第2話 この村には足りないものしかなかった
「そっち通らないで! 水がこぼれる!」
水くみ場へ着いて早々、俺は桶を持った女の人に怒られた。
いや、俺は通路の端に立っていただけだ。
目の前では、水をくみ終えた人と空桶を持ってきた人が、狭い道ですれ違おうとしていた。
双方が右へ避け、次は左へ避ける。ようやく通れそうになったところで、満水の桶が傾いた。
ばしゃっ、と水が足元へ散る。
「……これ、毎朝やってるのか?」
「やってるよ。あんたも今まで水くみに来てたでしょ」
隣でミレアが答えた。
「そうなんだけどさ。改めて見ると、とんでもなく面倒じゃないか?」
「面倒だからって、今日は代わりに運ばないからね」
「何で分かった」
「あんたが言いそうなことくらい分かる」
ミレアは空桶を持った人が通れるよう、一歩道を空けた。
俺は石垣に手を置き、人の流れを眺めた。
水をくむ場所は一つなのに、来る人と帰る人が同じ道を使っている。水をこぼさないように避けるたび、後ろの人まで足を止めることになっていた。
村で十六年暮らしてきて、今さら気づくとは。
異世界生活、思っていたより手ごわい。
*
そもそも、今日の外出が許されるまでに一騒動あった。
ボアにはねられてから十日。ようやく食事を普通に取れるようになり、寝台から起きても目が回らなくなった。
だったら、少しくらい訓練を再開してもいいだろう。
そう考えて木剣を持ち上げたところで、母さんに見つかった。
「何してるの?」
「……握力の確認」
「木剣で?」
「持ち方を忘れてないか、確認してただけで」
「じゃあ確認は終わり。返しなさい」
差し出された手に木剣を渡す。
もう一度頼んでみようとしたところで、戸口からミレアが顔を出した。
「歩くくらいならいいんでしょ?」
「本当か!」
「治療師の先生が言ってたじゃん。目まいが治まったら、昼間に少し歩く程度はいいって」
母さんが腕を組んだ。
「でも、三週間は安静にする約束だよ」
「分かってるって。走ったりしないから」
「頭が痛くなったら、すぐに帰ること。重い物も持たない」
「もちろん」
「ミレアちゃん、一緒にいてくれる?」
「うん。無茶しそうになったら連れて帰る」
「頼んだよ」
「俺の意見は?」
「あと、変なものを拾ってこないこと」
母さんは俺の質問を無視して条件を追加した。
……俺、十六歳なんだけど。
「七歳のとき、畑から錆びた釘を山ほど拾ってきただろ」
「あれは使える素材だったんだ」
「使わないで済んでよかったよ」
またしても意見が通らなかった。
*
そして現在。
厳しい条件付きで、俺は水くみ場にいる。
さっき水をこぼした女の人は、桶を持ち直していた。向かいの男も道を譲ろうとしているが、どちらへ動けばいいのか分からないらしい。
「水をくむ人と、運び出す人の道を分けたらどうだろう」
ミレアが周りを見回した。
「どこを通すの? 石垣の脇は狭いよ」
「空桶なら、そこを通れるだろ。水をくんだ人には広い方を使ってもらうんだ」
「……ああ。重い桶を持ってる人を優先するわけね」
石垣の脇には、人が一人通れるくらいの細い場所がある。そこに空桶の待機列を寄せれば、広い道を帰り道に使えそうだった。
俺は女の人に声をかけた。
「ちょっと試してもいいですか?」
「何を?」
「空桶を持ってきた人に、石垣の脇へ並んでもらうんです。水をくんだ人は広い道から帰る。そうすれば途中でぶつからないと思って」
女の人はすぐには返事をしなかった。
石垣と道を見比べ、それから順番待ちの人数を確かめる。
「朝はもっと人が多いよ。そっちへ並べたら、今度は道を塞ぐんじゃないかい?」
「そのときは並び方を変えるしかないです。でも、今なら試せませんか」
「……まあ、今くらいの人数ならね」
許可が出た。
よし、初めての拠点改善である。
「じゃあ俺が桶を――」
「持たない」
