第16話 俺の予定表は薬草を生やしてくれない
「もう四半刻も遅れてるんだけど」
東門をくぐったところで、地図の裏に書いた予定を見直した。
工事中の道を避けて遠回りし、門前では荷車の列に引っかかった。おまけにミレアが焼き菓子の屋台へ寄ったせいで、想定していた出発時刻からずいぶん遅れている。
「あたしのせいみたいに言わないでよ。一個しか買ってないでしょ」
「その一個のために並んだんだぞ」
「半分食べたの誰?」
「……おいしかったです」
「なら文句なし」
反論できなかった。
銀葉草の納品期限は昼。まだ間に合うはずだが、採集そのものにどれだけ時間がかかるか分からない。
急いで街道を離れ、踏みならされた草地へ入った。
「……ないな」
見本で覚えた銀葉草は、細長い葉の縁が白く、茎には少し赤みがある。似た草は生えているものの、目当ての株はほとんど刈り取られていた。
少し先でしゃがんでいたミレアも、手ぶらで立ち上がる。
「こっちも駄目。切ったばっかりの跡だらけ」
「門から近いところは、毎朝誰かが採っていくんだろうな」
「そりゃそうでしょ。みんな近い方が楽なんだから」
まったくもって正しい。
俺だって楽をしたい。だからこそ、ここへ来た。
ただ、同じことを考える人間が大勢いる場所では、楽な方法ほど先に取られてしまうらしい。
「十二束か……」
「数え直しても増えないよ」
「じゃあ、どうやったら増えると思う?」
「知らない。あたしも探してるんだけど」
ミレアは耳を動かし、別の草地へ目を向けた。
俺は地面を確かめる。
刈られた株の周囲は乾いていて、靴で踏むと細かな土が舞った。ギルドで見た銀葉草は、これよりずっと柔らかい葉をしていたはずだ。
なら、多少は湿り気のある場所に生えるんじゃないか。
街道から離れたところに低い石垣があり、その裏側だけ草の色が濃い。
「ミレア、あっちへ行ってみよう」
「何か見つけた?」
「日陰がある」
「……薬草じゃなくて?」
「薬草がありそうな場所だよ」
半信半疑の顔をされたが、歩き出すとついてきた。
石垣の北側へ回ると、日の当たる草地より地面が湿っていた。足元には背の低い草が集まり、その間から白い縁の葉が顔を出している。
「あった!」
先に声を上げたのはミレアだった。
石の根元に銀葉草が固まって生えている。葉を確かめようと手を伸ばしたところで、彼女が振り返った。
「根は抜かない。葉は潰さない。分かってるからね」
「まだ何も言ってないぞ」
「言う顔してた」
俺は口を閉じた。
……ちょうど言おうとしていた。
採集を始めると、思った以上に時間を取られた。
育った葉だけを選び、傷みのあるものを避けて束ねていく。片手で株を押さえたいところだが、左腕へ負担をかけないよう、姿勢を変えながら右手で作業を進めた。
ミレアの方が少し速い。
とはいえ、力任せに刈るわけにはいかない。葉を傷めれば納品できなくなるし、根を抜けば依頼違反だ。
「七束」
「こっちは八束目に入るところ」
「負けた……」
「競争してないんだけど」
そこへ石垣の向こうから、採集者らしい二人組がやって来た。
「あ、ここ残ってたのか」
片方が足を止め、俺たちの集めた葉を見る。
「銀葉草か。ほかはもう採られててさ」
「俺たちもやっと見つけたところです」
残りの株を見れば、まだ採れる葉はある。
だが十二束分さえ確保できれば、それ以上は必要ない。余分に採っても今回の報酬は変わらないし、次に来たとき何も残っていない方が困る。
「十二束で十分なので、残りはどうぞ」
「へえ。全部刈らないんだな」
「また生えてくれた方が、次に探すとき楽ですから」
男は妙に感心した顔になった。
「若いのに採集場のことまで考えるとはな。今朝なんて根ごと持っていったやつがいたんだぞ」
……あの麻袋の男か。
ここでも話題になっている。
「根を残しておけば、来年も使えますしね」
「そうそう。分かってるじゃないか」
男は笑い、もう一人を連れて少し離れた株へ向かった。
俺は手元の束を数え直す。
来年も同じ場所で楽に採りたいだけなんだけど、ずいぶん立派な理由に受け取られた気がする。
*
薬舗へ着いたとき、昼の鐘まではまだ余裕があった。
店員は俺たちから十二束の銀葉草を受け取ると、すぐには納品印を押さなかった。台の上に一束ずつ広げ、葉の傷みや根の混入を確かめていく。
