第32話:間引かれた、周期
予防退魔事業部の、資料は、拍子抜けするほど、すんなり、出てきた。
自動採番の、効いた、いまの、窓口は、以前とは、違う。通報番号2026-0605-007には、すでに、受理の、記録が、付いている。それを、根拠に、椎名が、予防退魔事業部へ、規定文書と、点検記録の、開示を、正規の、手順で、請求した。相手は、隠す、理由を、まだ、持っていなかった。数字が、綺麗なうちは、誰も、隠さない。綺麗だと、思っているうちは。
まず、規定から、見た。
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予防退魔サブスク サービス運用基準(第3版)
〔契約〕定額見守り契約(法人向け・結界の定期メンテナンス)
〔点検周期〕原則、契約先ごとに月1回。結界札の張り替え・効力測定を含む。
〔記録〕点検のつど点検票を起票。判定は「異常なし」「要補修」「要再施工」の3区分。
〔評価指標〕事業部KPI=契約数。前年同期比の新規契約獲得を最優先とする。
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「点検周期は、月一回」椎名は、平板に言った。「規定に、はっきり、書いてあります。通報の、とおりです。……そして、この、最後の、一行」
サトルは、その、一行を、見た。評価指標、KPI、契約数。
「点検の、質は」サトルは言った。「どこにも、指標が、ない。何回、点検したか。ちゃんと、異常を、見つけたか。……測る、項目が、ない。測られるのは、契約が、いくつ、取れたか、だけだ」
「取れば、評価される」椎名が、続けた。「点検は、しても、しなくても、評価に、響かない。……響くのは、契約数だけ。だとしたら、現場は、どちらに、時間を、使いますか」
答えは、聞くまでも、なかった。取る、ほうだ。
「うまく、できています」椎名が、端末を、叩きながら、言った。「点検を、間引け、とは、どこにも、書いていない。規定は、月一回のまま。誰も、規定を、破れとは、命じていません。……ただ、契約数だけを、評価すると、決めた。すると、現場は、勝手に、点検を、後回しにする。命令しなくても、数字が、そうさせる。……手を、汚さない、やり方です」
サトルは、その、言い方が、誰かの、影を、なぞっているのに、気づいた。手を、汚さない。名を、残さない。だが、いまは、まだ、その、名を、口に、しなかった。まず、現場だ。
次に、実態を、見た。契約先ごとの、点検実施記録。ここで、規定と、現場が、初めて、並んだ。
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予防退魔サブスク 点検実施記録(抜粋・関東エリア)
契約先/規定=月1回/直近3か月の実施
東和リース本社ビル 4月○ 5月― 6月―(最終点検=4月11日)
オオゾラ物流第二倉庫 4月○ 5月― 6月○(隔月化)
みなと医療センター 4月○ 5月― 6月―(最終点検=4月18日)
立花物流第二倉庫棟 4月― 5月― 6月―(前回=3月9日/季1相当)
※点検票の判定は、上記いずれも全件「異常なし」。
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しばらく、誰も、喋らなかった。
「規定は、月に、一回」サトルは、低く言った。「東和リースは、四月を、最後に、二か月、飛んでいる。みなと医療センターも、同じだ。立花物流に、いたっては……三月が、最後。もう、三か月、点検が、入っていない」
「季に、一回」椎名が言った。「通報の、文面と、一字も、違いません。二か月に、一回。ひどい所は、季に、一回。……間引かれて、います。規定の、上では、月一回の、はずの、周期が」
サトルは、記録の、右端を、指で、なぞった。判定は、全件、異常なし。行かなかった、月の、ぶんも、含めて、票は、起票され、異常なし、と、書かれている。行っていない、点検の、結果が、異常なし。
「札は」サトルは言った。現場を、知っている、体が、また、先に、答えを、出していた。「結界札は、一か月で、目に、見えて、効力が、落ちる。二か月、放てば、半分。四か月、放置した、結界なんて……もう、無いのと、同じだ。立花物流の、結界は、三月から、誰も、触っていない。なのに、票の、上では、ずっと、異常なし、だ」
