいた。右脚を前へ伸ばし、背中を幹へ預けている。
少し離れた場所には採集籠が転がっていた。
「冒険者か……」
「はい。二人を探しに来ました。もう一人はどこですか?」
「ミーナが……上へ」
男は道の方を指そうとしたが、途中で手を下ろした。
足元を見る。右足首のあたりが大きく腫れ、靴も脱げていた。血は見えないが、歩ける状態には思えなかった。
「足、どうしたんです?」
「昨日、下りるときに滑った。立とうとしたんだが、無理だった」
「今は動かさない方がよさそうですね」
ミレアが周囲を確かめながら尋ねた。
「ミーナはいつ離れたの?」
「日が落ちる前だ。俺が歩けないから、道へ戻って助けを呼んでくるって……」
「戻ってきてない?」
男は首を横に振った。
「夜になってから、声も聞いてない」
俺は依頼票の注意書きを思い出した。
負傷者を無理に動かさないこと。危険がある場合は救援を呼ぶこと。
ここから林道まで上り坂がある。男を二人で担いで戻るのは無理があった。途中で足を滑らせれば、怪我人が増えるだけだ。
「救援を呼びましょう。この足では無理に歩かない方がいいです」
「俺よりミーナを……あの子は一人で行ったんだ」
「両方探します」
答えたところで、どう動くか迷った。
俺が救援を呼びに戻れば、男とミレアをここへ残すことになる。二人でミーナを探しに行けば、男は一人になる。かといって別々の方向へ散ったら、今度は俺たちが迷うかもしれない。
ゲームなら仲間を待機させて探索範囲を広げたいところだが、ここには便利な位置表示もない。
「トウマ」
ミレアが顔を上げた。
「右が気になる」
「右?」
見たところ、林道へ戻る途中に曲がった木が立っているだけだ。
「足跡があるのか?」
「違う」
「何か聞こえた?」
「それも……違うと思う」
自分でも説明できないらしく、ミレアは眉を寄せた。
今までにも似たことはあった。後ろから魔物が近づいてきたときや、倉庫で石歯トカゲを見つけたときだ。
名前を付けるなら《超感覚》だろうか。
……いや、今それを言ったら怒られるな。
「どの辺りが気になる?」
「あの曲がった木の向こう」
指さした場所は近い。男のいる位置から、ある程度は見渡せる。
俺は水筒を取り出し、男に渡した。
「少し飲んでください。足は動かさないで」
「……助かる」
上着を丸めて足の横へ置き、男が無理に起き上がらないよう伝える。腫れた部分を強く縛るのはやめた。
「俺はここに残ります。ミレア、曲がった木まで見に行けるか?」
「うん」
「見える範囲を外れそうなら声をかけてくれ。何もなかったら戻って」
「子供扱いしないで」
「昇格確認中だから慎重にしてるんだって」
「普段からしてよ」
言い返せなかった。
*
ミレアが斜面を上り、曲がった木へ近づいていく。
数歩進んだところで足を止め、しゃがみ込んだ。
「トウマ、これ!」
枝に薄茶色の布切れが結ばれていた。端は手で裂いたように不ぞろいで、風が吹くたび細く揺れている。
男が身を起こしかけた。
「ミーナのだ。首に巻いてた布と同じ色だ!」
「動かないでください!」
慌てて止めた。
ミレアは布切れに触れず、その先を確かめた。
「あっちにもある!」
少し離れた低木にも同じ色の布が結ばれている。さらに奥を見ると、もう一枚。
目印が右へ続いていた。
「ミーナが付けたんだな」
男は何度も頷いた。
「助けを呼びに行く前に、布を裂いて印を残すって言ってた。あの子なら……」
そこで言葉が途切れた。
「だったら、まだ追えます」
俺はミレアへ声をかけた。
「曲がった木から先は、見えなくなるなら戻って。無理に追わなくていい!」
「分かってる!」
返事が返る。
ミレアは二枚目の布へ進み、そこでまたしゃがんだ。
「ここから下りになってる。足元、少し崩れてるかも!」
「気をつけろよ!」
ミレアは手を上げ、慎重に足場を確かめてから進んだ。
俺は男のそばに落ちていた白い石を三つ拾い、林道へ戻る方向に並べた。救援を呼びに行くなら、同じ場所へ戻れるようにしておきたい。
「そんなことまで考えてくれるのか」
男が石を見て言った。
「また道を間違えたら、探し直しになるので」
「……ありがとな」
石をもう一度並べ直す。林道から見つけやすい場所に目印を残すのも、ここへ人を連れて戻るためだ。
昇格確認だから、てっきり強い魔物と戦うのだと思っていた。
実際には、動けない人を守りながら、もう一人を探している。救援をどう呼ぶかも考えなきゃいけない。
剣はまだ一度も抜いていない。
その方がありがたいんだが、どうもこの試験は思っていたより頭を使う。
「トウマ!」
ミレアの声がした。
「三枚目、見つけた! まだ先に続いてる!」
俺は顔を上げた。
曲がった木の向こうで、ミレアが右手を高く上げていた。
布の目印は、林のさらに奥へ続いている。




