第30話:あの一通に、応えた
特別調査委員会の、調査は、続いていた。だが、会社は、結論を、待たずに、一つ、動いた。
五月の、頭。社内ポータルに、通達が、載った。
──────────────
安全装備・稼働運用の見直しについて(2026年5月7日)
当社は、特別調査委員会の中間所見を踏まえ、下記を、即時、実施する。
一、結界札その他の安全装備は、規定配備数の充足を、月次で、実地点検する。
台帳と発注記録・現物の三点照合を、義務化する。
二、稼働効率化目標は、安全工程を、短縮の対象から、除外する。
三、内部通報は、受理番号を、受付と同時に、自動採番する。
(取り下げによる、受理前の、記録抹消を、不可とする)
安全は、すべてに優先する。この理念を、運用で、担保する。
──────────────
サトルは、その、三項目を、何度か、読んだ。
三番目。受理番号を、受付と、同時に、自動で、振る。取り下げても、番号は、消えない。――これが、あれば。二か月前、九鬼の、通報にも、あの朝、番号が、ついていたら。九鬼が、生きているうちに、声を上げていたら。その声は、番号を、持ったまま、消えずに、残ったかもしれない。四十五件は、四十五件のまま、記録に、残ったかもしれない。
制度が、一つ、変わった。たった、三行。だが、この三行を、変えるために、九鬼が、死ななければ、ならなかった。サトルは、その、重さを、思った。留飲では、埋まらない、重さだった。
「短いですね」椎名が、通達を、見て言った。「二か月、掛けて、たった、三行」
「ああ」サトルは言った。「でも、この三行は、消せない。……あんたの、やり方だ」
椎名は、答えなかった。ただ、いつものように、その通達を、無言で、スクリーンショットに、収めた。乾いた、指で。守るべき、記録を、また一つ、残すように。
その、夕方。サトルは、一人で、資料室に、行った。
関東第二班の、古い、業務記録が、保管されている、棚。その、隅に、九鬼透の、日報の、綴りが、あった。几帳面な、字だった。天候。装備の、点検。現場の、状況。そして、何度も、何度も、同じ、一行が、書かれていた。「結界札、規定数に、不足。要、補充」。誰も、読まなかった、訴えだった。番号の、つかない、声だった。
サトルは、その、綴りに、手を、置いた。
「あんたの、通報は」サトルは、小さく、言った。「受理、しました。番号は、2026-0417-003。……取り下げには、しなかった。ちゃんと、残っています。あんたが、死んでから、届いた、あの一通に――俺たちは、応えた」
会ったことは、なかった。声も、知らない。だが、この二か月、ずっと、隣に、いた気が、した。半分の、装備で、現場に、出された、几帳面な、男。救えなかった、次の、同僚。かつて、自分が、現場を、去る、理由に、なった、あの日の、悔いと。九鬼の、死は、どこかで、重なっていた。
窓口に、戻ると、椎名が、まだ、席に、いた。端末を、見ている。
「木村さん」椎名の、声が、少しだけ、硬かった。「これを、見て、ください」
サトルは、その画面を、覗き込んだ。
通報受付システムの、受信一覧。その、一番上に、新しい、一件が、あった。
──────────────
社内通報受付システム 新着通報
通報番号:2026-0507-001
受付日時:2026年5月7日 21:03
通報経路:匿名通報フォーム(社用VPN経由)
送信元アカウント:九鬼 透(第三事業部・関東第二班/退魔師)
本文:
「まだ、終わっていません。次は、別の、現場です。」
──────────────
サトルは、その、送信元の、名前を、見て、動けなくなった。
九鬼、透。
凍結された、はずの、アカウント。四月二十八日の、あと、確かに、権限は、切られたはずだった。特別調査で、真っ先に、確認された。もう、あの口は、閉じたはずだった。それが、また、開いていた。今日の、日付で。新しい、番号を、つけて。
「凍結は」サトルは、掠れた声で、言った。「されたはずだ。確認した。あんたも、見た」
「されました」椎名の、声が、わずかに、早口に、なった。指が、少し、白かった。「四月二十八日に、正式に。ログも、残っている。……このアカウントは、もう、存在しないはずです。存在しない、口から、通報が、届いた。システム、エラーでしょう。そうに、決まっている。送信など、できるはずが――」
椎名は、そこで、言葉を、止めた。いつも、証拠と、規程で、割り切る、その口が、続きを、言えなかった。割り切れるだけの、証拠が、なかった。
サトルは、その本文を、もう一度、読んだ。まだ、終わっていません。次は、別の、現場です。――誰が、書いたのか。単純な、エラーか。死んだ男の名を、借りた、生きた、誰かか。それとも。三つの、答えが、また、並んだ。どれも、証明できず、どれも、否定できなかった。
だが、一つだけ、はっきりしていることが、あった。
最初の一通が、九鬼の、死を、掘り起こした。ならば、この、二通目は。
「別の、現場」サトルは、呟いた。「まだ、終わっていない、って」
窓の外は、もう、暗かった。役員室の、灯りは、まだ、点いていた。財前は、無傷で、あの部屋に、座っている。数字は、罪には、ならない、と、言い切った男が。安全投資抑制方針は、まだ、生きている。ならば、削られているのは、九鬼の班だけでは、ないはずだった。
サトルは、その、新しい通報番号に、指を、置いた。2026-0507-001。取り下げには、しない。受理する。番号を、残す。それが、この窓口の、仕事だった。
「受理しよう」サトルは言った。「――調べる。誰から、届いたのかは、あとでいい。まず、その現場を、調べる。それが、俺たちの、仕事だ」
椎名は、しばらく、その画面を、見ていた。それから、いつもの、平板さを、取り戻した声で、言った。
「……手順ですね」
その、耳が、少しだけ、赤かった。
九鬼の死は、たった三行の制度改定を、会社に残した。サトルは、番号のつかなかった彼の声に、ようやく「受理した」と応える――第一部は、ここで一区切りです。装備削減から始まった人災は、文書だけで立証され、実行役は倒れました。
けれど、決裁者・財前は無傷で残り、安全投資抑制方針は、まだ生きている。そして、凍結されたはずの九鬼のアカウントから、二通目が届きました。「まだ、終わっていません。次は、別の、現場です」。あの一通は、誰が――。
第二部へ。次の現場は、別の事業部。安全を「コスト」と呼ぶ数字の帝国と、名を残さない決裁者・財前との、二度目の戦いが始まります。
※★評価・ブックマークが、次の一件を追う力になります。この続きが気になった方は、応援していただけると嬉しいです。




