第22話 排水路のスライムは倒す方が面倒だった
「……十一件目に、これを選ぶのか」
自分で掲示板から外した依頼票を見て、少しだけ後悔した。
『市街地北側・排水路の詰まり調査』
昨日、北西迷宮の入口で見た冒険者たちは、魔物の背甲を抱えて帰ってきていた。
それなのに俺は、町の排水路を掃除しようとしている。
「昇格の相談へ行くんじゃなかったの?」
ミレアが横から依頼票を覗き込んだ。
「そのつもりだった。でも、この依頼なら今日中に終わりそうだろ。報酬ももらえるし、相談は戻ってからでもできる」
「もう十件達成したんだから、急いで増やさなくてもいいのに」
「せっかくギルドまで来たんだ。何も稼がずに帰るのはもったいないだろ」
依頼票を読み直す。
詰まりの原因を調べ、可能なら取り除く。作業が難しい場合は、原因と場所を報告すること。
石組みの破壊は禁止。水門の無断操作も禁止。危険な魔物がいた場合は、無理をせず報告。
「ほら、原因を調べるだけでも仕事になるんだぞ」
「その前に、最後まで読んだ?」
「読んだよ」
「じゃあ、ここ」
ミレアが依頼票の下の方を指で叩いた。
『臭気あり』
俺はその一行から目をそらした。
「……町の中だぞ。森を走り回るよりは早いはずだ」
「鼻が無事ならね」
聞こえなかったことにして、受付へ向かった。
*
「二人だけか。昨日、棒を突っ込んだら変なものに当たったんだが」
現場で待っていた市の作業員は、俺たちの登録札を確認すると、いきなり嫌な話をした。
石で組まれた排水路は、人が立って歩けるほど大きくない。通りに沿って一定の間隔で点検口があり、蓋を開けると底を流れる水が見えた。
「……くっさ!」
ミレアが鼻を押さえて後ろへ下がった。
俺も思わず息を止める。
水がよどんだ場所には枯れ葉や枝がたまり、表面に細かな泡が浮いていた。何の匂いが混ざっているのか、確かめる気にもならない。
「猫獣人は鼻が利くから大変だな」
「次それ言ったら、あんたを先に入れる」
「入れる大きさじゃないだろ」
「じゃあ顔だけ」
それはもっと嫌だ。
作業員から長い棒を借り、点検口へ差し入れた。
底を探ると、途中で何かが棒の先を避けるように動いた。押しても硬い手応えはなく、ぷるりと逃げてしまう。
「……柔らかいですね」
「だから言ったろ。石でも木でもなさそうなんだ」
棒を引き上げると、先端に透明な粘液が付いていた。
ミレアが鼻を押さえたまま、点検口を覗く。
「スライム?」
「たぶん。でも、一匹だけじゃなさそうだ」
隣の点検口も開けてもらい、水の下を確かめた。
半透明の塊が二つ。少し離れたところに、もう一つ。
どれも枯れ枝や布にまとわりつくように形を変え、水の流れを邪魔している。
「全部倒せば終わる?」
ミレアが短剣に触れた。
俺は点検口の幅をもう一度確かめる。
狭くて剣を振れない。無理に突き刺したところで、水の中に何が残るかも分からなかった。
「待った。流れが悪いのは、スライムだけが原因かな」
「ほかにも何かある?」
「下流を見てくる」
点検口の蓋を閉めてもらい、作業員に案内を頼んだ。
*
排水路の先には鉄格子があり、その手前に、ごみを受け止める取り外し式の木枠が入っていた。
細かい枝や古い布が引っかかっている。
水の通り道はまだ残っていたが、流れてきたごみが増えれば、ここも詰まりそうだ。
「スライムがごみを押さえてるのか、それとも先にごみが詰まったせいでスライムが集まったのか……」
「順番までは分からん。昨日より流れが悪くなってるのは確かだ」
作業員が腕を組む。
俺は上流側へ目を向けた。
少し離れたところに水門がある。
あれを開いて水の流れを強くすれば、スライムも枝も下流の木枠まで運べるかもしれない。
ただし、勝手に動かせば依頼違反だ。
「上の水門、少し開けられませんか?」
「俺の判断じゃ動かせん」
「じゃあ、判断できる人を呼んでもらえます? こっちは下流で受ける準備をします」
「……分かった。少し待ってろ」
作業員は水路を見返してから、詰所へ走っていった。
戻ってきたときには、年上の作業員を連れていた。
男は上下の点検口を確かめ、俺の説明を聞くと、鉄格子の前でしゃがみ込んだ。
