第20話 護衛依頼は魔物を倒さなくても終わるらしい
「そいつに近づきすぎるなよ。角で鞄を引っかけるからな」
南西門の外で荷車を確かめていた俺は、御者の男に声を掛けられた。振り返ると、灰色の体毛に短い角を生やした荷引き魔物が、俺の鞄の紐を鼻先で押している。
「……人の荷物を食おうとするのか?」
「食わん。引っ張るだけだ」
「それも困るんですけど」
紐を引き寄せると、荷引き魔物は興味を失ったように道端の草を食べ始めた。御者は慣れた手つきで首の革具を直し、俺たちの登録札を確かめる。
「冒険者の二人だな。俺はロッソだ。農園まで半日もかからんが、途中の草地には気をつけろ。最近ジャッカルが出る」
「草原ジャッカルですか。何匹くらい?」
「数えに行く仕事じゃない」
初対面なのに、もう注意された。
荷台には木箱と麻袋、それから細長い鉄材が積まれている。先日の農園で壊れた柵の話をしたから、修理用の材料も混ざっているのかもしれない。
「中身、確認しなくていいんですか?」
「積む前に済ませた。荷札もある。お前らは荷を動かさず、車から離れずに守ってくれ」
ロッソは荷台の後ろを叩いた。
「これを積んだまま届けられりゃ俺は文句ない。魔物を何匹倒したって、農園じゃ飯にならんからな」
「なるほど」
実に分かりやすい。
俺たちは荷車の左右に分かれて歩き始めた。ミレアが右、俺が左。道の様子を確かめながら進み、互いに見えない側を補うつもりだ。
これが終われば正式依頼は九件。次で十件に届く。
その先には昇格確認依頼がある。迷宮への入場条件を満たせば、高い魔法鞄を買わずに済む道が開けるかもしれない。
そう考えると、歩く足にも力が入った。
「トウマ、前」
「ん?」
ミレアの声に顔を上げると、道の真ん中に深い窪みがあった。
慌てて避けた直後、荷車の片輪が沈んで大きく揺れる。
「おい、護衛が先に転ぶなよ」
御者台からロッソが笑った。
「転んでません!」
「もう一歩だったな」
「ミレアまで言うなよ!」
荷車は無事だった。ロッソは一度止めて積み荷の縄を確かめ、問題がないと見ると再び歩き始める。
……まずは足元からちゃんと見よう。
*
南西門から離れるにつれ、畑の数が減っていった。
街道の左右には背の低い草が広がり、ところどころに灌木が生えている。見通しは悪くないが、木の陰に身を伏せれば小型の魔物なら隠れられそうだ。
荷車の車輪が乾いた土を踏む音を聞きながら、草の揺れを確かめる。
先に異変を見つけたのはミレアだった。
「右。何かいる」
短い声に、俺も顔を向けた。
灌木の間で灰茶色の背中が動いている。細長い脚と尖った耳。草原ジャッカルだ。
一匹だけ見えるが、ほかにも潜んでいる可能性はある。
「ロッソさん、右にジャッカルです。止めますか?」
「急には止めるな。荷引きが驚く」
ロッソが手綱を引き、少しずつ速度を落とした。
荷引き魔物はまだ落ち着いている。ジャッカルもすぐには近づかず、こちらと一定の距離を保ったまま並んで歩いていた。
「追い払った方がいい?」
ミレアの右手が短剣へ伸びる。
「まだ待とう。寄ってこなければ、そのまま進める」
「……左にもいる」
視線を動かすと、反対側の草が不自然に揺れた。
こっちを挟むつもりらしい。
右の一匹は少し離れている。駆け寄れば剣の間合いまで詰められるかもしれない。
そう考えた直後、そいつが街道から遠ざかるように走った。
思わず足を踏み出しかける。
「トウマ!」
ミレアの声で止まった。
左側の草むらから、別のジャッカルが荷車に近づいている。
……なるほど。
俺が右を追えば、荷車の守りが薄くなる。
「何してんの! 戻って!」
「分かってる!」
荷車の左後方へ戻り、腰の剣を確かめた。
追いかけて倒すのは難しくないかもしれない。しかし、その間に荷引き魔物を襲われたら依頼は失敗だ。
最初から条件に書いてあった。
追跡は依頼外。
どうやら今回は、敵を倒して終わりというゲームの常識が通用しないらしい。
