第34話:数字を、作る男
名前が、あった。
予防退魔事業部の、契約台帳を、周期の、間引きから、逆に、辿っていくと、その、指示の、出所に、一つの、名前が、残っていた。企画部長・黒瀬。点検の、工数を、圧縮するよう、現場に、通達を、出した、当人だった。
「大鷲とは、違いますね」椎名が、端末の、画面を、見たまま言った。「大鷲は、自分の、名を、稟議に、残しました。財前は、残しませんでした。方針は、示すが、実行は、現場だと。……この人は、残しています。営業目標通達。差出人、黒瀬。堂々と」
サトルは、その、通達を、開いた。
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予防退魔事業部 営業目標通達(第2四半期)
発信:予防退魔事業部 企画部長 黒瀬
宛先:各エリア担当・点検班長 各位
日付:2026年5月18日
〔方針〕当事業部は今期、新規契約数を前年比130%に引き上げる。予防退魔サブスクの契約獲得を全業務の最優先とする。
〔工数〕点検業務は成長を支える基盤だが、契約獲得の時間を圧迫してはならない。既存契約先の点検については、周期・工数を各エリアの裁量で最適化し、営業活動に人員を振り向けること。
〔評価〕四半期の人事評価は、契約数の達成度を第一指標とする。点検実施率は参考値とする。
以上、必達でお願いする。
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「最適化」サトルは、その、一語を、声に、出した。「周期を、間引け、とは、書いていない。……工数を、最適化しろ、と、書いてある。裁量で。それで、済ませている」
「でも、意味は、一つです」椎名が言った。「点検実施率は、参考値。契約数は、第一指標。……評価が、そう、なっていれば、現場は、点検を、削ります。削らないと、評価が、下がる。命じなくても、現場が、勝手に、間引く。そう、設計されています」
サトルは、頷いた。命じずに、命じる。書かずに、書く。財前の、やり方に、似ていた。だが、財前ほど、綺麗には、隠れていなかった。黒瀬は、自分の、名を、残していた。
その、黒瀬に、会うことに、なった。
予防退魔事業部の、企画部長室は、本社の、十二階に、あった。役員室の、ある、階の、一つ、下。サトルが、名刺を、出すより、早く、黒瀬は、立ち上がって、こちらへ、来た。四十三、と、名簿には、あった。部長にしては、若い。若い分だけ、何かに、追われている、顔を、していた。
「コンプラの、方ね」黒瀬は、早口だった。「用件は、聞いています。予防退魔サブスクの、点検の、件でしょう。……先に、言っておきますが、規定違反は、していません。周期は、各エリアの、裁量です。裁量の、範囲で、やっている。それだけだ」
大鷲は、決して、語気を、荒げなかった。財前は、静かに、数字で、語った。この、男は、違った。座らないまま、指で、机の、端を、叩いていた。言葉が、こちらの、質問を、追い越して、先に、防御を、並べていた。
「点検の、実施率を」サトルは、穏やかに言った。「拝見しました。契約の、伸びに、実施率が、追いついていません。月一回の、はずの、点検が、二か月に、一回。ひどい、エリアでは、季に、一回。……その、周期の、先で、客先の、事故が、起きています」
黒瀬の、指が、一瞬、止まった。
「事故は」黒瀬は言った。「調査中でしょう。因果関係は、まだ、出ていない。点検を、飛ばしたから、事故が、起きた、なんて、誰も、証明していない。……結界の、劣化なんて、目に、見えない。見えないものを、こっちの、せいには、できないはずだ」
「客先の、報告書は」サトルは言った。「『個人の、不注意』で、閉じられていました。九鬼さんの、ときと、同じです。安全が、削られた、事実は、消えて、削られた、場所に、いた、人の、過失に、なる」
「九鬼?」黒瀬は、眉を、寄せた。それから、思い出した、ように、口の、端を、歪めた。「……ああ。人事の、大鷲さんの、件か。あれとは、違う。あれは、身内の、話だ。うちは、客の、話だ。客が、契約通りの、点検を、受けていないと、言うなら、それは、契約の、問題で、コンプラの、話じゃ、ない」
