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大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


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第8話:同じ台本が、四十五回繰り返された

 椎名は、丸二日、席を立たなかった。


 四十五件の取り下げ案件。そのすべてに、相談員が作成した面談記録が、添付されている。椎名は、それを一件ずつ読み、言い回しを、抜き出し、並べていった。


「見てください」三日目の朝、椎名は、サトルの前に、一枚の表を置いた。


──────────────


面談記録 定型表現の出現頻度(45件中)

 「あなたの言い分は理解できる」:42件

 「正式な通報にすると事業部全体が調査対象になる」:40件

 「同僚にも影響が及ぶ」:41件

 「あなたのためを思って」:38件

 「いったん取り下げて、一緒に穏便な形を」:44件

 「本人が納得の上、自発的に取り下げた」(結び):45件

 ──全45件に、上記のうち少なくとも5表現が出現。


──────────────


「偶然、揃う数字じゃありません」椎名は、淡々と言った。「四十五人が、たまたま、同じ言葉で、自発的に取り下げた。そんなことは、起こらない。これは――」


「台本だ」サトルは、表を見つめた。「誰かが、相談員に、この言い回しを、教えてる」


「ええ。面談記録は、相談員が書きます。密室で、一対一で。だから、通報者の言葉は、いくらでも書き換えられる。でも」椎名は、表を指でなぞった。「書き換える『型』が、全員同じなら、それは、個人の判断じゃない。組織的な、マニュアルの存在を、示しています」


 サトルは、椎名の作った表を、しばらく見ていた。感情は、一行もない。ただ、数字が、通報潰しの構造を、静かに立証していた。九鬼の報告書と、同じだ。この人は、怪異を信じない代わりに、人が残した記録の「型」を、誰よりも正確に読む。


「マニュアルの、現物は」サトルは聞いた。「あるのか。台本そのものは」


「探しました」椎名は、少しだけ、間を置いた。「正式な文書としては、存在しません。少なくとも、文書管理システムには、ない。……ただ」


 椎名は、別のファイルを開いた。人事部の、研修記録だ。


「相談員は、着任時に、研修を受けます。その研修の、資料一覧に、一つだけ、タイトルだけ残って、本体が削除されたファイルがあります」


──────────────


人事部 相談員研修 資料一覧(一部)

 ・相談員の心構え(配布資料01)

 ・傾聴の技法(配布資料02)

 ・通報の早期解決に向けた面談ガイド(配布資料03)※ファイル削除済

 ・個人情報の取り扱い(配布資料04)


──────────────


「配布資料03」サトルは、その一行を読んだ。「『通報の早期解決に向けた面談ガイド』。……これが、台本か」


「タイトルしか、残っていません。本体は、削除されています」椎名は言った。「でも、削除には、ログが残ります。誰が、いつ、削除したか」


「見えるのか」


「見えます」椎名の指が、キーを叩いた。そして、止まった。「削除実行日……先月。九鬼さんが死んで、私たちが調べ始めた、その週です」


 サトルは、息を吐いた。台帳の書き換えと、同じだった。九鬼のアカウント凍結と、同じだった。こちらが動くたびに、向こうも、動いている。証拠を、一つずつ、消しながら。


「削除した、アカウントは」


「システム管理者権限」椎名が言った。「また、これです。個人名は、伏せられている」


 台帳を書き換えたのも。九鬼のアカウントを凍結したのも。台本を削除したのも。すべて、同じ「システム管理者権限」だった。顔のない、権限。だが、その権限を、人事部の案件のたびに動かせる人間は、そう多くない。


「木村さん」椎名が、ふと、手を止めた。いつもの平らな声に、ほんの少し、別のものが混じった。「……私、前に、いたんです。こういう窓口に、相談したこと」


 サトルは、椎名を見た。彼女が、自分のことを話すのは、初めてだった。


「学生の頃の、話です。詳しくは、言いません」椎名は、画面を見たまま言った。「ただ、『あなたのためを思って』と、優しく言われて。信じて。……後で、その面談の記録が、私の言っていないことばかりで、埋まっていたのを、知りました。だから、私は」


 彼女は、そこで、言葉を切った。


「だから、記録を、信じないんですか」サトルは、静かに聞いた。


「記録は、書いた人間の、都合で作られます」椎名は、言った。「信じるのは、記録じゃない。記録の、『型』です。人は、嘘をつくとき、必ず、同じ型を、繰り返す。……四十五件の面談記録が、それを、証明しています」


 サトルは、それ以上、聞かなかった。ただ、椎名が「怪異を信じない」理由の、ほんの端が、見えた気がした。彼女が信じないのは、怪異だけではない。優しい顔で作られる、都合のいい記録を、信じないのだ。


「削除された台本を、復元する方法は」サトルは、話を、事件に戻した。


「バックアップです」椎名は、顔を上げた。「システムには、日次のバックアップがあります。削除されたのが先月なら、その前の日付のバックアップに、配布資料03が、残っているはずです。……ただ、バックアップの開示には」


「室長承認」サトルは言った。「西野さん、か」


 二人は、また、あの門番の、疲れた背中を、思い浮かべた。前回、受理番号の登録には、判を押した。だが、通報潰しの台本そのものを掘り出す請求に、西野が、判を押すだろうか。


 削除された台本は、バックアップの中に、まだ眠っている。だが、それを掘り出すには、また、西野の判が要る。そして西野もまた、この会社で長く「見て見ぬふり」をしてきた一人だ。


 次回、サトルは西野に、バックアップ開示を願い出る。門番が下す判断が、通報潰しの全体像へ扉を開くか、閉じるかを、決める。


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