「ロッソさん、何か大きな音を出せるものはありますか?」
「音?」
「近づかせないために使いたいんです」
ロッソは荷引き魔物を一度見てから、荷台の脇に吊った金属桶を指さした。
「水くみ用だ。へこませるなよ」
「十分です」
「それと何度も鳴らすな。こいつが驚く」
荷引き魔物を顎で示されたので、頷いて桶を外した。
鞘に収めたままの剣を手に取り、金属桶を一度だけ叩く。
カァン、と甲高い音が草地へ響いた。
荷引き魔物の耳がぴくりと動く。ロッソが手綱を短く持ち直したのを見て、俺は二度目をやめた。
左側のジャッカルも足を止めている。
「効いたみたいだね」
「まだ逃げてないけどな」
桶を荷車へ戻す。
ジャッカルはしばらくこちらを見ていたが、やがて身を低くした。
ミレアが短剣を抜き、荷車の左側へ回る。
「追い込む?」
「いや。近づいたところを押し返そう」
「了解」
俺は街道脇の乾いた土へ目を向けた。
今日の風は弱い。なら、少し手を加えれば使える。
「《ブリーズ》」
風が足元の砂と枯れ草を巻き上げ、ジャッカルの正面へ流れていく。
顔に砂を受けたジャッカルが頭を振った。
その隙にミレアが前へ出る。
といっても、飛びかかる距離までは近づかない。荷車を背にしたまま短剣を構え、地面を強く蹴った。
「来るなら来な!」
猫耳を伏せ、尻尾を大きく振る。
ジャッカルは一瞬だけ身構えたが、すぐに一歩下がった。
よし。
これなら追わなくても離れてくれる。
ところが、右側にいた一匹が再び走り始めた。
今度は荷車の後ろへ回り込んでいく。
「後ろだ!」
ロッソが声を上げる。
振り返ると、灌木の陰からさらに別のジャッカルが現れた。
さっきから見えていた連中だけじゃないらしい。
荷引き魔物はすでに後方を気にしている。ロッソは手綱を持ち直し、逃げ出さないよう声を掛けていた。
俺は荷車の後ろへ回った。
ジャッカルとの距離を確かめる。
このまま飛びかかってきたら、剣で受けるしかない。ただし左腕の傷は閉じたばかりだ。無理な受け方をすれば、また悪くする。
剣を抜き、右手で低く構えた。
ジャッカルが一歩進む。
こちらも半歩だけ位置を変え、荷車へ向かう道を塞ぐ。
しばらく睨み合った。
向こうは俺の横を抜けたいらしいが、思ったように隙間ができない。大きく回れば荷車から遠ざかってしまう。
最初に動いたのはジャッカルだった。
頭を低くしたまま横へ退き、草むらの中へ消える。
左右の気配も少しずつ遠ざかっていった。
「……行った?」
ミレアが短剣を下げた。
「まだ分からない。戻ってくるかもしれない」
「よし。しばらくはそのまま警戒してくれ」
ロッソが荷引き魔物の首を撫でる。
落ち着いたのを確かめてから、ゆっくり荷車を動かした。
草原ジャッカルの姿が見えなくなっても、俺たちは荷車の左右から離れなかった。
倒した魔物は一匹もいない。
それでも、荷引き魔物は怪我をせず、積み荷も無事だった。
……こういう経験でも《超成長》は働くんだろうか。
今のところ、俺自身はまったく強くなった気がしないんだけど。
*
「おう、来たか!」
共同農園へ着くと、受け取り担当の男が荷台を覗き込んだ。
ロッソは荷引き魔物を落ち着かせ、荷台の縄を解き始める。
木箱を一つずつ下ろし、麻袋と鉄材の数を確かめてもらう。俺たちも手伝おうとしたが、重いものは運ばなくていいと言われた。
「怪我してるんだろ。受け取りはこっちでやる」
「ありがとうございます」
「その代わり、荷札の確認を頼めるか?」
「はい」
俺は荷札を読み上げ、ミレアが受け取り担当の帳面と照らし合わせた。
木箱も麻袋も数が合っている。
細長い鉄材も、曲がったものや抜けたものはなかった。
「全部そろってるな。助かったよ」
受け取り担当が荷札へ印を押す。
ロッソは俺たちの依頼票を受け取り、報告欄へ短く書き込んだ。
『討伐なし。積み荷の損害なし。道中で草原ジャッカル複数。追跡せず護衛継続』
……それだけ?