「水を一度増やして、スライムもごみも木枠へ寄せるわけか」
「はい。そこで回収できれば、石組みを壊さずに済みます」
「だが、ここが詰まれば水が溢れる。下の通りまで流れ出るぞ」
「それは困ります。少しだけ開いて、動かなければ戻してください」
「こちらで水位を見て判断する。お前たちは木枠から目を離すな。水が上がってきたら、すぐ合図しろ」
「分かりました」
勝手に水門を動かせないのは面倒だ。
でも、責任を持つ人が止め時を判断してくれるなら、こちらも作業に集中できる。
年上の作業員が水門へ向かう間に、残った作業員と一緒に回収用の木枠を確かめた。
枠には細かな網が張られている。流れてきたごみを引っかけ、まとめて取り出すためのものらしい。
ここで受け止められるなら、あとは流すだけだ。
……そう思ったのだが。
「トウマ、左肩は大丈夫かって聞かないの?」
ミレアが長い鉤棒を受け取りながら言った。
「あ、そうだ。無理するなよ」
「今思い出したでしょ」
「俺だって左腕があるからな。重いものが引っかかったら、作業員さんに任せよう」
「それならいいけど」
俺は点検口の一つで長い棒を構え、ミレアは下流の木枠が見える位置についた。
作業員はその間で、引っかかったごみを引き上げられるよう準備する。
上流から合図が届いた。
「少し開けるぞ!」
「お願いします!」
水門が開かれ、石の溝を流れる水音が太くなった。
最初のスライムが揺れる。
次の瞬間、枯れ枝に引っかかって止まった。
「そこか!」
俺は棒を差し込み、枝の端だけを横へ寄せる。
透明な塊が水に押されて滑り出し、二匹目も続いた。
「二匹、そっちへ行ったぞ!」
「見えてる!」
ミレアが木枠の前で身を乗り出す。
流れてきた枝が網に引っかかり、その後ろでスライムが形を変えた。
どうやら捕まえられそうだ。
「三匹目、動かない!」
ミレアの声が飛んだ。
振り返ると、三匹目は布の塊に絡みついたままだった。
流れが強くなり、布の端が水の中で大きく揺れている。
「そっちの布を引いてくれ!」
「分かった!」
ミレアが鉤棒で布の端をとらえた。
俺は枝を押さえる。
すると、布の下から古い麻袋の口が現れた。
「……袋?」
水を含んで膨らんでいる。
しかも、どうやら底の方が何かに引っかかっているらしい。
引っ張っても動かない。
その間にも水がたまり、点検口の内側で水面がじわじわと上がり始めた。
「まずい。水が上がってる!」
ミレアが顔を上げる。
「水門、止めてください!」
俺が声を張ると、上流の作業員がすぐに応じた。
水音が少しずつ小さくなる。
「無理するな! 今、手を貸す!」
近くの作業員が点検口へ来た。
俺は棒で枝を押さえ、ミレアは布が流れに戻らないよう鉤棒を固定する。
作業員が別の長い鉤棒で麻袋の口を引っかけ、向きを変えた。
袋の底が石の出っ張りから外れる。
「よし、上がるぞ!」
重い麻袋を作業員が引き上げた。
俺とミレアは、それぞれ棒を持ったまま見守る。
……手伝いたいところだけど、今の俺たちが無理に持つより、その方が早い。
袋が取り除かれると、水の通り道が広がった。
「もう一度、少し流すぞ!」
上流から確認の声が届く。
作業員が水の通り道を確かめ、俺たちも位置につき直した。
「お願いします!」
水門が再び開く。
今度は三匹目のスライムも流れ始めた。
古い布がその後ろを追いかける。
「来た!」
ミレアが木枠の前で声を上げた。
スライムは先に流れた二匹と一緒に網へ引っかかり、透明な身体をぷるぷると揺らしている。
最後の布切れも引っかかったところで、上流へ合図を送った。
水門が元の位置へ戻される。
水の流れが落ち着いてから、二人の作業員が木枠を持ち上げた。
スライム三匹とごみを分け、スライムは脇に用意された浅い回収槽へ移していく。
透明な塊は水の中で形を変え、壁にくっついていた。
俺は結局、剣の柄に触れもしなかった。
「これ、どうするんですか?」
「市の処理小屋へ持っていく。種類によっては汚れ落としに使えるんだ」
「倒さないんですね」
「生きて使えるものを、わざわざ殺す必要はないだろ」