六束目で顔を上げる。
「ここまでは問題なし。残りも同じなら受け取れるよ」
「根は一本も入れてません」
「それが普通なんだけどね」
……褒めてもらえるかと思ったのに。
結局、十二束すべてが受け入れられた。
受領印の付いた控えを受け取り、店を出る。これで一件目の納品は終わりだ。あとはギルドへ報告すればいい。
「次は南市場ね」
ミレアが地図を広げる。
「銀葉草、最初は全然なかったけど、間に合ったじゃん」
「予定どおりとはいかなかったけどな」
「見つけたからいいでしょ」
「いや、もっと正確な採集地図を作れば、次は早く済むかもしれない」
「それ作る時間は?」
「……今日よりは長いな」
「じゃあ今は次!」
地図を畳まれてしまった。
前世のゲームなら、薬草の採集場所には目印が付いていたんだけどな。現実でも自分で印を付けていけば、そのうち同じように使えるかもしれない。
もっとも、今日はまだ二件も残っている。
地図作りは帰ってから考えよう。
*
貸し籠の回収は、正直なところ簡単な仕事だと思っていた。
指定された番号の籠を六個探し、商人組合の荷置き場へ戻すだけ。魔物もいないし、特別な技術も要らない。
一個目は魚屋の裏。
二個目は布屋の脇。
三個目は市場の共同井戸の横に置かれていた。
ここまでは順調だった。
「四個目は、ここの香辛料店だな」
地図に記された店の前へ向かう。
ところが、置かれていたのは樽と空箱だけだった。
「……ない」
「店の人に聞いてみたら?」
香辛料店の主人へ声を掛けると、男は眉間に皺を寄せた。
「ああ、あの籠か。朝から邪魔だったから向かいの果物屋に寄せたぞ」
向かいへ行く。
「うちじゃないよ。荷車が来たから角へ動かした」
角の店へ向かう。
「子供が座ってたやつなら、警備の人がどかしてたね」
……何だ、このたらい回しは。
警備詰所の裏へ着いたときには、最初の店から市場を半周していた。
「あった!」
ミレアが籠を見つけて振り返る。
「ほら、四個目」
「ここまで動かされるとは思わなかった」
「道に置いたままじゃ邪魔だからね」
実際、どの店にも事情があった。
籠の置かれた場所へ荷車が来れば移動させるし、通行の邪魔なら警備の人間が片づける。誰かが悪いわけではない。
ただ、回収する側からすれば迷惑この上ない。
「効率化って何だっけ」
「予定外を減らす努力」
「減ってる?」
「……今は増えてる途中だ」
ミレアが笑った。
俺は笑えなかった。
残る二個を探して通りを移動する。
五個目はすぐ見つかった。問題は最後の一個だった。
「これじゃない?」
ミレアが菓子屋の前に置かれた籠を指さす。
形は同じだが、番号札を確かめると違っていた。
「八百三だな。探してるのは八百五」
「たった二つ違うだけなのに?」
「別の店の籠を持って帰ったら、盗んだことになるだろ」
「あ、そっか」
危うく間違えるところだった。
店の人に尋ねると、八百五は裏口で砂糖袋を運ぶのに使ったらしい。返却するのを忘れていたという。
ようやく最後の一個を受け取り、商人組合の荷置き場へ運んだ。
籠を重ねて番号を確かめてもらい、六個とも返却できたところで、俺は大きく息を吐く。
「二件目、終わり!」
「長かった……」
ミレアは近くの腰掛けへ座った。
俺も隣へ腰を下ろす。
左腕には痛みが出ていないが、朝から歩きっぱなしで足が重い。市場の中を何度も行ったり来たりしたせいで、地図に書いた移動時間など何の役にも立たなかった。
ふと、荷置き場の奥に目を向ける。
返却された籠が番号順に並べられ、出入りする商人が札を確かめて持ち出していた。係の男は荷物の行き先を帳面へ記録している。
たった六個の籠を探すだけでも、誰がどこへ持っていったか分からないと大変だ。
それを何十個も扱うなら、管理する仕組みがないと仕事にならないんだろう。
「……ハルディンにも、こういうのがあれば便利だな」
「何が?」
「荷物の置き場所を決めて、番号を付けるんだよ。誰が使ったか書いておけば、探さなくて済む」
「あんた、畑道具をどこへ置いたか忘れて、よく父さんに怒られてたじゃん」
「だから必要なんだって!」
「先に自分で片づけた方が早くない?」
……正論すぎる。