ミレアに袖をつかまれた。
「空の桶なら軽いだろ?」
「何個も運び始めるに決まってる」
「二個くらいなら」
「ほら、もう増えた」
言い返せなかった。
仕方なく俺は置き場所を示し、空桶を持った男の人に動かしてもらった。
待つ人は石垣沿いに一列。水をくみ終えた人は、広い道から出ていく。
まずは二人に試してもらう。
「ああ、これならぶつからないね」
「桶を置く場所だけ決めておけばよさそうだ」
女の人が満水の桶を持ち、ゆっくり歩いていく。
向こうから来た人も止まらずに済んだ。桶の水面は揺れたが、今度は一滴もこぼれない。
……成功だ。
何の材料も使っていないし、金もかかっていない。ただ並ぶ場所を変えただけで、人がすれ違えるようになった。
これなら俺も、水くみに来たとき余計な時間を取られずに済む。
「明日の朝も試してみるよ。混んだら別のやり方を考えないとね」
女の人はそう言い、俺の顔を見た。
「トウマ、事故の前から畑仕事はよくしてたけど、村のみんなの仕事まで考えるようになったんだね」
「いや、俺が朝から水を運ぶの面倒なので」
「自分の苦労だけじゃなく、ほかの人の苦労も減らしたいってことだろ? 感心したよ」
「……え?」
女の人は頷き、水の入った桶を持って帰っていった。
ミレアが横で笑いをこらえている。
「何だよ」
「いや。あんた、得してるなと思って」
「どこが?」
「別に。水くみが楽になってよかったじゃん」
確かに、それはそうだ。
朝の混雑でも通用するかは分からないが、とりあえず最初の拠点改善はできたらしい。
*
「次は灯りだな」
水場を離れ、村の外周へ続く道を歩きながら言った。
「この道、夜になると真っ暗だろ」
「うん。それが?」
「前世の町なら、道の両側に灯りがあったんだ。ここにも置けばいい」
「置いたあと、誰が毎晩灯すの?」
「……魔法とか」
「朝になったら?」
「消せばいい」
「誰が?」
そこで口を閉じた。
灯りを増やすのはいい。でも、その管理のために毎晩村じゅうを歩き回るのは嫌だ。
楽をするための設備なのに、俺の仕事が増えてしまう。
「……勝手につく灯りを作ればいいんだ」
「できるの?」
「今は分からない」
「じゃあ、まずボルドに聞くことね」
ミレアは道の先にある鍛冶場を指した。
開いた扉の奥から、鉄を打つ音が聞こえてくる。
そうだ。俺が一から作れなくても、この村には職人がいる。
ボルドなら何か方法を知っているかもしれない。もっとも、相談だけで済むとしても、材料や加工には金がかかるだろう。
「……先に稼ぐか」
「そうして。あんたが毎晩灯りをつけに来るのは、あたしも嫌だし」
「何でお前が嫌がるんだ?」
「どうせ途中で面倒になって、あたしを呼ぶから」
否定しようとして、やめた。
ちょっとだけ頼む可能性はある。
*
鍛冶場の前を通り過ぎると、宿屋が見えた。
扉は開いていて、外には荷車を寄せる場所もある。けれど、旅人らしい姿は見当たらなかった。
「……宿屋はあるんだよな」
「あるよ。客が少ないだけ」
「もっと立派にすれば人が来るかな」
「誰が泊まるの?」
「旅人とか」
「旅人が来ないから、客が少ないんでしょ」
もっともだった。
建物だけ立派にしても、人が来なければ何にもならない。
宿屋の前を荷車が一台通り過ぎた。車輪の音を響かせながら、村の外へ向かっていく。
御者はこちらを振り向きもしなかった。
「……外の町って、ここより人が多いんだよな」
「ルーヴェルなら、ずっと多いって聞くけど」
「だったら店も仕事もたくさんあるはずだ」
「うん」
ミレアは荷車の消えた道を見たまま、もう一度頷いた。
「あたし、いつかあの先へ行きたいんだよね」
「ルーヴェルへ?」
「そこも。その先も」
猫耳が、遠ざかる車輪の音を追うように動く。
「村の外には、人も町もいっぱいあるんでしょ。聞くだけじゃ分かんないじゃん。あたしは自分で見たい」
