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大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


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第19話:三年前も、同じ台本だった

 篠田に会うのは、二度目だった。


 三年前に、本社から地方支社へ飛ばされた男は、前に会ったときより、少し痩せて見えた。駅前の、古びた喫茶店。窓際の席で、篠田は、冷めたコーヒーを、ずっと、手の中で回していた。


 「あんたも、飛ばされたんだってな」篠田は、サトルの顔を見ずに、言った。「九州、だっけ。……早いな。俺のときと、同じだ。声を上げて、一か月。判で押したみたいに、辞令が来る」


 サトルは、頷いた。九州支社、総務課、発令は翌月一日。事由は「計画的配置」。篠田のときと、一字一句、同じだった。篠田は、取り下げの一覧の、最初の一人だ。四十五件の、いちばん古い、犠牲者。


 「台本の、最後のページですよ」サトルは言った。「あなたのときから、順番は、変わっていない」


 篠田は、乾いた笑いを漏らした。それから、しばらく、黙っていた。隣で、椎名が、何も言わずに、コーヒーカップの縁を、指で、なぞっていた。


 「……この前、あんたに、言ったよな」篠田が、ようやく、口を開いた。「俺の言葉なんて、記録に残ってない。俺が何を言おうが、憶測だって」


 「言いました」


 「あれ、半分は、嘘だ」篠田は、鞄から、古いスマートフォンを、取り出した。もう使っていない、旧い機種だった。「残ってるものが、一つ、ある。三年間、消せなかった。……使う勇気も、なかったけどな」


 サトルは、その画面を、見た。


 「面談の日だ」篠田は、指で、写真を、呼び出した。「密室で、一対一。あの、優しい相談員が、途中で、電話に立った。机の上に、紙が、一枚、置きっぱなしに、なってた。……俺は、それを、撮った。何のためか、自分でも、分からなかった。ただ、これが、あいつの『優しさ』の、正体だと、思ったら――手元に、残しておきたく、なった」


 少し傾いた、手ぶれの写真だった。だが、文字は、読めた。サトルは、覗き込んだ。


──────────────

通報対応 面談実施メモ(試行運用・第2版)

 趣旨:通報案件の長期化・拡大を防ぎ、事業運営への影響を最小限に抑える。

 面談の進め方:

  1. 面談者は、通報者の「味方」の立場で接すること。対立的な姿勢は、解決を遠ざける。

  2. 正式受理に進んだ場合の「事業部への影響」「同僚への波及」を、本人に丁寧に説明すること。

  3. 「本人からの取り下げ」への合意を、面談の中で形成すること。

  4. 記録には「本人が納得の上、取り下げた」旨を記載すること。

  5. 取り下げ後の配置転換等は、面談担当の関与外とする。

 備考:試行結果を、次期・全社面談ガイドラインに反映する。

 起案:経営企画室 業務効率化プロジェクト

 承認:________

──────────────


 サトルは、その五項目を、上から、読んだ。それから、記憶の中の、もう一つの文書と、並べた。九鬼の件で、椎名がバックアップから復元した、配布資料03。「通報の早期解決に向けた面談ガイド」。承認、大鷲。あの、現行版だ。


 二つは、恐ろしいほど、似ていた。


 現行版の第一項――「相談員は、あくまで通報者の『味方』として接すること」。三年前――「面談者は、通報者の『味方』の立場で接すること」。現行版の第四項――「本人が納得の上、取り下げた旨を明記する」。三年前――「本人が納得の上、取り下げた旨を記載する」。項目の数も、五つで、同じ。順番も、同じ。「味方」という、鉤括弧の、位置まで、同じだった。


 三年の間に、変わったのは、言葉づかいが、少し、なめらかに、なったことと――末尾に、「複製・持出し厳禁」の、一行が、足されたことだけ、だった。


 「三年前には、なかったんだ」サトルは、呟いた。「『複製・持出し厳禁』が。……この一行が、なかった。だから、篠田さんは、これを、撮れた」


 「学習したんです」椎名が、静かに言った。「一度、外へ漏れる危険を、知って。だから、現行版には、鍵を、かけた。……でも、原型は、これです。三年前に、もう、ほとんど、完成していた。彼らは、発明したんじゃない。使い回して、いただけです」


