第21話 迷宮の入口は荷物を運んでも開かない
「迷宮の中へ入る許可は、荷物を運んでも付かないんですか?」
「付きません」
受付の女性に即答された。北西迷宮管理所への補給依頼はFランクでも受けられる。終われば正式依頼は十件。迷宮の入口も見られるなら、お得な仕事だ。
「入口から少し覗くだけでも?」
「見学は依頼に含まれません。担当は管理所までの運搬です」
「分かってますって。中には入りませんよ」
「今、入る許可を聞いてたよね」
ミレアに依頼票を取り上げられた。欄外には『受領印のある納品書を持ち帰ること』と書かれている。迷宮を目前にして書類仕事か。前世のゲームなら、もっと派手な音が鳴ったはずなんだが。
*
ギルド裏の倉庫へ行くと、担当の男が小さな手押し車を用意していた。その横に木箱が四つと麻袋が二つ。乾燥食、灯り用の油、包帯、消毒用の薬液、記録用の紙束をまとめた荷物らしい。
「箱は開けないでください。ここで数と封を確かめます」
男は荷札を指で追い、木箱を一つずつ確かめる。麻袋の口には封印紐が結ばれていて、どれも切れていなかった。
「木箱四、麻袋二。受領先で同じ数を確かめてもらってください。印をもらった紙をギルドへ戻すまでが依頼です」
「荷物を届けるだけじゃ終わらないんですか?」
「紙がなければ、誰に渡したかも分からないでしょう」
もっともだ。ハルディンの野菜の受け渡しとは違う。荷物が多ければ紙も必要か。
試しに手押し車の取っ手を持つと、左前腕に力が入った。痛むほどではないが、坂道でこれを続けるのは避けたい。
「平らなところは俺が押す。坂は交代しよう」
「分かった。あたしも左肩はまだ重いの嫌だから、二人で様子を見ながらね」
ミレアは荷台の縄を確認した。積み荷を安定させるため、出発前に結び目を締め直す。そこまで済ませてから手押し車を動かした。
北西門を出ると、道はゆるい上りになった。空の採集籠を背負って出ていく者もいれば、泥の付いた靴で戻ってくる者もいる。武器を持つ冒険者の間を、物資を運ぶ車が何台も通っていた。
「魔法鞄があったら、これ全部持って歩けるのにな」
「その鞄を買うお金で、何回運搬を頼めると思う?」
「買うんじゃなくて拾うんだって」
「迷宮の外で見つけたら落とし物でしょ」
「中身を確認して持ち主を――」
「先に管理所へ届けなさい」
拾ってもいない鞄の返却方法を決められてしまった。
坂の途中で、荷台から小さく木の擦れる音がした。振り返ると、一番上の木箱が後ろへずれている。縄は緩んでいないが、箱同士の間に隙間ができていた。
「止めよう。これ以上上る前に直す」
車輪が動かないよう道端の平らな場所へ寄せた。箱を持ち上げようとするとミレアが手を止める。
「左腕。大丈夫?」
「少しずらすだけだよ。……いや、二人でやろう」
重い箱を荷台の前側へ寄せ、麻袋を間の隙間へ収める。荷札と封印紐を傷めないよう位置を確かめ、結び目を締め直した。さらに手持ちの短い予備縄を箱に回し、横へずれないよう固定する。
「最初からこうしておけばよかったね」
「荷物の種類は分かってたけど、坂でどう動くかまでは考えてなかった」
「地図には坂が書いてあったのに?」
「……正確には、坂があることしか考えてなかった」
ミレアが笑った。前回の護衛では荷車の横を歩くだけで済んだのに、今回は自分で荷を動かさなきゃいけない。
*
道端の案内板が増え始めた。
北西迷宮管理所。入場記録。素材持ち込み口。負傷者搬送路。最後の札だけ、文字がやけに大きい。
「あれじゃない?」
ミレアが前を指した。低い石造りの建物が並び、その向こうの斜面に大きな穴が開いている。穴の縁は石で補強され、手前には柵と受付台が置かれていた。
これが北西迷宮か。
巨大な扉も光る門もない。武器を持った人たちが、むき出しの山肌へ次々と入っていく。
「もうちょっと近くで――」
「止まって! 通路を空けて!」
鋭い声が響いた。俺たちに向けた声ではない。
入口から二人の冒険者が出てきていた。一人はもう一人の肩を支え、ほとんど引きずるように歩いている。支えられた男のズボンは膝下まで赤く染まっていた。
「担架を! 治療箱も持ってきて!」
管理所の職員が駆けていく。俺とミレアはすぐ手押し車を通路の端へ寄せ、車輪が動かないよう押さえた。
「第一層だ! 曲がり角に二匹いた!」
