第13話 二匹相手の特訓は剣を振らずに始まった
「その縄は置いていけ」
父さんの指が、俺の荷物から一本の縄を引き抜いた。
「何で? 予備なんだけど」
「畑の柵を直すやつだ」
「……借りていくつもりだった」
「聞いてないぞ」
父さんは縄を巻き直し、戸口の釘へ掛けた。
俺は床に広げた荷物を見下ろした。罠用の網、着替え、水筒、食料、予備の布。それから、ボルドに描いてもらった折り畳み台の図。
必要な物を選んだつもりなのに、全部を袋へ詰めると肩紐が食い込む。左腕の傷は治ったが、重い荷物を背負って二日も移動するのは避けたい。
「じゃあ、網をもっと小さく畳めば……」
「畳んでも重さは変わらん」
「それは分かってる」
「分かってて、何で鉄の留め具まで入れる」
「道具が壊れたときに使えるかと思って」
「何を直す留め具だ」
答えようとして、口を閉じた。
……何だろう。
とりあえず持っていけば、何かに使える気がしたのだ。
前世のゲームなら、素材は拾っておくに限る。必要になってから探すのは面倒だからな。
父さんは留め具を道具箱へ戻した。
「使い道が決まってない物は、置いていけ」
昨日、ボルドにも似たようなことを言われた気がする。
便利な道具を作りたいだけなのに、どうして職人も農家も、まず物を減らそうとするんだろう。
「……父さん」
「何だ」
「魔法鞄があれば全部解決すると思わない?」
「買う金があるなら、先に畑の柵を直す」
実に現実的な返答だった。
*
昼前、ミレアが家に来た。
「まだ荷造りしてんの?」
「持っていく物を厳選してるところだ」
「床に広がってる物、昨日と変わってないじゃん」
「一つ減った」
「何?」
「父さんの縄」
「借りるつもりだったんでしょ、それ」
ミレアは俺の返事を待たず、網を二つ持ち上げた。
「これ、濡れたら重くなるよ。二つもいる?」
「一つ壊れたら困るだろ」
「だったら、壊れにくい使い方を考えれば?」
俺は網を見比べた。
二つあれば安心だが、そのせいで移動が遅くなったら困る。フォレストハウンドと戦ったときだって、獲物と道具を現場に置いて逃げた。
荷物を守るために逃げ遅れるのは御免だ。
「……一つにするか」
「最初からそうすればいいのに」
ミレアが網を畳んで渡してくる。その途中、左肩を動かしたところで手が止まった。
「まだ痛むのか?」
「大きく動かすとね。でも前よりずっといい」
「だったら今日は休んだ方が――」
「その前に、あんたに頼みがある」
ミレアが壁に立てかけてある俺の木剣を指さした。
「あれ、持ってきて」
「……また訓練?」
「うん。カイルにも話してある」
「母さんに見つかったら、また取り上げられるぞ」
「今日は打ち合わない。足の動きだけ」
なるほど。移動技の練習というわけか。
俺の《超成長》が仲間にも波及しているなら、軽い訓練でも効果は大きいかもしれない。
「よし。効率のいい特訓だな」
「……何でも効率って言えばいいと思ってない?」
*
村の内側、外柵から少し離れた空き地でカイルが待っていた。
槍は持っていない。傷んだ柄を交換するため、今もボルドに預けてあるそうだ。
「二人とも、腕と肩は大丈夫なのか?」
「動きの確認だけだって聞いたから来た。打ち合うなら帰るぞ」
「大丈夫。当てたりしないから」
ミレアはそう答え、地面に木の棒を二本置いた。
カイルが一本を取り、俺は持ってきた木剣を握る。
「で、何をするんだ?」
俺が聞くと、ミレアは短剣を抜かずに言った。
「あたし、二匹に囲まれても逃げられるようになりたい」
カイルが棒を持ち直す。
「フォレストハウンドのことか」
「うん。あのとき、トウマの後ろに回った一匹には気づいた。でも、別のやつまで来てたら、どうなってたか分かんない」
ミレアは俺とカイルを交互に見た。
「あたし、一匹相手ならそこそこ動けると思ってた。でも二匹になると、どっちを見ればいいのか分かんなくなる」
「それなら二人同時に見る練習か?」
「それもあるけど……まず、囲まれたところから抜けたい。ルーヴェルへ行ったら、もっと強い魔物にも会うでしょ」
ミレアは右足を半歩引いた。
「今のままじゃ嫌だ」
「分かった。じゃあ俺とカイルで相手になる」
「当てるのは禁止ね」
「もちろん」
カイルが俺から少し離れた場所へ移動した。
「まずは二人の間を抜けてみろ。こっちは棒で進路を塞ぐだけだ。体には触れない」
「うん」
俺が右から近づく。
ミレアは反対側へ動いたが、そこへカイルが棒を差し出した。
「はい、止まり」
「……もう一回!」
今度は俺を避けて前へ出る。
しかしカイルが一歩横へ動くと、また足が止まった。
「また挟まれた……」
「二人とも見ようとしてるからな」
カイルは棒を下ろす。
「相手が二人いても、二人とも同時に止める必要はない。まず、自分がどこへ動けるかを見ろ」
「……じゃあ、もう一回」
*
三度目は、ミレアの動きが変わった。
俺が近づくと、真横へ逃げるのではなく、斜め前へ出る。
俺の脇を通り抜けるような動きだ。
「おっと」
振り返ったときには、もうミレアが俺の背後へ回っていた。
カイルがそちらへ動こうとする。しかし俺が間に立っているせいで、真っすぐ進めない。
