表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/57

第21話:手順の人

 照会の担当者は、思っていたより、若かった。


 情報セキュリティ委員会事務局・立石。三十代の半ばくらいか。会議室に現れた立石は、椎名の向かいに座ると、丁寧に名刺を差し出し、それから、手元のタブレットを、事務的に立ち上げた。


──────────────

情報セキュリティ委員会事務局 照会・面談記録


 案件番号:SEC-2026-0088

 対象者:椎名レイ(コンプライアンス室)

 嫌疑:情報管理規程第12条(機密情報の無断持ち出し)の疑い

 回答期限:4月27日

 本日面談:取得文書一覧および取得目的の聴取

──────────────


 「あくまで、事実確認です」立石は、言い訳のように、そう言った。「私の一存では、ありません。上から、進めるよう、指示が出ておりまして。……ご協力を、お願いします」


 俺は、立石の顔を見ていた。悪人の顔では、なかった。ただ、上から降りてきた手続きを、期日どおりに、こなそうとしている顔だった。誰が仕掛けたのかも、たぶん、深くは知らない。知らないまま、書式の空欄を、埋めにきている。それが、一番、静かに人を潰す顔だと、俺は、九鬼の一件で、学んでいた。悪意は、どこにも、見当たらない。ただ、期日と、指示と、前例だけが、机の上を、滑っていく。そうやって、人が一人、箱に入れられる。


 この面談に、俺は同席する必要は、本当は、なかった。照会の対象は、椎名一人だ。だが俺は、椎名の隣に、座った。別々に潰すのが向こうの手なら、こちらは、離れないことだ。立石は、俺の同席を、一度だけ、書式に書き留め、それ以上は、触れなかった。触れる権限も、指示も、彼には、なかったのだろう。


 椎名は、動じなかった。膝の上で端末を開き、静かに、一枚の資料を、机に、滑らせた。


 「取得目的の前に」椎名は言った。「取得の、手順を、先に提出します。そちらが、本題ですので」


──────────────

開示請求 取得ログ一覧(提出資料)

作成:椎名レイ/作成日時:2026年4月24日 18:40


 No.1

  請求日時:2026年4月17日 10:22

  対象:備品台帳(結界札 配備記録)

  根拠:社内情報開示請求規程 第4条

  受付番号:J-2026-0417-D011

  承認:総務部 管財課長/交付:4月18日 14:05


 No.2

  請求日時:2026年4月18日 09:15

  対象:購買申請 2025-Q1-0442

  受付番号:J-2026-0418-D014

  承認:購買部長/交付:4月19日 11:30


 No.3

  請求日時:2026年4月19日 13:40

  対象:稟議 2025-J-0088(決裁記録)

  受付番号:J-2026-0419-D021

  承認:法務部 文書管理責任者/交付:4月20日 10:12


 ……(以下、No.23まで同様)


 総件数:23件。うち正規開示:23件。手続外取得:0件。

──────────────


 「二十三件」椎名は言った。「私が、この二か月で、取得した社内文書の、全件です。いつ、どの規程に基づいて、誰の承認印で、いつ交付されたか。日時つきで、残してあります。……一件も、飛ばしていません」


 立石は、そのログを、上から下まで、目で追った。追うほどに、指の動きが、止まっていった。反論する言葉を、探しているのが、分かった。だが、見つからなかったのだ。無断持ち出しなど、どこにも、なかった。すべてが、会社が用意した窓口を通って、承認印を経て、正しく、机の上に出ていた。


 俺は、それを、横で見ていて、静かに、感心した。九鬼の死を調べ始めてから、椎名は、一件ごとに、開示請求の紙を、律儀に、通し続けていた。手間のかかるやり方だった。庶務に頼めば、口頭で、すぐ回してもらえる文書も、あった。だが椎名は、そうしなかった。全部、番号を取り、承認印を待ち、交付の日時を、控えた。あのとき俺は、遠回りだと、思っていた。今、分かった。あれは、遠回りでは、なかった。この、机の上の、一枚のためだった。疑われる日のために、椎名は、二か月かけて、隙のない道を、自分の足で、踏み固めていた。


 「これは……」立石は、言葉を、濁した。「しかし、目的が。私的な目的での、開示請求は、規程の、濫用に当たる、可能性が……」


 「なら」椎名は、二枚目を、滑らせた。「そちらの、手順を、伺います」


 俺は、二枚目を、覗き込んだ。それは、椎名への照会状の、写しだった。だが、椎名が赤いペンで、一箇所だけ、丸を、つけていた。決裁欄。そこが、空白だった。


 「情報管理規程の違反調査は」椎名は、平板に言った。「委員会の議決、または、委員長決裁を、開始要件とします。規程、第二十条。……この照会状には、決裁が、ありません。事務局の判断だけで、始まっています。要件を、欠いた、見込み調査です」


