第31話:別の、現場
六月に、入っていた。
九鬼の、事件から、ひと月。特別調査委員会の、調査は、まだ、続いていた。大鷲は、去った。安全基準の、見直しも、三行だけ、動いた。窓口には、以前より、多くの、通報が、届くように、なっていた。受理番号が、受付と、同時に、自動で、振られるように、なったからだ。取り下げても、番号は、消えない。声が、番号を、持てるように、なった。それだけで、届く声の、数が、変わった。
あの、二通目のことを、サトルは、誰にも、話していなかった。凍結された、はずの、九鬼の、アカウントから、届いた、「まだ、終わっていません。次は、別の、現場です」の、一通。椎名と、二人で、記録の、外に、しまった。エラーか、誰かの、細工か、それとも。答えは、出さないままだった。だが、その、一文だけが、ずっと、頭の、隅に、残っていた。別の、現場。
その現場が、向こうから、届いた。
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社内通報受付システム 通報番号:2026-0605-007
受付日時:2026年6月5日 23:47
通報経路:匿名通報フォーム(社用VPN経由)
通報分類:労働安全衛生に関する規定違反の疑い
対応部署:コンプライアンス室 内部通報窓口
担当:木村サトル(主任調査員)
本文:
「予防退魔事業部です。お客様先の結界メンテナンスの点検を、間引いています。契約では月一回のはずが、二か月に一回、ひどい所は季に一回。契約数のノルマが優先で、点検は後回しです。このままだと、いつか、お客様先で、事故が起きます。もう、起きているのかもしれません。」
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サトルは、その、本文を、二度、読んだ。
「予防退魔事業部」椎名が、隣で、端末を、叩いた。「……新規事業ですね。三年前に、立ち上がっている。法人向けの、結界メンテナンスを、定額契約で、請け負う。『予防退魔サブスク』。定額見守り契約。……成長事業として、社内報にも、何度か、出ています」
「サブスク、か」サトルは言った。「毎月、定額を、払えば、会社の結界を、点検して、維持してくれる。事故が、起きる前に、防ぐ。予防、退魔」
「聞こえは、いいです」椎名は、平板に言った。「予防は、安全の、思想ですから。……ただ、通報が、正しければ。その予防が、間引かれている。月一回の、契約を、二か月に一回。ひどい所は、季に一回」
サトルは、その、数字の、意味を、考えた。現場を、知っている、体が、先に、反応した。
「結界の、メンテは」サトルは言った。「一回、飛ばせば、それだけ、劣化が、進む。効き目が、落ちる。契約先の、会社にとっては、結界は、目に、見えない。効いているか、どうか、外からは、分からない。……点検票に、『異常なし』と、書いてあれば、客は、安心する。実際に、点検、していなくても」
「台帳と、同じですね」椎名が、静かに言った。
サトルは、頷いた。九鬼の、班の、台帳。二十枚と、書いて、十枚しか、なかった、あの、帳簿。あれと、同じ、構造だった。紙の上の、安全と、現場の、安全の、乖離。ただ、今度は、その乖離が、自社の、現場ではなく、契約先の、法人に、向いていた。
「これは」サトルは言った。「もし、本当なら。被害が、及ぶのは、うちの、社員じゃ、ない。客だ。契約した、会社の、社員。あるいは、その、建物に、いる、一般の人。……九鬼さんの、ときは、身内が、削られた。今度は、他人が、削られる」
「規模は、同じです」椎名が言った。「一つの、事業部。一つの、人災。……でも、射程が、外に、出ました。社外に。うちが、安全を、コストで、削ったツケを、うちの、外の人が、払う」
サトルは、通報の、最後の、一文を、見た。もう、起きているのかもしれません。
「起きてるか、どうか」サトルは言った。「まず、それを、確かめる。点検の、規定と、実態。契約数の、ノルマ。……九鬼さんの、ときと、同じだ。数字の、食い違いから、始める」
「手順は、変わりません」椎名は、端末を、閉じて、言った。「規定を、確認する。実態を、確認する。差分を、見る。誰が、それを、決めたか、辿る。……ただ」
椎名は、少し、間を、置いた。
「今度の、相手は」椎名は言った。「たぶん、財前です。予防退魔サブスクの、契約数ノルマ。それを、KPIに、したのは、経営企画のはず。……大鷲を、切り離して、無傷で、残った、あの人が。稼働と、同じ、やり方で、別の、事業部でも、数字を、置いている」
サトルは、財前の、去り際の、言葉を、思い出した。数字は、罪には、ならない。これ以上、上を、見上げても、掴めるものは、ない。あの、なめらかな、論理の、怪物が、また、この、通報の、向こうに、いる。今度は、実行役の、大鷲は、いない。名を、残さない、頭が、直接、向こうに、いる。
「別の、現場」サトルは、呟いた。あの、二通目の、言葉と、同じだった。九鬼の、アカウントが、告げた、次の、現場。それが、いま、生きた、誰かの、通報として、届いた。偶然か。それとも。
サトルは、その、問いを、また、記録の、外に、置いた。今は、問わない。まず、現場だ。
「調べよう」サトルは言った。「予防退魔事業部。点検票と、契約台帳。……間引かれた、周期の、先で、何が、起きているか」
九鬼の事件から、ひと月。凍結されたアカウントが告げた「別の、現場」が、生きた通報として届きました。予防退魔事業部――法人向けに結界の定期メンテを請け負う成長事業「予防退魔サブスク」。契約数のノルマのために、点検が間引かれている。今度は、人災の射程が、社外の顧客へと広がります。そして、その数字を置いたのは、無傷で残った決裁者・財前。
次回、間引かれた点検周期の先で、何が起きていたのか。二人の調査は、別の事業部の台帳へ。
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