年上の作業員はそう言って、回収槽の蓋を確かめた。
「それより、まだ枝が残ってるぞ。感心してないで片づけてくれ」
「はい!」
……結局、最後は掃除か。
*
そのあとも枝や布切れを拾う作業が続いた。
スライムを流したからといって、排水路が勝手にきれいになるわけではない。
作業員と一緒に残ったごみを回収し、木枠を元の位置へ戻す。
水門を通常の位置にした状態で流れを確かめると、今度はよどむことなく下流へ水が抜けていった。
「よし。これなら大丈夫だ」
年上の作業員は点検口を一つずつ確認し、石組みに傷がないことを確かめてから依頼票へ書き込んだ。
「水門を動かしたのは市の判断だ。そこは報告に書いとけよ」
「もちろんです。次に詰まったときも、勝手に触らずに済みますから」
「次のことまで考えるとは、いい新人だな」
俺は今日と同じくさい仕事を二度も引き受けたくないだけだったのだが、笑って頷いておいた。
帰る前に、作業員へもう一つだけ尋ねた。
「こういうごみって、普段はどれくらいの間隔で取るんですか?」
「場所によるな。雨が続いたあとは増えるし、木枠だけじゃなく点検口の中も確かめる。詰まってからじゃ遅いところもあるからな」
「……なるほど」
排水路って、作れば終わりじゃないのか。
ハルディンで水路を作るなら、掃除する場所も最初から決めておいた方がよさそうだ。
でないと、今日みたいな仕事を毎回やることになる。
「ミレア、地図出してくれ」
「何するの?」
「木枠と点検口の位置を覚えておこうかと思って」
「また次も来る気?」
「次に来るときは、詰まる前に終わらせたいんだよ」
ミレアは俺を見たあと、手に付いた汚れを気にしながら地図を取り出した。
「……その前に手を洗おうよ」
「そうだった」
危ない。今日一番大事な仕事を忘れるところだった。
*
午後、ギルドの報告窓口で用紙に記入した。
スライム三匹、腐った麻袋、枝ごみ。
市職員の許可と操作で一時的に流量を増やし、回収槽へ移動。石組みの破損なし。
討伐数はゼロ。
「何も倒してないって書かなくていいの?」
ミレアが報告書を覗く。
「討伐してないんだから、ゼロでいいんだろ」
「昨日は運んだだけ、今日は流しただけ。ずいぶん変わった仕事が続くね」
「どっちも報酬が出るなら、俺は文句ない」
受付職員は作業員の確認欄も読み、帳簿へ印を付けた。
「排水路の詰まり調査、完了。正式依頼は十一件です」
「よし!」
報酬袋を受け取り、すぐに窓口へ身を乗り出した。
「昇格審査をお願いできますか?」
「記録を確認します。お二人とも、こちらでお待ちください」
待合の長椅子へ座る。
ミレアは洗ったばかりの手を確かめ、俺は登録札を握ったまま呼ばれるのを待った。
正式依頼十一件。
倉庫の調査も、薬草の採集も、荷車の護衛もやった。
今日なんて、スライムを一匹も倒していない。
それでも、失敗せずにここまで仕事を続けてきた。
そろそろEランクへの扉が開いてもいい頃だと思う。
「足、動いてるよ」
「動かしてない」
「今、止めたでしょ」
言い返す前に名前が呼ばれた。
「トウマさん、ミレアさん。お二人とも、昇格確認依頼を受ける条件を満たしています」
「やった!」
「昇格自体はまだですよ。確認依頼の結果を見てからです」
「分かってます!」
職員は机に依頼票を一枚置いた。
俺は強い魔物の討伐か、難しい護衛を予想していた。
昇格のための特別な仕事だ。きっと、それなりの試練が用意されているんだろう。
ところが、紙の一行目にはこう書かれていた。
『行方不明者捜索 二名』
昨日から戻っていない採集人が二人。
最後の目撃場所は、北西の林道沿いだという。
「……これが昇格確認ですか?」
「はい。行方不明者の捜索です」
「魔物の討伐じゃないんですね」
「戦闘が必要かどうかは現場次第です。安全を確かめ、二人の行方を調べてください」
俺は依頼票をもう一度読んだ。
依頼人の欄、最後の目撃場所、必要な報告事項。
どこまで探すべきかも、まだ分からない。
しかも、倒すべき魔物の名前が一つも書かれていなかった。
……これ、今日の排水路よりずっと難しくないか?