 立石の顔から、血の気が、引いた。


 「見込みで、人を、調査対象にした」椎名は続けた。「開始要件を、満たさずに。……つまり、規程違反をしているのは、私では、ありません。この照会、そのものです」


 俺は、思わず、息を吐いた。規程違反を、でっち上げることもできる。だが、その規程を、守れと突きつけることも、同じ、一枚の文書で、できる。椎名は、殴られた武器を、そのまま、拾い上げて、握り直していた。


 同じ規程だった。同じ、情報管理規程。それを、椎名を黙らせる箱にも、使える。だが、その箱を作った手つきそのものが、規程に反していれば、箱は、成立しない。向こうは、椎名を「疑わしい人間」の箱に、入れようとした。椎名は、その箱の、蝶番の、ネジ一本が、締まっていないことを、指で、示した。それだけで、蓋は、閉まらなくなった。文書で人を潰す会社は、文書の穴からしか、崩れない。そのことを、椎名は、誰よりも、知っている。


 「……私は」立石は、掠れた声で言った。「指示された、手続きを、進めただけで」


 「知っています」椎名は言った。少しだけ、早口だった。「あなたを、責めていません。ただ、要件を欠いた照会は、無効です。無効な照会には、回答義務が、ありません。……これは、そう、記録してください。あなたの、保身のためにも」


 立石は、しばらく、動かなかった。それから、タブレットに、何かを、打ち込み始めた。たぶん、この照会を、いったん保留にする、その理由を。降りてきた手続きから、そっと、手を、引くための。


 会議室を出たあと、俺は、椎名の横顔を、見た。動じなかった。最後まで。だが、資料を鞄に戻す指が、ほんの少しだけ、白かった。


 「あんたは」俺は言った。「どうして、そこまで、手順に、こだわるんだ。……疑われる日を、想定して、ログまで、残して。ふつう、そこまで、やらない」


 椎名は、鞄の口を、閉じた。少し、間があった。


 「私が、手順に、こだわる理由」椎名は言った。窓の外を、見ていた。「……いつか、話します」


 「いつか?」


 「今は」椎名は、俺を見た。「これを、通すことだけ、考えます」


 その声には、恐れは、なかった。もっと、古い、何かが、あった。照会状を前にしても揺れなかった、あの朝の、硬さと、同じものだった。俺は、それ以上、聞かなかった。聞けば、たぶん、椎名は、答えただろう。だが、今、答えさせては、いけない気が、した。今日は、まだ、これを、通す日だ。あの人が、自分で、そう決めている。


 「一つだけ」俺は、代わりに、言った。「あんたが、いつか話す、その、いつか。……俺は、ちゃんと、隣に、いるからな」


 椎名は、少しだけ、こちらを、見た。何も、言わなかった。ただ、鞄を持つ手が、握り直された。それが、返事だと、俺は、思うことにした。


 廊下で、俺たちは、立石と、すれ違った。立石は、椎名に、小さく、頭を下げた。詫びるような、逃げるような、中途半端な、角度だった。たぶん彼は、この照会を、静かに、店じまいする。上に、要件不備だったと、報告するだろう。そして、次に降りてくる指示を、また、期日どおりに、こなす。彼を責める気には、なれなかった。責めるべき手は、彼の、ずっと、上にある。


 窓口に戻ると、俺の端末に、一通のメールが、届いていた。人事部から。件名の四文字を見て、俺は、指を、止めた。「発令、前倒し」――九州への辞令が、翌月一日から、今月末に、繰り上がっていた。


 俺は、その日付を、しばらく、見ていた。椎名の照会は、崩せなかった。手順の穴が、一つも、なかったからだ。だから、向こうは、諦めたわけでは、なかった。文書で崩せないなら、時間で崩す。俺が、この窓口から、いなくなる日を、前に、引く。二人がかりの、この、細い、抵抗の輪を、片方だけ、先に、外にはじき出そうとしている。


 「見ましたか」椎名が、隣で、自分の端末を、閉じた。声は、もう、平板に戻っていた。「向こうは、正面を、諦めました。ですが、諦めた分だけ、急いでいます。……急ぐ相手は、必ず、どこかで、もう一つ、手順を、飛ばします」


 俺は、頷いた。前倒しの辞令。それは、追い込みであると同時に、向こうが、初めて、慌てた、証だった。


 情報管理規程違反の照会に対し、椎名はすべての証拠収集が正規の開示請求だったことを日時つきログで示し、逆に照会そのものが開始要件を欠く報復目的の見込み調査だと突き返した。規程違反をでっち上げることも、規程を守らせることも、同じ一枚の文書でできる――それが、"手順の人"の真骨頂だった。


 だが揺るがない二人に対し、会社は正面を諦め、時間を削りにきた。サトルの発令が、前倒しに。第四章の、一番暗いところへ。


 ※★評価・ブックマークが、次の一件を追う力になります。この続きが気になった方は、応援していただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