第2話:その決裁印は、誰の机で押されたのか
通報を受理した翌朝、サトルは調査計画書を一枚、椎名の机に置いた。
「順序を決めよう」サトルは言った。「結界札が半分に減らされた。台帳は死後に書き換えられた。ここまでは物で確定してる。次に知りたいのは、二つ」
「一つ」椎名が指を立てた。「誰が、発注数を十枚に絞る判断をしたか」
「もう一つ」サトルが続けた。「誰が、台帳を二十枚に書き換えたか。――この二つが同じ人間なら、話は早い」
「憶測を挟まずに、記録だけで辿ります」椎名は端末を引き寄せた。「発注には、承認フローがあります。金額に応じて、決裁者が変わる。消耗品でも、四半期でまとめれば、それなりの額です」
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購買申請書 申請番号:2025-Q1-0442
品目:結界札(標準型・第三事業部関東第二班 配備用)
申請数量:20
承認数量:10
差戻し理由:「四半期予算の範囲内で調整のこと」
一次承認:関東第二班 班長
二次承認:第三事業部 総務課
最終決裁:(※閲覧権限が必要です)
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「申請は、二十枚で出てる」サトルは画面を見つめた。「現場の班長は、規定どおり二十枚くれと言った。それが、十枚に削られた。差し戻しの理由は――『予算の範囲内で調整のこと』」
「言葉としては、正しいんです」椎名の声は平らだった。「予算内で収める。どこの会社でも言う。違法でも、規定違反でもない」
「規定違反じゃない削り方で、規定数を割った」サトルは低く言った。「うまいやり方だ。誰も、ルールは破ってない。ただ、現場の安全だけが、静かに薄くなる」
最終決裁の欄は、灰色に伏せられていた。閲覧権限が要る。
「誰が最後に判を押したか、ここからは見えないな」
「見えるようにする方法は、あります」椎名がキーボードに指を置いた。「開示請求です。ただし――決裁者が役員クラスだと、請求はコンプライアンス室長の承認を経由します」
「西野さんか」
コンプライアンス室長、西野。定年間際の、疲れた背中をした男だ。サトルの上司であり、この部署の門番でもある。
サトルが請求書を持っていくと、西野は老眼鏡を押し上げて、しばらく黙って書面を眺めていた。
「木村くん。……九鬼くんの件は、もう処理済みだよ」
「台帳が、死後に書き換えられていました。発注も、申請の半分です」
「それは、経理の運用の話だろう」西野は書面を机に戻した。語気は荒くない。ただ、疲れていた。「予算調整は、どこの事業部でもやっている。それをいちいち掘り返していたら、きりがない」
「人が、一人死んでいます」
西野の手が、一瞬、止まった。そして、また動いた。判は、押さなかった。
「……この請求は、いったん預からせてくれ。上と、相談する」
部屋を出るサトルの背中に、西野が、低く付け加えた。
「木村くん。きみは、いい調査員だ。だからこそ言う。――踏み込む相手を、間違えるな」
席に戻ると、椎名が画面を見たまま言った。
「請求、通りませんでしたね」
「預かり、だ」サトルは椅子に腰を下ろした。「西野さんは、判を押さなかった。押せなかった、のかもしれない」
「なら、別の入口を探します」椎名は淡々と続けた。「決裁者本人の名前は出せなくても、決裁が『どの部署の権限で』行われたかは、承認フローの設定に残っています。金額と品目の組み合わせで、決裁ラインが自動的に決まる。そのラインを逆算すれば――」
椎名の指が止まり、画面の一点を、じっと見た。
「木村さん」その声が、わずかに硬くなった。「この購買申請の差し戻し。二次承認の総務課じゃなくて、もっと上のラインから、直接、数量が書き換えられています。権限コードが――」
「どこの部署だ」
椎名は、権限コードの対照表を開いた。そして、そのコードが指す部署名を読み上げた。
「人事部。役員決裁ライン」
オフィスの空調が、低く唸っていた。
発注を削ったのは、現場でも、経理でも、総務でもなかった。人を扱うはずの、人事部。そこの、役員が押せる決裁ラインから、結界札の数は、静かに半分にされていた。
「安全装備の発注に」サトルは呟いた。「なんで、人事の役員決裁が絡む」
椎名は答えなかった。答えの代わりに、その権限コードのスクリーンショットを、一枚、保存した。
台帳の裏に、ようやく、最初の輪郭が見えはじめていた。まだ、顔はない。名前もない。ただ、人事部という部署の名前だけが、灰色の決裁欄の向こうに、静かに立っていた。
人事部の役員決裁ラインが、なぜ結界札の数を削れるのか。その決裁欄に、誰の名前が入るのか。
次回、サトルと椎名は、伏せられた最終決裁者の名前を、たった一枚の稟議書から引きずり出す。
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