第33話:お客様先で、起きたこと
点検ログの、空白は、地図のように、広がっていた。
予防退魔事業部の、契約先は、百を、超えていた。工場、倉庫、商業施設、金融機関の、書庫。結界の、定期メンテを、定額で、請け負う。予防退魔サブスク。その、点検票を、椎名が、一件ずつ、開いていく。規定は、月一回。だが、実際の、点検日を、並べると、月が、飛んでいた。二か月に、一回。ひどい、契約では、三月と、六月の、間に、何も、なかった。
「この、飛び方には」椎名が、端末から、目を、離さずに、言った。「傾向が、あります。契約年数の、長い、古い顧客ほど、間引かれている。……新規の、契約は、初回だけ、律儀に、点検する。数が、欲しいのは、新規だから」
サトルは、頷いた。KPIは、契約数だった。増やすことに、人手を、割く。既に、取った、契約の、維持は、後回しになる。売った、あとの、安全は、数字に、ならない。
通報の、最後の、一文が、また、頭に、浮かんだ。もう、起きているのかもしれません。
「間引かれた、契約の、中で」サトルは言った。「事故が、起きた、記録は。……客先で、何かが、あった、痕跡は」
椎名の、手が、止まった。しばらく、無言で、画面を、繰る。それから、一枚の、ファイルを、開いて、こちらへ、向けた。
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事故報告書
文書番号:TR-2026-0517
作成日:2026年5月26日
作成部署:立花物流株式会社 総務部 安全衛生課
作成者:安西(安全衛生課 課長)
〔発生日時〕 2026年5月22日 午前2時40分頃
〔発生場所〕 当社 第二倉庫棟 B区画(旧棟)
〔被害者〕 森下和也(34)/在庫管理課 夜勤担当
〔事故概要〕
夜勤中、被害者が単独でB区画に立ち入った際、意識を喪失し倒れているところを、巡回中の同僚が発見。搬送先にて入院加療中。意識は回復していない。
〔原因〕
B区画入口には「関係者以外立入注意」の表示があり、被害者はこれを無視して単独で立ち入ったものと認められる。本件は、被害者本人の不注意による事故と結論する。
〔当社対応〕
当該区画を閉鎖。従業員への注意喚起を再徹底。
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サトルは、その、報告書を、二度、読んだ。
立花物流。予防退魔サブスクの、契約先の、一つ。第二倉庫棟の、B区画は、点検ログの、空白が、いちばん、長かった、区画だった。規定なら、四月にも、五月にも、点検が、あるべきだった。だが、直近の、点検は、三月九日で、止まっていた。二か月半、誰も、あの区画の、結界を、見ていない。
「森下、和也」サトルは、その、名前を、声に、出した。三十四歳。九鬼より、五つ、上だ。「在庫管理課。夜勤担当。……単独で、立ち入って、倒れた」
「原因は」椎名が、平板に言った。「本人の、不注意。立入注意の、表示を、無視した。……そう、結論して、います」
サトルは、椅子の、背に、体を、預けた。天井を、見た。既視感が、あった。九鬼の、ときと、同じ、言葉の、形だった。本人の、判断ミス。本人の、不注意。数字の、裏に、いる、一人を、「本人」の、二文字で、丸めて、しまう、あの、やり方。
「もう一枚、ある」椎名が、別の、ファイルを、開いた。「予防退魔事業部の、対応記録です。事故の、あと、うちが、立花物流に、出したもの」
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メンテナンス対応記録(顧客報告用)
契約番号:PS-2024-0137(予防退魔サブスク/立花物流株式会社)
対象:第二倉庫棟 B区画(旧棟)
照会内容:2026年5月22日の当社構内事故に関する、結界設備の状態について
〔直近点検実施日〕 2026年3月9日
〔点検結果〕 異常なし
〔当部所見〕
直近点検において当該区画の結界設備は正常に機能しており、以降、当社が異常の報告を受けた事実はない。本件事故と、当社の提供する結界設備との間に、因果関係は認められない。
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「三月九日」サトルは、繰り返した。「点検は、その日で、止まってる。それ以降、誰も、見ていない。なのに、この、記録は、『異常なし』を、事故の日まで、引き延ばして、書いてある。三月に、異常が、なかったから、五月も、大丈夫だった、と」
「結界は」椎名が言った。「見なければ、劣化は、分かりません。点検を、飛ばした、期間の、状態を、うちは、知らない。知らないのに、『異常なし』と、断言している。……知らない、ことを、正常だと、言い換えて、います」
サトルは、現場の、記憶を、たぐった。結界札は、時間で、効き目が、落ちる。湿気の、多い、旧棟の、倉庫なら、なおさら、早い。二か月半、放置された、札が、どういう、状態に、なるか、体が、知っていた。破れる。効かなくなる。そして、それは、外からは、見えない。
