第1話 前世の俺は夜でも明るい町に住んでいた
主人公のトウマが目指すのは、ただ一つ。
「誰よりも楽をして暮らすこと」
ところが、そのために努力を重ねるうちに、なぜかどんどん忙しくなっていく……。
そんな少し変わった主人公と仲間たちが繰り広げる、冒険と成長、そして町づくりの物語です。
笑いあり、苦労あり、ときには真剣な戦いもあり。
初めての方も、以前読んでくださっていた方も、トウマたちの新しい物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします!
「母さん。俺、車にはねられて死んだはずなんだけど」
「……何に?」
「車」
「ボアだよ」
目覚めて最初の会話が、これだった。
母さんは俺の額から濡れた布を取り上げると、自分の額に押し当てた。顔色が悪い。どうやら転生先の母親を、いきなり驚かせてしまったらしい。
「トウマ。母さんが分かる?」
「エナ母さん。父さんはダリオ。妹はリナ。俺は十六歳で、ここはハルディンの家だろ?」
「……そう。そうだよ」
「それで俺、日本で死んだんだ」
母さんは布を水に浸し直した。
「父さんを呼んでくる」
待ってほしい。
俺の転生報告、全然信じてもらえてなくないか?
*
最後に見たのは、二つの光だった。
夜なのに明るい町。道の両側には光る看板が並び、窓という窓から明かりが漏れている。馬もいないのに車輪で走る乗り物が、絶え間なく行き交っていた。
日本。
そこで暮らしていた俺の名前は悠人。学校に通い、ゲームをして、腹が減れば店で食べ物を買う。そんな暮らしをしていたことは、ところどころ思い出せる。
そして、横から迫ってきた二つの光。
急に大きくなったかと思うと、体が宙に浮いた。地面に落ちた記憶はない。そこから先は、ぷっつり途切れている。
次にいたのは、真っ白な場所だった。
目の前には女神が立っていた。顔も服もぼんやりしているのに、不思議と女神だったことだけは分かる。
『あなたに一つ、力を授けましょう』
女神はそう言った。
『《超成長》。あらゆる経験から、誰よりも速く伸びていく力です』
そこから先は、やっぱり思い出せない。
けれど、十分だった。
前世の記憶。女神。特別な力。そして異世界への転生。物語の始まりとしては完璧である。
……ただし、一つだけ問題があった。
転生したはずの俺には、この世界で十六年間暮らした記憶まであるのだ。
初めて畑の畝を作った日も、父さんに罠の仕掛け方を教わった日も覚えている。ミレアと木剣で勝負して、あっさり転ばされたことだって忘れていない。
赤ん坊として生まれ直したわけでも、知らない誰かの体へ入り込んだわけでもない。
十六歳のトウマとして、俺はずっとここで暮らしてきた。
つまり、前世の記憶を持ったまま十六歳から再スタートできるということか。
女神様、ずいぶん気前がいいな。
*
「丸二日、起きなかった」
父さんは寝台の横へ木の杯を置いた。
畑仕事の服のままで、袖口には乾いた泥がついている。片方の手袋は指先が破れ、父さんはそれを直そうともせず腰に挟んでいた。
「柵の見回りの帰りだった。日が落ちかけて、俺たちはランタンを持ってた」
「覚えてるよ」
「ボアが横から飛び出してきたんだ。ランタンの明かりで、あいつの目が二つ光った。次にはお前がはね飛ばされてた」
「……二つの光?」
「ああ。避ける暇もなかった」
思わず寝台の上で身を起こした。
頭の奥がずきんと痛み、視界が揺れる。倒れかけたところを、父さんが背中に手を回して支えてくれた。
「まだ動くな。頭を強く打ったんだ」
「ボアにはねられて?」
「そうだ」
なるほど。
前世では車にはねられ、今世でもボアにはねられたわけか。死因と負傷原因まで似ているなんて、転生というのは妙なところで前世を引き継ぐらしい。
「父さん、柵はどうした?」
「直した」
「見回りは?」
「俺がやってる」
「……畑の水くみも?」
「母さんとリナがいる。お前は自分の頭だけ心配してろ」
父さんは水の入った杯を俺の手が届く場所へ置き直した。
いつもなら、とっくに畑へ戻っている時間だ。俺が寝込んだせいで、家族の仕事は増えているに違いない。
早く元気になって手伝わないと、あとでまとめて回ってきそうだ。
それは非常に困る。
「……あ、そうだ」
大事なことを忘れていた。
転生したからには、まず確認しなければならない。
「ステータス」
視界の真ん中に、青白い板が浮かんだ。
【ステータス】
名前:トウマ(前世:悠人)
Lv:1
ユニークスキル:《超成長》
「来た!」
思わず両手を上げた。
その瞬間、頭の奥に痛みが走る。
「いっ……!」
「だから動くなと言っただろ」
父さんに背中を支えられ、また寝かされた。
俺は毛布の中から、もう一度青い板を見た。
間違いない。ユニークスキル《超成長》だ。
説明どおりなら、経験を積めば積むほど強くなるはず。農作業でも訓練でも、普通の人間よりずっと多くの成長を得られるだろう。
だとすれば、やることは決まった。
訓練して、働いて、強くなる。そして早く金を稼いで、楽な暮らしを手に入れる。
……あれ?
