番外編 その短冊は、通報でした
──────────────
総務部からのお知らせ 七夕まつりのご案内
発信日時:7月1日 09:00
配信範囲:全社員(本社・各事業部)
件名:短冊記入のお願い
本文:
「今年も一階ロビーに笹を設置しました。日頃の願いごとや、職場への想いを、短冊にご記入ください。いただいた声は、より良い職場づくりの参考にさせていただきます。」
──────────────
一階ロビーの隅に、背の高い笹が一本、立てられていた。
色とりどりの短冊が、空調の風に、かさかさと鳴っている。「健康第一」「宝くじ当たれ」「早く帰りたい」。無難な願いが、笹の葉に揺れていた。
サトルは、昼休みに、その前を通りかかった。悪くない光景だ、と思った。会社が、社員の願いを、聞こうとしている。少なくとも、その恰好は、している。
「木村さん」椎名が、隣に並んだ。両手で、蓋の歪んだ段ボール箱を、抱えている。「総務から、これを。コンプライアンス室で、預かってほしいと」
箱の側面に、油性ペンで、そっけなく書かれていた。――「七夕短冊 保管分 ※分析後処分」。
「保管分?」
「例年、回収した短冊を、一定期間、保管しているそうです」椎名は、箱をサトルのデスクに置いた。「エンゲージメント可視化施策、という名目で。集計して、報告書を作って、それで――」
「処分する」
「はい」
サトルは、箱の中を覗く前に、椎名が一緒に持ってきた一枚の紙に、目を落とした。過去の、実施報告だった。
──────────────
七夕まつり 実施報告(過去5年度・抜粋)
記入枚数:累計 427枚
内容分類:ポジティブ 189/中立 156/ネガティブ・要望 82
活用:短冊の内容を集計し、社内エンゲージメント指標として月次報告に反映
対応:個別の願い・要望に対する回答および対応は、行わない
保管:分析後、当該年度末に処分
──────────────
「八十二枚」サトルは、その数字を、指でなぞった。「要望が、八十二枚。集計されて、指標になって、それで――処分される」
「数えられて、捨てられる、ということです」椎名は、淡々と言った。「願いは、票にはなりますが、声には、なりません。集計というのは、そういう作業です。一枚ずつ読まずに、束にして、数える」
願いを、糸のように束ねて、綺麗な報告書という布に、織り上げる。だが、それは、誰かに着せるための布ではない。ただ、飾るための布だ。サトルは、そう思った。
箱の蓋を、開けた。
上の方は、笹の彩りと同じだった。健康。昇給。恋人。だが、指を差し入れて、下の層をめくると、字の質が、変わっていった。丁寧で、切実で、余白の少ない字。サトルは、そのうちの何枚かを、抜き出して、並べた。
──────────────
回収短冊より(第三事業部・現場職 記入分)
・「人を、もう二人、現場に戻してください。今の人数では、いつか誰かが死にます」
・「札を、規定どおりの枚数、配ってください。お願いします」
・「工程を、これ以上、詰めないでください。安全確認の時間が、ありません」
・「この紙が、上まで、届きますように」
──────────────
サトルは、最後の一枚を、長く見ていた。「この紙が、上まで、届きますように」。願いごとですらない。宛先の、分からない、SOSだった。
「短冊です」椎名が、先回りするように言った。「通報フォームを、通っていません。受付番号も、対応部署の指定も、ありません。だから、記録上は、通報では――」
彼女は、そこで、言葉を切った。
箱の底に、もう一枚、あった。角ばった、几帳面な字だった。サトルは、その筆跡に、見覚えがあった。事故の報告書で、業務日誌で、何度も見た字だ。
――「来年も、無事に、七夕を迎えられますように。班のみんなと。」
九鬼透。去年の、七夕。
サトルは、しばらく、その一枚を、動かせなかった。九鬼は、来年の無事を、願っていた。班の全員で、また、この笹の前に立つことを。その願いは、去年、ロビーの笹に吊るされ、風に揺れ、回収され、「中立」に分類されて、集計され、処分される予定だった。誰にも、読まれずに。そして九鬼は、来年の七夕を、迎えられなかった。先月、迎えられないことが、確定した。
「これは」サトルは、低く言った。「通報だ」
椎名は、答えなかった。代わりに、無言で、スマートフォンを取り出した。そして、箱の中の短冊を、一枚ずつ、撮り始めた。要望の、八十二枚を。九鬼の一枚を。一枚も、飛ばさずに。
サトルは、それを、止めなかった。
七夕は、年に一度、天の川を隔てた二人が、会える日なのだという。会えるのは、一年に、たった一度きり。あとの三百六十四日は、川の両岸で、互いの姿を、見ることもできない。
この会社にも、川が流れている、とサトルは思った。現場と、本社の間に。声は、川の向こうから、毎日、投げられている。届いてほしい、と。だが、それを掬い上げる橋は、年に一度、笹の形をして、ロビーに立つだけだ。そして、渡されたはずの願いは、読まれることなく、数えられ、川へ、流し返される。
「木村さん」椎名が、最後の一枚を撮り終えて、言った。「この箱、処分票が、もう回ってきています。総務は、今週中に、と」
「処分は、保留にする」サトルは、九鬼の短冊を、そっと、箱の底に戻した。「理由は――『内部通報に該当する可能性のある記載を含むため、精査中』。それなら、規程で、止められる」
「……理由に、なりますね」椎名の声に、ほんの少しだけ、いつもと違うものが混じった。「規程で、願いを、守るんですか」
「ああ」サトルは、窓の外を見た。「一枚も、捨てさせない」
あいにくの、曇り空だった。天の川は、どこにも見えない。
それでも、声は、確かに、そこにあった。数えられ、捨てられるはずだった、四百二十七の、願いが。宛先を書けなかった、四百二十七の、誰かが。
怪異は、規定で祓える。
願いが、聞かれない仕組みは、規定で、変えるしかない。
笹は、年に一度、ロビーに立つ。だが、そこに吊るされた声のうち、いくつが、本当に「上」まで届くのだろう。届かないまま流されてしまった願いを、あとから拾い上げることは、できるのか。
次に短冊が回収される日まで、この窓口は、たぶん、閉じない。
※この番外編を楽しんでいただけたら、ブックマークと★で、そっと応援いただけると、励みになります。