サトルは、黙って、黒瀬を、見た。この、男は、事故を、見ていない、と、思った。数字しか、見ていない。契約数という、上がっていく、数字と、実施率という、下がっていく、数字。その、二つの、あいだで、削られた、安全が、どこかの、客先で、誰かの、上に、落ちたことを、この、男は、想像していない。
「部長」サトルは言った。「なぜ、契約数を、そこまで、優先したんですか」
黒瀬は、一瞬、答えなかった。それから、堰を、切った、ように、喋った。
「上が、伸ばせと、言ったからだ」黒瀬は言った。「経営企画が。財前さんが。予防退魔サブスクは、成長事業だと。契約数が、事業部の、評価の、すべてだと。……前年比、百三十パーセント。その、数字を、四半期で、作れと、言われた。人員は、増えない。時間は、増えない。だったら、どこかを、削るしか、ない。点検を、削れば、営業に、人を、回せる。……俺は、数字を、作っただけだ。上が、契約数を、伸ばせと、言った。俺は、それに、応えた。それの、どこが、悪い」
俺は、数字を、作っただけだ。サトルは、その、言葉を、聞いた。責任を、上へ、投げる、素振り。上が、言った。俺は、応えた。だが、その、上の、名は、どこにも、残っていない。財前は、方針しか、示さない。伸ばせ、としか、言わない。どう、伸ばすかを、通達に、書いたのは、黒瀬だった。工数を、最適化しろ、と、自分の、名で、書いたのは、この、男だった。
数字を、作れと、命じられた、男が、安全を、点検票の、上の、「異常なし」に、化けさせた。実際には、行っていない、点検を、行ったことに、して。効いていない、結界を、効いていることに、して。数字は、伸びた。そして、その、数字の、外側で、客先の、誰かが、削られた、安全の、下に、いた。
「部長の、お名前は」サトルは言った。「この、通達に、残っています。営業目標通達。差出人、黒瀬。……財前役員の、名は、どこにも、ありません。伸ばせと、言った、方の、名は、残っていない。工数を、削れと、書いた、方の、名だけが、残っている」
黒瀬の、顔から、早口の、勢いが、消えた。指が、また、机を、叩き始めた。今度は、さっきより、速かった。
「……それは」黒瀬は言った。「俺が、事業部の、責任者だからだ。責任者が、通達を、出す。当たり前だろう」
「そうです」サトルは言った。「当たり前です。……だから、何かが、あったとき、名が、残っているのは、あなたです。伸ばせと、言った、方では、なく」
黒瀬は、答えなかった。若い、部長の、目に、一瞬、サトルの、知っている、色が、よぎった。野心の、下に、薄く、敷かれた、不安。自分も、いつか、切られる、側かもしれない、という、うっすらとした、予感。大鷲が、切られたのを、この、男は、一つ下の、階から、見ていたはずだった。
部長室を、出て、廊下で、椎名が、言った。
「あの人は」椎名は言った。「財前の、名を、出しました。自分から。……上が、言った、と。責任を、投げる、準備が、もう、できています。何か、あれば、あの人は、迷わず、財前を、指さす」
「ああ」サトルは言った。「でも、財前は、指さされても、痛くない。名を、残していないからだ。黒瀬が、財前を、指さしても、そこには、方針しか、ない。伸ばせ、という、一言しか。……実行役は、また、いた。今度は、若くて、焦っている。名を、残す、実行役だ。だが、頭は」
サトルは、十二階の、一つ、上を、見上げた。役員室の、ある、階。
「頭は、また、名を、残していない」
点検を間引かせた指示の出所には、予防退魔事業部 企画部長・黒瀬の名が残っていました。契約数を前年比百三十パーセントに引き上げる営業目標通達――安全は、点検票の「異常なし」に化けさせられていた。黒瀬は「上が伸ばせと言った、俺は数字を作っただけだ」と、早口で責任を上へ投げる。だが伸ばせと言った財前の名は、どこにもありません。名を残す実行役と、名を残さない頭。
次回、この事件の構造が、第一部の九鬼の一件と"同型"であることの立証へ。
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