楽をしたいのに、やることが多くないか?
「兄ちゃん、何見てるの?」
母さんの後ろから、リナが顔を出した。
「ステータス画面」
「すてーたす?」
「ほら、そこ。青い板が浮いてるだろ」
十二歳の妹は、俺の指さす先をじっと見つめた。
顔を右へ動かし、今度は左から覗き込む。
「……何もないよ」
「本当に?」
「うん」
「俺の名前と《超成長》って書いてあるだろ」
「兄ちゃんの名前なら知ってるよ」
それはそうだ。
「じゃあ、リナには見えない仕様なのか」
「仕様って何?」
「俺だけに見える仕組みってこと」
「最初からそう言ってよ」
妹の返答は、いつもどおり容赦がなかった。
*
「……生きてんじゃん」
扉を開けて入ってきたミレアは、俺を見るなりそんなことを言った。
赤茶色の髪があちこち跳ねている。琥珀色の目が俺をじっと見つめ、頭の猫耳が少しだけ後ろへ倒れた。
「おう。生きてるぞ」
「心配して損した」
「心配したんだ?」
「してない。言葉のあや」
ミレアは尻尾を一度だけ大きく振り、寝台へ近づいてきた。
俺と同じ十六歳の猫獣人で、昔からの幼なじみだ。足が速く、短剣も体術も俺より上手い。ただ、口はあまりよくない。
「名前、言える?」
「トウマ」
「あたしは?」
「ミレア。七歳のとき、俺が作った罠に足を引っかけて転んだ」
「……その話は忘れていいから」
「そのあと俺を蹴った」
「じゃあ、記憶は大丈夫そうね」
ミレアは寝台の端をつかんでいた手を離した。
よし。前世の話を聞いてもらうなら今だ。
「実は俺、日本って国で死んで、女神に会って――」
車にはねられたこと。真っ白な場所で女神から《超成長》を授かったこと。そして、今の俺には二人分の記憶があること。
順番に説明すると、ミレアは最後まで黙って聞いてくれた。
やっぱり幼なじみは違う。
「治療師の先生、もう村を出ちゃった?」
ミレアは母さんを振り返った。
「……さっき帰ったところだよ」
「呼び戻せないかな」
「おい」
俺は毛布を押しのけようとした。
「証拠もあるんだぞ。ここにステータス画面が――」
「どこ?」
「目の前だって」
指さした場所へ、ミレアが手を伸ばす。
指先が青い板を通り抜けた。
「……虫?」
「画面だよ!」
「だから、見えないっつってんでしょ」
仕方ない。転生者にしか見えない画面なのだろう。
俺が一人で納得していると、ミレアは腕を組んだ。
「で、その《超成長》ってやつがあれば、何でもできるわけ?」
「何でもってわけじゃない。努力すればすごく伸びるんだ」
「……努力はするんだ」
「当然だろ。成長が速いのに努力しないなんて損じゃないか」
ミレアは俺の頭から毛布までを眺めた。
「寝てろって言われてるのに?」
「そこなんだよ。三週間も寝てたらもったいないだろ」
「三週間は寝てなさい」
母さんが割り込んできた。
「先生に言われたでしょう。頭を強く打ってるんだから、三週間は安静にするの」
「いや、《超成長》があるなら、少しでも訓練した方が――」
「起き上がったら寝台に縛るよ」
母さんは笑っていなかった。
女神様。
せっかくチートをくれたなら、母親に勝てる交渉術も付けてほしかった。
*
「あっ、そうだ!」
リナが部屋から駆け出していった。
戻ってきたときには、古い紙を両手で持っている。
「母さんの箱にあった。兄ちゃん、これ覚えてる?」
端がすり切れた、四つ折りの紙。
広げると、子どもの字が五行並んでいた。
・まほうのない くに
・よるでも あかるい まち
・とおくの人と、いたで はなせる
・うまが いなくても はしる にぐるま
・みずくみを しなくていい いえ
紙を持つ手が止まった。
魔法のない国。夜でも明るい町。遠くの人と話せる板に、馬のいらない荷車。水くみをしなくていい家。
「……これ、七歳の俺が書いたのか?」
「そうだよ。兄ちゃん、変な国を考えるの好きだったじゃん」