「……なるほど」
俺は木剣を下ろした。
「俺を盾にしたのか?」
「そういうことになるのかな」
ミレアは自分の立ち位置を見直した。
カイルが頷く。
「今のはよかった。片方を、もう片方の邪魔になる位置に置いたんだ」
「でも、実際の魔物なら追ってくるよね」
「ああ。これだけで二匹に勝てるわけじゃない」
「……そっか」
「ただ、最初から挟まれたままでいるよりはずっといい」
ミレアは足元を確かめた。
「あたし、速く動けば何とかなると思ってた」
「速いのは武器だ。だが、どこへ動くか決めてなきゃ、速く挟まれるだけだな」
「……それ、すごく嫌な言い方」
「実際に見てたからな」
カイルが肩をすくめた。
俺は地面に木剣の先で線を引く。
「じゃあ、次はこの線の外へ出たら勝ちってことにしよう。二人とも倒すより、逃げ道を作った方がいい」
「勝手に勝ちを決めないでよ」
「ゲームなら、敵を倒さずに目的地へ着くのも立派な攻略だぞ」
「だからゲームって何なのよ」
ミレアはそう言いながらも、線を自分で引き直した。
「ここだと簡単すぎる。もう少し遠く」
……おい。
楽をするために考えた訓練が、本人の希望で難しくなっていく。
これも《超成長》の波及効果だろうか。
*
練習は、それから二度繰り返したところで終わった。
ミレアが左肩を庇う動きを見せ、カイルが棒を下ろしたのだ。
「今日は十分だ。無理して悪くしたら、旅に出られなくなる」
「……分かった」
ミレアは不満そうだったが、素直に従った。
俺も左腕を何度か動かしてみる。痛みはない。ただ、修理したばかりの剣を何度も振れるかどうかは、まだ別の話だ。
空き地を出たところで、カイルが俺たちを見た。
「俺はしばらくハルディンに残る。槍が戻ったら、また村の仕事を手伝うつもりだ」
「ルーヴェルに来る予定は?」
「今のところはないな。お前らは向こうで頑張れ」
「カイルもな」
カイルは片手を上げ、村の方へ歩いていった。
ミレアはその背中を見送ってから、俺に向き直った。
「ねえ、トウマ」
「何だ?」
「さっきの練習、ルーヴェルでも続けたい」
「もちろん。相手が二人必要なら、誰か探せばいい」
「……あんたもやるのよ」
「俺は一人でいいんじゃないか?」
「どうして?」
「お前の方がレベル高いし」
ミレアの耳がぴんと立った。
「だったら、なおさら練習した方がいいじゃん」
「……はい」
レベル六の言葉は重かった。
*
夕方、自宅へ戻ると、母さんが旅の食料を包んでいた。
「網は減らしたの?」
「一つにした」
「予備の縄は?」
「短いのだけ残した。父さんにも確認した」
「それならいいね」
母さんは食料の包みを渡し、俺の袋へ入れるように言った。
父さんは修理した片手剣の鞘を確かめている。
「刃先が短くなったんだってな」
「ああ。届く距離が変わったから、今は慣らしてる」
「なら、慣れるまでは無理に振るな」
「分かってる」
剣を返すと、父さんは荷物の口を見た。
「今度は持てる重さになったか」
「たぶん」
「持ってみろ」
言われたとおりに背負う。
昨日より軽い。歩いても袋が大きく揺れず、肩紐も食い込まない。
「これなら荷馬車を降りたあとも大丈夫そうだ」
「ならいい」
父さんはそれだけ言って、畑の道具を片づけに戻った。
俺は荷物を下ろし、最後にボルドの折り畳み台の図を入れた。
これは絶対に必要だ。
ルーヴェルで職人を探して、いつか実際に使える道具にしてやる。
便利な道具が増えれば、冒険の準備も片づけも楽になる。そうやって金を稼ぎ、町の仕組みを覚えて、ハルディンへ持ち帰る。
そのためにも、向こうで使う道具はよく選ばないとな。
「兄ちゃん」
戸口からリナが顔を出した。
「明日、出るんだよね?」
「ああ。朝の荷馬車に乗る。途中で一泊して、ルーヴェルへ行く予定だ」
「……そっか」
リナは俺の荷物を見つめ、少し考えてから言った。
「ねえ。帰ってくるとき、ルーヴェルの紙を買ってきて」
「紙?」
「うん。あたしもいろいろ書きたいんだ。向こうなら、きれいなのが売ってるんでしょ?」
「探してみるよ。何枚いる?」
「まず一枚でいい。あと、折らないで持ってきてね」
「折らずに?」
「そう。しわにならないように」
俺は袋の口を開いた。
中には、少しだけ空きがある。
しかし紙を折らずに入れるとなると、今の袋では難しいかもしれない。
「……リナ」
「何?」
「やっぱり、もう少し大きい袋が――」
「母さん! 兄ちゃんがまた荷物増やそうとしてる!」
早い。
助けを呼ぶのが早すぎる。
母さんが台所から顔を出す前に、俺は袋の口をきっちり結んだ。
「……分かった。袋はこのままでいい」
「じゃあ、紙は?」
「向こうで考える」
リナは少し笑って、俺の荷物をもう一度見た。
「兄ちゃん、向こうでも物を増やしすぎないでね」
「大丈夫だって」
俺は袋を背負い直した。
明日の朝には、ハルディンを出る。
準備は終わった。剣も直った。荷物も減らした。
あとはルーヴェルで、新しい便利道具を探すだけだ。
「……兄ちゃん」
「今度は何だ?」
「帰ってきたとき、荷物が倍になってたりして」
……その可能性は、否定できなかった。




