第5話:受理番号は、消せない
報告書は、静かなものだった。
サトルと椎名がまとめた文書に、感情は一行も入っていない。ただ、事実が、時系列で並んでいるだけだ。
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調査報告書(案) 通報番号:2026-0417-003 関連
1. 2025/1/9 稟議2025-J-0088(決裁:大鷲)にて、消耗品の実配備最適化と「台帳上の標準値維持」を方針決定。
2. 2025/Q1 購買申請2025-Q1-0442、申請20枚に対し承認10枚(役員決裁ライン差戻し)。
3. 事故2週間前 九鬼透、実配備10枚を確認し書面申入れを準備(本人日報・未提出)。
4. 事故当日 九鬼透、実配備10枚をもって単独対応中に殉職。
5. 死後 示談書にて「本人の過失・会社に瑕疵なし」と決着(決裁:大鷲)。
6. 示談2日後 備品台帳を10→20に更新(更新者:システム管理者権限/日時記録あり)。
結論:本件は「本人の過失」ではなく、方針決定に起因する安全規定違反(人災)の疑いが強い。
付記:本通報の送信元アカウントは故人(九鬼透)名義。凍結処理未実行の状態が継続。原因未特定。
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「事実だけで、ここまで書けます」椎名が言った。「憶測は、一行もない。全部、文書の裏づけがある」
「怪異の話は、一つもないな」サトルは苦笑した。
「ええ」椎名は、少しだけ、間を置いた。「一つ、除いては。――付記の、六番目です」
故人のアカウントから届いた、通報。凍結されないまま、放置されている口座。それだけが、この整然とした報告書の中で、唯一、説明のつかない染みだった。
「受理番号を、確定させる」サトルは言った。「この報告書を、正式な受理案件として登録する。そうすれば、この件は『調査中』になる。調査中の案件は、勝手に握り潰せない。規定で、そう決まっている」
「登録には、室長承認が要ります」椎名が言った。「西野さん、押しますか」
サトルは、西野の席を見た。門番の、疲れた背中。
だが、その日、登録申請を持っていったサトルに、西野は、意外なことをした。判を、押したのだ。しばらく書面を見つめたあと、ため息を一つ吐いて、静かに。
「……正式な受理番号がつけば」西野は、老眼鏡越しに、サトルを見た。「この件は、記録に、残る。誰にも、なかったことには、できなくなる」
「はい」
「木村くん。私はね、長いこと、この部署にいる」西野は、判を押した書面を、サトルに返した。「押し潰された通報を、たくさん、見てきた。……見て、見ぬふりも、してきた。だが、受理番号だけは、嘘をつかない。番号がついた案件は、消せない。それだけは、本当だ」
その声には、保身と、それとは別の、何かが混じっていた。サトルは、礼を言って、席に戻った。
登録は、通った。通報番号 2026-0417-003 は、正式な受理案件になった。九鬼透の死は、「調査中」の一件として、会社の記録に、刻まれた。
小さな勝ちだった。派手さは、何もない。ただ、番号が一つ、消せない場所に、確定しただけだ。だが、その番号は、もう、誰にも握り潰せない。
「一つ、やりましたね」椎名が、端末を閉じながら言った。「憶測じゃなく、記録で」
「ああ」サトルは、静かに頷いた。九鬼さん、と、心の中で、会ったこともない後輩に、呼びかけた。あんたの死は、番号になった。ここからは、消えない。
その時だった。
椎名の端末が、小さく、通知音を立てた。彼女は、画面を見て、動きを止めた。
「木村さん」
「どうした」
「今、システムから、通知が来ました」椎名は、画面を、サトルに向けた。声が、また、あの温度を失っていた。「九鬼さんのアカウントの、凍結処理が――たった今、実行されました。誰かの手で。受理番号が、ついた、直後に」
サトルは、画面を見た。凍結処理、完了。実行者は、システム管理者権限。個人名は、伏せられている。
一か月、放置されていた口座が、報告書を登録したまさにその日に、閉じられた。まるで、番号がついたことを、誰かが、見ていたかのように。
「通報者が」サトルは、低く言った。「口を、塞がれた」
凍結された九鬼のアカウントから、もう、二度と、通報は来ない。最初の一通を最後に、その口は、閉じられた。
サトルは、確定した受理番号を、もう一度、見た。2026-0417-003。消せない、番号。そして、たった今、消された、声。
この会社には、握り潰される通報が、他にも、あったのではないか。西野は言った。「たくさん、見てきた」と。
サトルは、検索窓に、一つの条件を打ち込んだ。過去の通報のうち、「取り下げ」で処理されたものの、一覧を。
エンターキーを、押す前に、サトルは、ひとつ、息を吸った。
九鬼の口は、閉じられた。だが、番号は、残った。そして、この会社で握り潰されてきたのは、九鬼一人ではないはずだ。
次回、サトルが開く「取り下げられた通報」の一覧に、想像を超える数の、消された声が並ぶ。
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