 椎名が、写真の、一点を、指した。画面の中の、細い文字。〔試行運用・第2版〕。


 「第2版」椎名は言った。「なら、第1版が、どこかに、ある。これは、三年前の時点で、すでに、一度、改訂されている。……台本は、三年より、もっと、前から、動いていました」


 サトルは、もう一度、末尾を、見た。起案、経営企画室。承認の欄は、下線だけで、名前が、なかった。空白のまま、だった。


 「現行版の承認は、大鷲だ」サトルは言った。「でも、この原型は、人事じゃない。経営企画室が、作ってる。……大鷲は、これを、一から、作ったんじゃない。どこかから、受け取って、自分の名前を、足しただけだ」


 「そして」椎名の声が、わずかに、低くなった。「作った側は、名前を、残していません。起案は、部署の名前、だけ。承認欄は、空白のまま。……三年前の、経営企画室で、これを、書けと、決めた人間が、いる。その部署の、今の、担当役員は――」


 「財前」サトルは、その名を、口にした。


 窓の外で、地方都市の、鈍い午後の光が、傾いていた。財前という名前は、これまで、稼働効率化の資料の、いちばん上に、影のように、あるだけだった。策定は経営企画、承認は財前。その、二行だけの、男。だが、その影は、二か月前の九鬼の死より、ずっと、古いところまで、伸びていた。三年前。あるいは、それより、前。


 「なあ」篠田が、コーヒーを、置いた。カップの底が、皿に、鈍い音を、立てた。「それ、役に、立つのか。俺の、これは」


 その声には、三年分の、諦めが、こびりついていた。だが、その底に、まだ、消えきっていない、悔しさの、火が、あった。声を上げて、飛ばされて、地方の支社で、朽ちるように、過ごした、三年。その間、ずっと、この一枚を、消せなかった男の、火だった。


 「立ちます」サトルは、篠田の目を、まっすぐ、見た。「あなたの言葉は、記録に、残らなかった。でも、これは、残ってる。……三年前、彼らが、うっかり、鍵を、かけ忘れた、一枚が。篠田さん。これは、憶測じゃ、ない。物証です」


 篠田は、しばらく、サトルを、見ていた。それから、目を、伏せた。その肩が、小さく、震えていた。泣いているのか、笑っているのか、サトルには、分からなかった。


 「……早く、渡せば、よかったな」篠田は、絞り出すように、言った。「九鬼が、生きてる、うちに」


 サトルは、答えられなかった。九鬼は、もう、いない。篠田の三年も、戻らない。だが、この一枚は、まだ、間に合うかも、しれなかった。


 帰りの電車で、椎名は、ずっと、その写真を、自分の端末に、保全していた。受け取った日時と、経路を、一つずつ、記録しながら。指は、白くなかった。ただ、いつもより、少しだけ、速かった。


 「木村さん」椎名が、窓の外を見たまま、言った。「大鷲は、この台本を、承認した。西野は、止められなかった。里見は、そのとおりに、喋った。……でも、これを、最初に、書けと、決めた人間は、まだ、一度も、名前を、出していません。三年前から、今日まで、一度も」


 サトルは、暗くなっていく車窓に、映る自分の顔を、見た。台本は、三年前から、あった。いや、第2版なら、もっと、前から。ならば、その頃、すでに、これを「決めていた」のは、誰か。


 名前を、残さない男の、影が、二か月前の事件の、ずっと、奥へ、奥へと、伸びていく。まだ、顔を、見せない。だが、確かに、そこに、いた。三年前も、その、もっと前も。


 三年前の元通報者・篠田が、当時こっそり撮っていた一枚の写真。それは、現行版「面談ガイド」の原型――しかも〔第2版〕で、起案は経営企画室、承認欄は空白のまま。台本は、九鬼の死より、ずっと前から回っていた。大鷲は、それを受け取り、自分の名を足しただけの実行役に過ぎなかった。では、三年前に、これを「書け」と決めたのは、誰か。名を残さない男の影が、さらに古い時間へ伸びる。


 次回、まだ、上がいた。稼働率の資料の上に、影としてだけ在った男が、静かに、二人の前に、姿を現す。


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