第36話:全社に、配られた図面
同じ、設計図が、別の部署でも、回っていた。
その、事実の、前に、サトルは、しばらく、座っていた。九鬼の、班と、予防退魔事業部。舞台も、被害者も、違う、二つの、現場が、番号を、振れば、寸分、違わず、重なった。ならば、問いは、一つだった。この、図面を、刷って、全社に、配ったのは、誰か。
「⓪の、机だ」サトルは言った。「経営企画。そこに、原本が、ある。……でも、原本って、何なんだ。安全投資抑制方針。契約数のKPI。稼働効率化目標。呼び名は、全部、違う。同じ机から、出てるのは、分かった。でも、それが、どういう、一枚なのか、まだ、見てない」
「見ましょう」椎名が、端末を、引き寄せた。「経営企画が、各事業部に、配っている、上位の、文書。稼働も、契約数も、その、下位に、ぶら下がっている、はずです。……根が、一つなら。根の、文書が、一枚、あります」
二人は、社内の、規程データベースと、経営企画の、通達フォルダを、二日、かけて、辿った。稼働効率化目標150%の、通達を、開くと、その、上位に、参照先が、あった。予防退魔サブスクの、契約数KPIの、起案書を、開くと、そこにも、同じ、参照先が、あった。別々の、事業部が、別々の、数字を、掲げていた。だが、どちらの、末尾にも、同じ、管理番号が、振ってあった。全社経営管理ガイドライン。
サトルは、その、一枚を、開いた。
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全社経営管理ガイドライン(2025年度版) 管理番号:GM-2025-011
策定:経営企画部 承認:経営会議(2025年3月度)
〔目的〕
全事業部の資源配分を、統一の指標により最適化する。
〔共通指標〕
・稼働効率:前年比 150%(全工程を対象に短縮を図る)
・契約数:前年比 130%(予防退魔事業部)
・原価率:適正化対象コストを毎期 5%圧縮
〔適正化対象コスト〕
装備更新費、点検外注費、安全余裕工程 等、直接の売上に結び付かない費用。各事業部は、自部門の実情に応じ、圧縮の手段を選定する。
※本ガイドラインは目標値と指標を示すものであり、個別の施策・手段は各事業部の裁量による。
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サトルは、その、一枚を、三度、読んだ。
「これだ」サトルは言った。「稼働150%も、契約数130%も、点検の、間引きも。……全部、ここから、出てる。稼働の、通達は、これの、稼働効率の、行を、翻訳しただけ。契約数のKPIは、契約数の、行を、翻訳しただけだ。事業部は、方針を、作ってない。この一枚を、自分の、現場の、言葉に、訳してるだけだ」
「翻訳、ですね」椎名が、その語を、拾った。「稼働という、部署では、稼働の、言葉に。契約という、部署では、契約の、言葉に。……根は、一つ。訳文が、部署の、数だけ、ある」
サトルは、〔適正化対象コスト〕の、欄を、指で、押さえた。
「見てくれ、椎名さん」サトルは言った。「ここだ。装備更新費。点検外注費。……結界札を、二十枚から、十枚に、削ったのも。点検を、月一から、季一に、間引いたのも。全部、この、一行の、下に、入ってる。適正化対象コスト。売上に、結び付かない、費用」
「安全が」椎名が言った。「コストと、書かれる、瞬間です。ここだけは、はっきり、書いてあります。安全に、かかる、金は、圧縮の、対象だと。毎期、五パーセント。……ただ」
椎名は、その、最後の、一行を、読み上げた。個別の、施策・手段は、各事業部の、裁量による。
「削れ、とは」椎名は言った。「一度も、書いていません。装備を、減らせ、とも。点検を、飛ばせ、とも。……ここに、あるのは、目標値と、指標だけです。数字だけ。手段は、書いていない。書かないことが、この、文書の、設計です」
サトルは、頷いた。その、巧妙さが、体に、染みた。稼働を、一・五倍に、しろ。原価を、五パーセント、削れ。それだけを、掲げて、どうやって、達成するかは、現場に、投げる。現場は、達成できる、方法を、探す。安全余裕工程を、削るのが、いちばん、手っ取り早い。誰も、削れとは、言わない。だが、数字が、そこへ、追い込む。
「翻訳を、確かめよう」サトルは言った。「これが、本当に、各部署で、訳されてるなら。訳した、跡が、あるはずだ。経営企画に、聞く」