リナは笑った。
でも、これは変な国なんかじゃない。
日本だ。
全部、前世の日本にあったものだ。
「やっぱり……。子どもの頃から、前世の記憶が出てたんだ」
「違うでしょ」
ミレアが横から紙を覗き込んだ。
「あんた、七つのとき夜の畑番が怖いって泣いてたじゃん。『夜でも明るかったらボアが見えるのに』って」
「泣いてない」
「泣いてた。あたし、隣にいたもん」
「……前世の記憶が混ざって、混乱してたんだろ」
「七歳で?」
「七歳だからだよ」
それなら説明がつく。
幼い俺は、前世の記憶をうまく言葉にできず、空想の国として紙に書いたのだ。
可哀想な七歳の俺。誰にも信じてもらえなかったんだな。
「その紙、あとで箱へ戻すからね」
母さんが手を差し出した。
「ちょっとだけ持ってていい?」
「読むだけだよ。起きるのは駄目」
「分かってるって」
「さっきもそう言って起き上がろうとしたでしょ」
反論できなかった。
紙は枕元へ残された。母さんはリナとミレアを部屋から出すと、俺の肩まで毛布を引き上げる。
最後に水の入った杯を確かめ、扉を閉めた。
少しして、台所から食器を洗う音が聞こえてきた。
*
日が暮れると、ハルディンはあっという間に暗くなる。
窓の外には畑と柵があるはずなのに、今はほとんど見えない。父さんが持っているランタンの明かりだけが、家の前の道をゆっくり移動していた。
前世の日本なら、夜中でも道は明るかった。
水は家の中まで届く。腹が減れば店へ行けばいいし、病気になれば町に医者がいた。
それに比べて、この村は不便すぎる。
毎朝、水を運ばなければならない。日が暮れたら柵を見回り、道具が壊れたら自分で直すか、ボルドの鍛冶場まで持っていく。治療師だって、いつでも村にいるわけじゃない。
元気になれば、俺にもその仕事が戻ってくる。
……嫌だな。
前世みたいに、楽して暮らしたい。
金を稼いで、大きな町へ引っ越すか?
けれど、ここには父さんと母さんがいて、リナがいる。畑も家も、十六年分の思い出もある。
全部捨てて移り住むのは、さすがに面倒だ。
だったら、ここを便利にした方がよくないか?
前世の町には、店の人も医者も、道具を直してくれる人もいた。人が集まれば、それぞれ得意な仕事をしてくれる。いちいち自分で全部やる必要がなくなる。
今夜だって、誰かが柵を見回ってくれたら、父さんは家で休めるのだ。
俺は枕元の紙を開いた。
七歳の俺が欲しがった五つのもの。
今の俺なら、それを実現できるかもしれない。
何しろ、女神から《超成長》をもらった転生者だ。
「……決めた」
窓の外で、ランタンの明かりが揺れた。
「この村を、前世みたいな町にする。人も便利なものも全部集めて、死ぬほど楽して暮らす」
視界の端に、青白い文字が浮かび上がった。
【メインクエスト】前世みたいな町
拠点:ハルディン
進行度:0%
やっぱりだ。
これは女神様からの拠点育成クエストに違いない。
あとは《超成長》で強くなり、金を稼いで、町に必要なものを少しずつ増やしていけばいい。
俺は紙を折り、枕の脇へ置いた。
「トウマ、まだ起きてるの?」
母さんの声が扉越しに聞こえた。
「今寝る!」
……まずは三週間、母さんの命令に従うところから始めよう。
俺は毛布をかぶった。
さっそく明日から、寝ながらできる訓練を考えなければ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
楽をするためなら努力を惜しまない、ちょっとおかしな主人公。
果たしてトウマは、夢に描いた理想の暮らしを手に入れられるのでしょうか。
彼の勘違いや、振り回される仲間たちとのやり取りも含めて、楽しんでいただければ幸いです。
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それでは、次回もよろしくお願いいたします!