それでも、使う人が増えれば仕組みは必要になる。村に人が集まるようになったら、きっと役に立つはずだ。
覚えておこう。
「さて、次は倉庫だな」
「夕方の鐘まで時間あるでしょ?」
「ああ」
「じゃあ休む」
「……はい」
素直に従った。
*
北倉庫街へ着いたのは、夕方の鐘が鳴る少し前だった。
市場の賑わいとは違い、こちらでは大きな荷車が行き交い、建物の前に木箱や麻袋が積み上げられている。
指定された穀物倉庫を見つけ、入口の倉庫番へ登録札を見せた。
「ギルドから来ました。調査依頼を受けています」
倉庫番は札を確かめ、俺たちの顔を交互に見た。
「二人だけか?」
「原因の確認ですよね?」
「そうだが……音が大きくなってる。昨日までは床下だったのに、今日は昼間にも袋を一つやられた」
倉庫番は入口の鍵を持ち直した。
「調べるのは鐘が鳴ってからにしてくれ。まだ最後の荷を運び出してる」
「分かりました」
少し待つと、夕方の鐘が鳴った。
運搬作業が終わったところで扉が開く。
倉庫の中には穀物袋が何列にも積まれていた。通路は荷車が通れるだけの幅を空けてあり、壁際には荷の数を記した札が下がっている。
ただ、一列だけ袋が通路側へ寄せられていた。
近づいてみると、袋の角に穴が開いている。
「……かじられてるな」
穴の周囲には細かな繊維が飛び出し、下にこぼれた穀物を木皿が受けていた。
「刃物で切った感じじゃない。歯の跡だ」
しゃがんで確かめていると、背後でミレアが動いた。
耳が倉庫の奥を向いている。
「どうした?」
「……あっち」
「音がしたのか?」
「分かんない」
ミレアは通路の先へ二歩進み、今度は右側の床を見た。
「いや、そこじゃない。もっと下……」
言い終わるのとほぼ同時に、床板の隙間から細かな引っ掻き音が聞こえた。
俺も耳を澄ませる。
確かに何かいる。
「ミレア、今の音――」
「まだ。待って」
彼女は手を上げて制した。
倉庫番に頼み、奥から三列目の袋を少し動かしてもらう。荷を勝手に触れば依頼違反になるので、作業は倉庫番自身に任せた。
袋の下にあった床板の端は、白っぽく欠けていた。
次の瞬間、その隙間から灰褐色の鼻先が突き出した。
「おっ……」
続いて小さな口が見える。
歯が妙に厚く、石のように硬そうだった。
「石歯トカゲだ!」
倉庫番が声を上げた。
体長は人の腕ほど。
大きな魔物ではないが、穀物袋を破るには十分な歯を持っている。そいつは俺たちの姿を見ると、すぐ床下へ引っ込んだ。
腰の剣へ伸ばしかけた手を止める。
狭い倉庫で剣を振り回せば、穀物袋まで切ってしまいかねない。
しかも、こちらは調査依頼だ。
「床板を外せますか?」
倉庫番に尋ねる。
「勝手に壊すなって依頼に書いてあったろ」
「だから聞いてるんです」
「今日は無理だ。持ち主の許可が要る」
なら、今日の仕事は原因の確認までだ。
無理に追いかける必要はない。穴の位置と魔物の種類を報告し、あとは倉庫側の判断を待てばいい。
それにしても、あの歯は厄介そうだ。
食べ物を保管するだけでも、魔物の侵入を防がなければならない。ハルディンで倉庫を増やすなら、床板の隙間にも気を付ける必要があるだろう。
頭の中で、故郷の拠点メモに「倉庫」を書き足す。
魔物対策まで考えるのは面倒だが、保存した食料を毎回かじられるよりはましだ。
「……トウマ」
ミレアの声が低くなった。
顔を上げると、彼女はさっきの床板ではなく、通路の左側を見ていた。
「どうした?」
「動いた」
「床下を?」
「たぶん。左へ行ったと思う」
俺も耳を澄ませた。
しかし、何も聞こえない。
「……音、したか?」
「だから分かんないって」
ミレアは苛立ったように答えたあと、自分の耳に触れた。
その数呼吸後だった。
左側の床下から、硬いものが木を擦る音が響いた。
俺たちは顔を見合わせる。
聞こえる前から、あいつが動いた方向を分かっていたのか?
森でフォレストハウンドと戦ったときのことが頭をよぎった。
「なあ、今のって――」
「言わなくていい」
ミレアが先に止めた。
彼女は左肩をかばうように身体の向きを変え、床板の隙間を見つめている。
「……まだ、何かいる」
その直後、さっきとは反対側の床下から、もう一度硬い爪の音がした。