そんなことを考えていたのか。
ミレアはいつも訓練に付き合ってくれるし、村の仕事も手伝っている。けれど、本人がこれから何をしたいのかは、あまり聞いたことがなかった。
「じゃあ、一緒に行けばいい」
「……簡単に言うわね」
「二人なら荷物も分けられるし、道も覚えやすいだろ」
「荷物持ちにする気?」
「違うって。役割分担だよ」
「それ、言い方を変えただけじゃない?」
ミレアは笑いながら、俺の背中を軽く叩いた。
「まずは、あんたの頭がちゃんと治ってからね」
*
ギルドの出張所へ着いたところで、俺は足を止めた。
小さな建物の外に掲示板があり、数枚の依頼票が留められている。
畑の害獣駆除、柵の見回り、荷物運び。
どれも地味な仕事だ。
けれど、その下にはちゃんと報酬が書いてあった。
「……これだ」
「何が?」
「資金稼ぎだよ。冒険者になって依頼をこなせば、村を便利にする金が集められる」
「建物を作るには、かなりかかるんじゃない?」
「最初は小さいことからでいい。今日の水場だって、金を使わずに少しは改善できた」
ミレアが掲示板を見た。
「でも、今日は登録できないよ。まだ安静中だし」
「分かってる。三週間が終わったら――」
文字が二重に見えた。
あれ?
目をこすっても、依頼票の文字が重なったままだ。足元まで頼りなくなり、俺は掲示板から手を離した。
「トウマ?」
ミレアがすぐ隣に来た。
額を押さえると、指先に汗がついた。立っていられないほどではないが、足も妙に重い。
「……少し休もう」
「もう帰るよ」
「でも、まだ依頼を全部――」
「あとで見ればいいでしょ」
ミレアは近くの石垣を指した。
「一回座って。顔色が悪い」
言われたとおり腰を下ろした。
母さんには少し歩くだけだと約束したのに、水場から鍛冶場、宿屋、出張所まで来てしまった。
十日も寝ていた体には、少々欲張りすぎたらしい。
《超成長》があるからって、休まずに動けるわけじゃないんだな。
「……悪い」
「別に。あたしが一緒に行くって言ったんだし」
ミレアは俺の隣で立ち止まり、歩き出そうとはしなかった。
しばらく休むと文字の重なりも消えたが、今日はもう帰った方がよさそうだ。
「帰ろう」
「うん」
今度は、最初からゆっくり歩いた。
*
帰り道、俺は今日見たものを思い返していた。
水場では人の流れを少し変えられた。灯りは管理する人と金が必要そうだし、治療師は呼ばなければ来てくれない。
便利な町にするには、まだまだ足りないものがある。
そう考えたところで、視界の端に青白い文字が現れた。
【拠点メモ:ハルディンに足りないもの】
・灯り
・水
・治療師
よし。
やっぱり拠点育成クエストは進んでいる。
今日は水場で最初の改善も試せた。この調子で金と人を集めていけば、いずれ何もしなくても暮らせる町になるはずだ。
「トウマ」
「何だ?」
「あんた、本当にこの村を町にする気なの?」
「本気だぞ。そうすれば毎朝水をくまなくて済むし、夜の畑番だって誰かに任せられる」
「……結局、楽したいだけじゃん」
「だからそう言ってるだろ」
「そこは少し隠しなさいよ!」
ミレアは笑い、また村の外へ続く道を見た。
俺はギルドの出張所がある方角を指した。
「安静が終わったら冒険者登録だ。まず金を稼がないと何も始まらない」
「じゃあ、あたしも登録する」
「……本当に?」
「うん。あんたがハルディンを便利にしたいなら、あたしはその先を見てみたい。どうせ外へ行くなら、最初は一緒の方がいいでしょ」
「いいな。俺には《超成長》もあるし」
「それは信じてないけどね」
「いつか分かるさ」
「はいはい」
ミレアは俺の歩幅に合わせていた足を速め、石垣の向こうへ先に出た。
「じゃあ、安静が終わったらギルドでね。あたしが先に登録しても知らないから!」
……あいつ、俺より楽しみにしてないか?




