第6話:取り下げられた、声の一覧
エンターキーを押すと、画面に、一覧が開いた。
サトルは、その行数を見て、しばらく、動けなかった。
「……多いな」
「過去五年間で」椎名が、隣から画面を覗き込んだ。「『取り下げ』ステータスで処理された通報が、四十七件」
四十七件。五年で。多いのか、少ないのか、数字だけでは分からない。だが、サトルには、引っかかるものがあった。
「椎名さん。この四十七件、分類できるか。通報の、内容で」
椎名の指が走る。数分後、画面に、内訳が並んだ。
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通報 取り下げ案件 内訳(過去5年・自動集計)
総数:47件
うち「労働安全衛生」関連:31件
うち「長時間労働・過重稼働」関連:9件
うち「ハラスメント」関連:5件
うち「経費・その他」:2件
※特記:受理番号確定前(=正式調査に入る前)の取り下げ:45件
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「四十七件のうち、四十五件が」椎名の声が、平らなまま、しかし硬くなった。「受理番号がつく前に、取り下げられています」
「受理番号がつく前」サトルは、その意味を、噛みしめた。「番号がつけば、消せない。番号がつく前なら――なかったことにできる」
九鬼の件と、同じだった。サトルたちが受理番号を確定させた、あの日。だからこそ、九鬼のアカウントは、その直後に凍結された。受理された通報は、消せない。ならば、消すなら、受理される前だ。
そして、この会社では、五年で四十五件が、受理される前に、消えていた。そのほとんどが、安全と、労働に関する声だった。
「偶然、ではないですね」椎名が言った。
「偶然で、安全の通報だけが、受理前に消えるか」サトルは首を振った。「これは、運用だ。誰かが、そう動かしてる」
サトルは、一覧の中の、一件を開いた。三年前。労働安全衛生。取り下げ。
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通報記録 番号:(受理前・仮番号)/ステータス:取り下げ
通報内容(要旨):「第二事業部で、退魔師の連続稼働日数が上限を超えている。休養規定が守られていない。」
取り下げ理由:「通報者本人の申し出により、取り下げ」
取り下げ手続き担当:人事部 相談員
備考:通報者は、本件取り下げ後、翌月付で地方支社へ異動。
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「本人の、申し出により、取り下げ」サトルは、その定型句を、読み上げた。「九鬼さんの示談と、同じだ。『本人の過失』『本人の申し出』。全部、本人のせいに、なってる」
「そして」椎名が、備考欄を指した。「取り下げの翌月に、異動。地方支社へ」
サトルは、次の一件を開いた。取り下げ。翌々月、退職。次の一件。取り下げ。三か月後、閑職へ配置転換。
パターンは、同じだった。声を上げる。取り下げに、なる。そして、しばらくして、その人間は、いなくなる。会社の、目立たない場所へ、あるいは、会社の、外へ。
「通報を、取り下げさせて」サトルは、低く言った。「その後で、静かに、飛ばしてる。見せしめだ。声を上げたら、こうなる、っていう」
「木村さん」椎名が、画面から目を離さずに言った。「取り下げの手続き担当、見てください。四十五件、全部」
サトルは、取り下げ担当の欄を、スクロールした。担当者名は、いくつかある。だが、そのすべてが、同じ部署に属していた。
人事部。相談員。
「表向きは」椎名が言った。「通報者を、守る窓口です。『相談員』というのは。通報して不安な人の、味方のはずの」
「その味方が」サトルは、画面を見つめた。「四十五件、全部の、口を塞いでる」
通報者を守るはずの制度が、通報者を潰すために、使われていた。そして、その相談員たちが所属する人事部の、頂点に立つのは――。
サトルは、名前を、口に出さなかった。まだ、物証がない。相談員が大鷲の指示で動いたという記録は、この一覧には、ない。だが、輪郭は、もう、はっきりしていた。
「四十五件」サトルは、椅子に深く座った。「四十五人の声が、消された。そのうちの、四十六番目に、なりかけたのが――」
「九鬼さん」椎名が、続けた。「でも、九鬼さんの声は、消えなかった」
「ああ」サトルは頷いた。「あの人だけは、死んでから、もう一度、送ってきた。――受理番号が、つくところまで」
凍結された九鬼のアカウント。だが、その一通は、受理番号を残した。四十五件が消えた場所で、たった一件だけ、消せない番号が、灯っていた。
「この四十五件を」サトルは言った。「一件ずつ、辿る。取り下げが、本当に『本人の申し出』だったのか。それとも――」
「迫られたのか」椎名が言った。
「会いに行こう」サトルは立ち上がった。「消された声の、主に」
四十五件の取り下げ。そのすべてが、人事部・相談員の手を経ていた。だが、記録は「本人の申し出」としか語らない。本当のところは、消された本人しか、知らない。
次回、サトルは、三年前に声を上げて、地方へ飛ばされた一人の元・通報者を訪ねる。その口から、「相談員」が面談で何を言うのかが、明かされる。
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