照会は、正規の、社内手続きで、出した。経営企画部から、返ってきたのは、事業管理課の、主査だった。三雲、という、名だった。会議室で、向き合った、その男は、若くも、老いても、なかった。感情の、起伏の、ない、平らな、顔で、資料を、卓に、置いた。
「ガイドラインの、趣旨、ですね」三雲は言った。「これは、各事業部を、縛るものでは、ありません。あくまで、目安です。全社で、指標を、揃えないと、資源配分が、比較できませんから。物差しを、配っている。それだけです」
「物差し」サトルは言った。「稼働を、一・五倍に、しろ。原価を、五パーセント、削れ。……その、物差しで、測られた、事業部は、どうやって、達成するんですか」
「それは」三雲は、少し、間を、置いた。「各事業部の、裁量です。私どもは、目標値を、示すだけで。手段には、関与しません。どこを、どう、削るかは、現場が、いちばん、よく、知っている。現場に、任せるのが、合理的です」
合理的、という語を、この男は、ためらいなく、使った。サトルは、その、平らな、顔を、見た。悪意は、なかった。声を、荒げも、しなかった。ただ、机の、上で、事業部を、数字に、直し、その、数字を、並べ替え、圧縮の、余地を、探す。人が、その、数字の、内側で、何を、削られるかは、この、机からは、見えない。見えないように、設計された、机だった。
「三雲さん」サトルは言った。「予防退魔事業部で、点検が、間引かれて、契約先の、倉庫で、人が、一人、倒れました。まだ、意識が、戻りません。森下和也さん。三十四歳。……その、事故は、あなたの、物差しの、下で、起きています」
三雲の、顔は、動かなかった。「その、事故は、承知していません。個別の、事案は、事業部の、管掌です。私どもは、指標しか、扱いませんので」
指標しか、扱わない。その、一言に、この、机の、全部が、あった。サトルは、席を、立った。それ以上、聞くことは、なかった。この男は、翻訳の、上流に、いる。だが、原文を、書いた、当人では、ない。三雲もまた、財前の、指標を、事業部へ、配る、中継の、一つに、すぎなかった。
窓口に、戻って、サトルは、椎名に、言った。
「人を、削れって、指示は」サトルは言った。「どこにも、書いてなかった。九鬼さんの、稟議にも、点検の、通達にも、このガイドラインにも。……書いてあるのは、目標の、数字だけだ。だが、その、数字が、全社で、人を、選別してた。誰を、守って、誰を、守らないか。装備を、配る班と、削る班。点検を、回す客と、間引く客。……全部、数字が、決めてた。人災を、数字の、形に、して、全社に、配ったんだ」
「一枚の、図面で」椎名が言った。「全社が、貫かれています。呼び名を、変えながら。……黒瀬も、大鷲も、この、図面の、翻訳者です。稼働に、訳した者と、契約数に、訳した者。実行役は、切り替えが、利く。でも、原文を、書いた、机は」
「一つだ」サトルは言った。「経営企画。財前の、机。……三雲じゃ、ない。三雲も、訳してるだけだった」
サトルは、GM-2025-011の、末尾を、もう一度、見た。策定、経営企画部。承認、経営会議。どこにも、財前の、名は、なかった。方針は、部署の、名で、配られ、承認は、会議の、名で、下りていた。原文を、書いた、はずの、男の、名は、この、全社を、貫く、一枚の、どこにも、残っていなかった。名を、残さない。財前は、遍在していて、不在だった。全社の、あらゆる、数字の、上流に、いながら、どの、文書にも、署名が、ない。
「まず」サトルは言った。「翻訳者に、会う。黒瀬だ。あの男は、この一枚を、現場の、間引きに、訳した、当人だ。訳文には、黒瀬の、名が、残ってる。……原文へ、行く前に、訳した口を、割らせる」
椎名は、頷いた。財前へ、届く、道は、まだ、遠かった。だが、その、手前に、黒瀬が、いた。名を、残した、実行役が。
稼働効率化目標150%も、予防退魔サブスクの契約数KPIも、点検の間引きも、辿ると一枚の「全社経営管理ガイドライン」に行き着きました。安全は「適正化対象コスト」と明記され、圧縮の対象とされていた――けれど「削れ」とはどこにも書かれていない。書かれているのは目標の数字だけ。その数字が、全社で人を選別していました。原文を書いた男・財前は、どの文書にも名を残しません。
次回、二人はまず翻訳者・黒瀬と向き合います。方針を現場の間引きに訳した、名を残した実行役へ。
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