「台帳と、同じ、構造です」椎名が、静かに言った。「九鬼さんの、班の、二十枚と、十枚。……紙の上の、安全と、現場の、安全が、ずれている。今度は、その、ずれが、契約先の、建物の、中に、置かれている」
サトルは、頷いた。そして、もう一枚、開いてくれ、と、言った。点検票が、正しいなら、その、点検を、誰かが、実際に、現場で、こなした、はずだ。作業員の、稼働ログ。人が、いつ、どこへ、動いたかの、記録。それを、票と、突き合わせれば、票が、本物か、机上の、ものか、分かる。
稼働ログを、開いた、椎名の、指が、途中で、止まった。無言で、スクリーンショットを、一枚、保存した。
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予防退魔サブスク 点検作業員 稼働ログ(担当:峰岸)
5月11日 東和リース本社ビル 点検票起票:異常なし
└稼働ログ:当日、峰岸の入館記録・移動記録なし(データ空白)
5月18日 みなと医療センター 点検票起票:異常なし
└稼働ログ:当日、峰岸は別現場3件を稼働(移動時間上、来訪不可)
※峰岸の担当契約先=62件(3年前:21件)。点検作業員数=3年間、増員なし。
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「票は、ある」サトルは言った。「異常なし、と、書いてある。でも、その日、峰岸さんは、そこに、行っていない。行った、記録が、無い。……点検ログの、ほうが、空白なんだ。票だけが、宙に、浮いている」
空白。データの、無い、白い、欄。そこに、本当は、何が、あったのか。サトルは、その、白さを、しばらく、見ていた。行かなかった、のではない。行けなかったのだ。担当は、三年で、三倍。人は、増えていない。一人で、六十二件を、月に、一度ずつ、回れる、はずが、ない。回れないぶんは、票の、上で、済ませる。異常なし、と、書いて。
サトルには、その、峰岸という、名の、作業員の、疲れが、見える、気が、した。会ったことも、ない。顔も、知らない。だが、現場を、六年、歩いた、体が、覚えている。上から、契約数だけを、追われ、点検は、後回しでいい、と、言われ、行けなかった、現場の、票に、異常なし、と、自分の、手で、書き込む。書くたびに、少しずつ、何かが、削れていく、あの、感じ。峰岸は、たぶん、知っている。ここに、いつか、事故が、起きる、ことを。知っていて、書いている。だから、この、通報が、届いたのだ。もう、起きているのかもしれません、と。
「これは」サトルは言った。「峰岸さんが、サボったんじゃ、ない。間引けと、言われた、側だ。契約を、取れ、点検は、後だ、と、上から、翻訳されて、降りてきた、数字の、いちばん、下で、票に、嘘を、書かされている。……予防退魔、なんて、名前を、付けておいて」
サトルは、規定の、一行を、もう一度、思った。予防。事故が、起きる前に、防ぐ。安全の、思想。その、思想が、契約数という、たった一つの、数字のために、実際の、点検ではなく、点検票の、上だけの、「異常なし」に、化けている。予防という、言葉が、いちばん、予防を、していない。怪異が、暴れて、人が、傷つくのでは、ない。行かなかった、点検の、白い、欄が、人を、傷つけるのだ。これは、怪異の、話ではない。人が、数字で、決めた、間引きの、話だ。
「峰岸さんに、会いたい」サトルは言った。「けど、その前に、確かめることが、ある。……この、三か月、放置された、契約先で。立花物流で。本当に、まだ、何も、起きていないのか、どうか」
椎名は、端末を、閉じた。答えは、しなかった。ただ、次の、開示請求の、宛先を、打ち始めた、その、指が、いつもより、少しだけ、速かった。
予防退魔サブスクの点検周期は、規定では月一回。だが実施記録は隔月・季一回に間引かれ、点検票は行っていない月まで全件「異常なし」。稼働ログのほうが空白で、票だけが宙に浮いていました。契約数だけがKPIとして測られ、点検の質は誰にも測られない――九鬼の台帳と、同じ構造です。そして間引きの最下層で票に嘘を書かされていたのは、担当を三年で三倍に膨らまされた、一人の作業員でした。
次回、四か月放置された契約先で、本当に何も起きていないのか。間引かれた周期の、その先へ。
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