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大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


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9/14

番外編 その短冊は、通報でした

──────────────

総務部からのお知らせ 七夕まつりのご案内

 発信日時:7月1日 09:00

 配信範囲:全社員(本社・各事業部)

 件名:短冊記入のお願い

 本文:

 「今年も一階ロビーに笹を設置しました。日頃の願いごとや、職場への想いを、短冊にご記入ください。いただいた声は、より良い職場づくりの参考にさせていただきます。」

──────────────

 一階ロビーの隅に、背の高い笹が一本、立てられていた。

 色とりどりの短冊が、空調の風に、かさかさと鳴っている。「健康第一」「宝くじ当たれ」「早く帰りたい」。無難な願いが、笹の葉に揺れていた。

 サトルは、昼休みに、その前を通りかかった。悪くない光景だ、と思った。会社が、社員の願いを、聞こうとしている。少なくとも、その恰好は、している。

「木村さん」椎名が、隣に並んだ。両手で、蓋の歪んだ段ボール箱を、抱えている。「総務から、これを。コンプライアンス室で、預かってほしいと」

 箱の側面に、油性ペンで、そっけなく書かれていた。――「七夕短冊 保管分 ※分析後処分」。

「保管分?」

「例年、回収した短冊を、一定期間、保管しているそうです」椎名は、箱をサトルのデスクに置いた。「エンゲージメント可視化施策、という名目で。集計して、報告書を作って、それで――」

「処分する」

「はい」

 サトルは、箱の中を覗く前に、椎名が一緒に持ってきた一枚の紙に、目を落とした。過去の、実施報告だった。

──────────────

七夕まつり 実施報告(過去5年度・抜粋)

 記入枚数:累計 427枚

 内容分類:ポジティブ 189/中立 156/ネガティブ・要望 82

 活用:短冊の内容を集計し、社内エンゲージメント指標として月次報告に反映

 対応:個別の願い・要望に対する回答および対応は、行わない

 保管:分析後、当該年度末に処分

──────────────

「八十二枚」サトルは、その数字を、指でなぞった。「要望が、八十二枚。集計されて、指標になって、それで――処分される」

「数えられて、捨てられる、ということです」椎名は、淡々と言った。「願いは、票にはなりますが、声には、なりません。集計というのは、そういう作業です。一枚ずつ読まずに、束にして、数える」

 願いを、糸のように束ねて、綺麗な報告書という布に、織り上げる。だが、それは、誰かに着せるための布ではない。ただ、飾るための布だ。サトルは、そう思った。

 箱の蓋を、開けた。

 上の方は、笹の彩りと同じだった。健康。昇給。恋人。だが、指を差し入れて、下の層をめくると、字の質が、変わっていった。丁寧で、切実で、余白の少ない字。サトルは、そのうちの何枚かを、抜き出して、並べた。

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回収短冊より(第三事業部・現場職 記入分)

 ・「人を、もう二人、現場に戻してください。今の人数では、いつか誰かが死にます」

 ・「札を、規定どおりの枚数、配ってください。お願いします」

 ・「工程を、これ以上、詰めないでください。安全確認の時間が、ありません」

 ・「この紙が、上まで、届きますように」

──────────────

 サトルは、最後の一枚を、長く見ていた。「この紙が、上まで、届きますように」。願いごとですらない。宛先の、分からない、SOSだった。

「短冊です」椎名が、先回りするように言った。「通報フォームを、通っていません。受付番号も、対応部署の指定も、ありません。だから、記録上は、通報では――」

 彼女は、そこで、言葉を切った。

 箱の底に、もう一枚、あった。角ばった、几帳面な字だった。サトルは、その筆跡に、見覚えがあった。事故の報告書で、業務日誌で、何度も見た字だ。

 ――「来年も、無事に、七夕を迎えられますように。班のみんなと。」

 九鬼透。去年の、七夕。

 サトルは、しばらく、その一枚を、動かせなかった。九鬼は、来年の無事を、願っていた。班の全員で、また、この笹の前に立つことを。その願いは、去年、ロビーの笹に吊るされ、風に揺れ、回収され、「中立」に分類されて、集計され、処分される予定だった。誰にも、読まれずに。そして九鬼は、来年の七夕を、迎えられなかった。先月、迎えられないことが、確定した。

「これは」サトルは、低く言った。「通報だ」

 椎名は、答えなかった。代わりに、無言で、スマートフォンを取り出した。そして、箱の中の短冊を、一枚ずつ、撮り始めた。要望の、八十二枚を。九鬼の一枚を。一枚も、飛ばさずに。

 サトルは、それを、止めなかった。

 七夕は、年に一度、天の川を隔てた二人が、会える日なのだという。会えるのは、一年に、たった一度きり。あとの三百六十四日は、川の両岸で、互いの姿を、見ることもできない。

 この会社にも、川が流れている、とサトルは思った。現場と、本社の間に。声は、川の向こうから、毎日、投げられている。届いてほしい、と。だが、それを掬い上げる橋は、年に一度、笹の形をして、ロビーに立つだけだ。そして、渡されたはずの願いは、読まれることなく、数えられ、川へ、流し返される。

「木村さん」椎名が、最後の一枚を撮り終えて、言った。「この箱、処分票が、もう回ってきています。総務は、今週中に、と」

「処分は、保留にする」サトルは、九鬼の短冊を、そっと、箱の底に戻した。「理由は――『内部通報に該当する可能性のある記載を含むため、精査中』。それなら、規程で、止められる」

「……理由に、なりますね」椎名の声に、ほんの少しだけ、いつもと違うものが混じった。「規程で、願いを、守るんですか」

「ああ」サトルは、窓の外を見た。「一枚も、捨てさせない」

 あいにくの、曇り空だった。天の川は、どこにも見えない。

 それでも、声は、確かに、そこにあった。数えられ、捨てられるはずだった、四百二十七の、願いが。宛先を書けなかった、四百二十七の、誰かが。

 怪異は、規定で祓える。

 願いが、聞かれない仕組みは、規定で、変えるしかない。


 笹は、年に一度、ロビーに立つ。だが、そこに吊るされた声のうち、いくつが、本当に「上」まで届くのだろう。届かないまま流されてしまった願いを、あとから拾い上げることは、できるのか。

 次に短冊が回収される日まで、この窓口は、たぶん、閉じない。

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