「歩かせないで。そこへ座らせて!」
付き添いの冒険者が息を切らして説明し、別の職員が手早く指示を出した。包帯の入った箱が運ばれていく。その箱の印を見て、手押し車の荷札が頭に浮かんだ。
同じ印だ。俺たちの木箱にも『治療用品』と書いてある。
「トウマ、先に届けよう」
「ああ」
さっきまで見たかった入口を通り過ぎ、管理所の受領窓口へ向かった。
「ルーヴェルのギルドから補給物資です。木箱四つ、麻袋二つ。納品書もあります」
職員は紙を受け取り、荷札と封を確かめた。負傷者の騒ぎで急いでいる様子だったが、一つずつ数える手は止めない。
「四と二、間違いなし。治療用品の箱はこっちへ」
担当者は箱の封を確かめ、俺が結んだ予備の縄を外して返してくれた。治療用品の箱は別の職員に渡され、建物の奥へ運ばれていく。
「ちょうど減っていたところだ。助かった」
決められた荷物を運んだだけだ。それでも箱の行き先が分かると、さっき聞こえた叫び声が耳から離れなくなった。
「受領印を押す。紙を折らずに持ち帰ってくれ」
紙を受け取り、市内地図の間に挟んだ。ここでなくしたら、荷物を全部運んだ意味がなくなる。
*
「少しだけ入口を見てもいいですか?」
仕事を終えたあと、管理所の職員に尋ねた。中には入れないのは分かっている。せめて掲示板の注意書きくらいは見たい。
「立入禁止の線を越えないなら構わない。ただし搬送路は塞がないこと」
近くの壁には第一層の注意事項が掲示されていた。西寄りの区画で岩甲虫が増えていること、通行を止めている道があること、地図と現場の指示を確認すること。
「Eランクになったら、あそこへ入れるんですよね?」
「基本はな。入場記録を付けて、地図を確認してからだ。許可されていない道には入れない」
「宝箱を見つけたら?」
「まず管理規則だ」
また書類か。まあ、盗まれた物と見分けが付かないのも困るし、仕方ない。
入口の脇では、別の冒険者たちが泥を落としていた。一人が岩甲虫の背甲を抱え、隣では腹が減ったと騒いでいる。無事に帰った人もいるらしい。
「行きたい?」
ミレアは入口を見ていた。
「行きたい。あの中に魔法鞄があるかもしれないからな」
「さっきの怪我を見ても?」
「見たから、準備する。包帯も帰り道も、使うときに初めて考えるんじゃ遅いだろ」
「……なら、あたしも入る前にいろいろ確かめたい」
ミレアは掲示板の端へ移り、閉鎖されている通路の札を読み始めた。俺も後ろから確かめる。青い札と赤い札の違いは覚えておいた方がよさそうだ。
しばらく見ていたら、ミレアが腕を引いた。
「ねえ。受領印をギルドへ返すまでが依頼でしょ」
「……あっ」
また書類のことを忘れていた。
*
空になった手押し車は、帰りの坂で軽かった。行きに苦労した箱のずれも、今は心配しなくていい。
「魔法鞄があれば、往復とも楽なのにな」
「さっきの怪我を見て、最初に出てくる感想がそれ?」
「もちろん持って帰る包帯も増やす。鞄があれば運べるし」
「そういう話じゃないんだけど……」
ミレアが呆れていたが、俺は少し本気だった。ハルディンには治療師が常駐していない。怪我人を運ぶ道も、薬の置き場所も、迷宮の管理所ほど整ってはいない。
いつか村にも人が集まるようになったら、救護のための道と備品を用意した方がいいだろう。そうすれば俺が怪我をしたときも、遠くまで治療師を呼びに走らずに済む。
ギルドへ戻ると、倉庫担当に手押し車を返した。受領印のある納品書は受付へ提出する。
「北西迷宮管理所への補給。確認しました。正式依頼は十件ですね」
職員が帳簿に印を押した。報酬袋と二人分の登録札を受け取る。
「十件! じゃあ、昇格の確認依頼を――」
「審査の申し込みからです。確認依頼はそのあとになります」
「今すぐ申し込めます?」
「記録の確認は受け付けられます。ただ、必要な判断をできるかどうかは件数だけでは分かりませんから」
ここでも順番があった。仕方ない。迷宮で荷物を忘れて逃げるくらいなら、地上で仕事を重ねておく方がいい。
登録札をしまいながら掲示板へ目を向ける。Eランク専用の依頼より手前に、市街地の仕事が一枚増えていた。
『排水路の詰まり調査』
「……ミレア。あの仕事、魔物を倒すより楽そうじゃないか?」
「その依頼票、下に『臭気あり』って書いてるよ」
俺は手を伸ばしかけたまま止まった。