「ロッソさん、もう少し何か書けませんか?」
「何をだ?」
「ほら、機転を利かせて追い払ったとか」
「桶を叩いたと書くか?」
「それは別にいいです」
隣でミレアが吹き出した。
ロッソは笑いながら最後に一行を書き足した。
『護衛対象から離れず、判断に問題なし』
「これでいいか?」
「十分です!」
「最初からそれが欲しかったんだろ」
……ばれていた。
受け取り担当は報告欄を読み、俺たちの方を見た。
「討伐なしでも、荷が無事ならこっちは助かるよ。ジャッカルを追いかけて荷車を放り出される方が困る」
「やっぱりそうですよね」
「そうだとも。畑で使う材料は決まった日に届かないと作業が止まるからな」
男は荷台の鉄材を指した。
「今日届かなかったら、明日の柵の修理ができないところだった」
なるほど。
もし魔物を追いかけて荷車から離れていたら、農園の修理まで遅らせていたかもしれない。
俺は荷台を見直した。
ハルディンにも荷車は通るが、道が悪くて遅れることがある。今日みたいな魔物の危険まで重なれば、宿屋に客が来ないのも無理はない。
故郷に人を集めるなら、道を整えて、荷物がちゃんと届くようにする必要がありそうだ。
……結局、楽して暮らすためには街道のことまで考えなきゃいけないのか。
前世の町って、本当に便利だったんだな。
*
帰りは空になった荷車に乗せてもらえた。
ロッソが「どうせ戻るからな」と言ってくれたので、ありがたく甘えることにした。報酬の一部というわけではないが、歩かずに済むなら十分な得だ。
荷台へ座り、鞄を横へ置く。
ミレアも隣へ腰を下ろした。
「疲れた?」
「少しな。でも、今日は思ったより楽だった」
「途中でジャッカルに囲まれたのに?」
「戦わずに済んだだろ。剣もほとんど使ってないし、帰りは荷車に乗れる」
「……あんた、本当に楽したいだけなんだね」
「何を今さら」
草地へ差しかかったところで、遠くの丘に灰色の影が見えた。
ジャッカルだ。
向こうもこちらを見ていたが、近づいてはこない。
「倒さなくても終わるんだね」
ミレアがぽつりと言った。
「護衛だからな」
「不満じゃない?」
「いや。むしろ、これで金がもらえるならいい仕事だ」
倒せば魔石や素材が手に入ったかもしれないが、今回は荷車を守っただけで十分だ。
それに、桶の使い方も覚えた。
「次からは威嚇用の桶を持っていけば――」
「買わないでよ」
「まだ買うとは言ってないだろ!」
「じゃあ何するつもりだったの?」
「……買う前に値段だけ見る」
「それ、絶対買うやつじゃん!」
御者台からロッソの笑い声が聞こえた。
ルーヴェルへ戻ったころには、もう夕方だった。
ギルドの報告窓口で受領印の付いた依頼票を渡し、道中の出来事を説明する。
職員はロッソの書いた報告欄を確認すると、討伐数のところで一度だけ顔を上げた。
「草原ジャッカルは追わなかったんですね」
「はい。荷車から離れないことが条件だったので」
「結構です。護衛対象の安全を優先できています」
職員は帳簿へ記録を書き込み、登録札を返してくれた。
これで正式依頼は九件。
あと一件で、十件の条件を満たせる。
もっとも、そのあとに昇格確認依頼があるから、まだEランクになれるわけじゃない。
「……次の依頼、どうする?」
登録札をしまいながらミレアが聞いてきた。
「できれば今日みたいな仕事がいいな。歩く距離が短くて、危険が少なくて、それでいて報酬が――」
「そんな都合のいい依頼が残ってると思う?」
「探すだけなら無料だろ」
掲示板へ向き直ったところで、ミレアが俺の背中を押した。
「今日は帰って休むの!」
「まだ夕方だぞ!」
「朝から働いたでしょ!」
依頼板から遠ざかりながら、俺は明日見るべき場所だけ目に焼きつけておいた。
北西迷宮の関連依頼が並ぶ、あの一角だ。