「森下さんは」サトルは、静かに、言った。「あの、区画に、立ち入った。表示を、無視したのか、しなかったのかは、分からない。でも、もし、結界が、生きていたら。ちゃんと、点検されて、効いていたら。……立ち入っても、守られた。倒れなかった」
椎名は、答えなかった。ただ、端末の、事故報告書を、もう一度、スクロールして、被害者の、欄で、指を、止めた。森下和也。三十四歳。その、無言が、答えだった。
サトルは、少し、調べた。立花物流の、社内報が、一件、外から、見えた。三年前の、社員紹介。森下は、そこに、いた。倉庫の、前で、笑っている。几帳面に、在庫を、合わせるのが、得意で、後輩の、面倒見が、いい、と、書いてあった。趣味の、欄に、娘と、公園、とあった。四歳の、娘。妻。夜勤を、選んだのは、昼間、娘と、いられるから、だと。
「怪異が」サトルは言った。声が、低くなった。「森下さんを、襲ったんじゃ、ない」
椎名が、顔を、上げた。
「間引かれた、点検が」サトルは言った。「削られた、安全が、先に、森下さんを、選んでいた。あの、区画に、立った人なら、誰でも、よかった。結界の、切れた、場所に、たまたま、立った、誰か。それが、あの夜は、森下さんだった。……怪異は、あとから、来ただけだ。順番は、逆なんだ。人が、危険に、近づいたんじゃ、ない。危険が、先に、そこに、置かれていた。誰かが、点検を、間引いた、その、瞬間に」
オフィスの、空調の、音が、やけに、大きく、聞こえた。
「立入注意の、表示」椎名が、事故報告書を、指した。「これは、便利です。表示を、出しておけば、事故が、起きても、『無視した、本人が、悪い』と、言える。安全設備が、切れていた、ことを、隠したまま。……表示は、削られた、安全の、アリバイに、なっている」
サトルは、二枚の、文書を、並べた。立花物流の、事故報告書は、被害を、「本人の、不注意」で、閉じていた。予防退魔事業部の、対応記録は、点検の、空白を、「異常なし」で、埋めていた。二つの、書類が、別々の、机で、同じ、ことを、していた。一人の、人間を、数字と、定型句の、下に、しまい込む。
「九鬼さんの、ときと」サトルは言った。「同じだ。付け替えだ。人災を、本人の、過失に、付け替えている。……ただ、今度は、うちの、社内だけじゃ、ない。客先でも、起きてる。うちが、点検を、間引いた。そのツケを、立花物流の、社員が、払った。そして、両社が、揃って、それを、本人のせいに、している」
「この、報告書を、書いた、人は」椎名が、作成者の、欄を、指した。安西。立花物流、安全衛生課の、課長。「安全衛生課の、課長です。……本来なら、自社の、社員が、倒れたなら、いちばん、原因を、突き止めたい、立場のはず。設備は、大丈夫だったのか。点検は、来ていたのか。……なのに、四日で、『本人の、不注意』と、結論を、閉じている」
サトルは、その、名前を、見た。安西も、たぶん、悪人では、ないのだろう、と、思った。自社の、区画で、社員が、倒れた。労災の、認定。安全管理の、責任。会社としての、体面。それらが、全部、自分の、課の、上に、乗っている。「本人の、不注意」で、閉じれば、いちばん、軽く、済む。追及すれば、自分の、管理責任も、掘り起こされる。だから、掘らない。表示は、出していた。無視した、本人が、悪い。そう、書けば、誰も、傷つかない。倒れた、一人を、除いて。
「立花物流にも」サトルは言った。「うちの、大鷲が、いる。うちの、財前が、いる。……付け替えは、うちの、専売じゃ、ない。安全を、コストと、呼ぶ場所なら、どこにでも、同じ、書式が、ある」
「射程が」椎名が、静かに言った。「社外に、出ました」
サトルは、森下の、笑った、写真を、閉じなかった。しばらく、それを、見ていた。四歳の、娘が、待っている。意識は、まだ、戻っていない。
「また」サトルは、呟いた。「付け替えられている」
二か月半、誰も、見なかった、区画。その、空白を、作ったのは、森下ではない。表示を、無視した、かどうか、以前の、話だった。誰かが、点検を、間引けと、言った。誰かが、その、周期を、延ばす、判断を、した。数字の、ために。契約数の、ために。
「調べる」サトルは、二枚の、文書に、指を、置いて、言った。「立花物流の、B区画。点検を、いつ、誰が、間引く、判断を、したのか。……この、事故は、森下さんの、不注意じゃ、ない。誰かの、指示の、先で、起きた、ことだ。その、指示に、名前が、あるはずだ」
間引かれた点検の先で、契約先の倉庫で、事故は既に起きていました。夜勤担当の森下和也さん、三十四歳。四歳の娘の父親。二か月半、誰も見なかった区画で、劣化した結界が破れ、怪異が漏れた――その被害を、顧客の事故報告書は「本人の不注意」で、予防退魔事業部の対応記録は「異常なし」で、それぞれに丸めていました。人災の付け替えは、社外でも、二重に起きていたのです。
次回、その点検を「間引け」と現場に翻訳した人物へ。数字を安全の前に置いた、実行役の顔が見えてきます。
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