第1話:その通報は、死んだ社員から届いた
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社内通報受付システム 通報番号:2026-0417-003
受付日時:2026年4月17日 09:14
通報経路:匿名通報フォーム(社用VPN経由)
通報分類:労働安全衛生に関する規定違反の疑い
対応部署:コンプライアンス室 内部通報窓口
担当:木村サトル(主任調査員)
本文:
「第三事業部・関東第二班の現場で、配備されている結界札が規定数を満たしていません。先月の九鬼さんの事故は、本当に事故だったのでしょうか。調べてください。」
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木村サトルは、ディスプレイの通報文を三度、読み返した。
退魔株式会社、コンプライアンス室。蛍光灯の白い光が、整然と並ぶデスクを均一に照らしている。怪異の気配など微塵もない、ただのオフィスだ。壁のポスターには「安全は、すべてに優先する。」と刷られている。サトルが現場の退魔師を辞めて、この部署へ来て半年になる。
「九鬼さん、か」
声に出すと、隣の席から椎名レイが顔を上げた。法務出身、入社三年目。隙のないパンツスーツに、感情の見えない目。怪異の存在を一切信じていない、徹底した実務派だ。
「先月の労災案件ですね」椎名は手元の端末を一度も見ずに答えた。頭に入っているのだ。「第三事業部の退魔師、九鬼透。二十九歳。単独行動中に怪異の反撃を受けて殉職。会社は『本人の判断ミスによる過失』で処理済み。遺族への補償も、最低ラインで決着しています」
「規定数の結界札があれば、防げた事故だったかもしれない」
「『かもしれない』は、報告書には書けません」椎名の声はあくまで平らだった。「憶測は通報の受理理由になりません。事実を確認しましょう。まず、関東第二班の備品台帳と、九鬼さんの当日の装備記録を開示請求します」
サトルは、通報文の一行に指を置いた。――本当に事故だったのでしょうか。
現場にいた頃、サトルは何度もこの手の「事故」を見た。装備が足りない。人手が足りない。工程が押している。そのしわ寄せは、いつも一番末端の、一番真面目な人間のところへ落ちる。九鬼という名前は知らない。だが、その死に方なら、知っている気がした。
「椎名さん。頼む」
二日後。開示された備品台帳を前に、サトルは眉をひそめた。
結界札の配備数――規定では、一班あたり二十枚。台帳上は、確かに二十枚。数字は、きれいに埋まっていた。
「問題ない、ですね」椎名が言った。「配備は規定どおり。これ以上は……」
「綺麗すぎる」サトルは呟いた。「椎名さん。現場で二十枚あったなら、九鬼さんは死んでない」
椎名の指が、わずかに止まった。
「それは、憶測です」
「ああ。だから、事実で潰そう」サトルは椅子を引き寄せた。「台帳の数字じゃなくて、発注記録を見せてくれ。実際にいくら払って、何枚買ったか。物は、嘘をつかない」
椎名は数秒、サトルの横顔を見ていた。それから、無言で経理システムを叩いた。彼女のやり方だ。反論しない代わりに、証拠で確かめる。
結界札の発注履歴が、画面に並ぶ。関東第二班、第一四半期。サトルは画面を指でなぞり――そこで、止まった。
「半分だ」
発注数は、十枚。台帳の記載は、二十枚。差分の十枚は、どこにもない。買われた記録が、ない。
「……台帳が、書き換えられてる」椎名の声に、初めて、わずかな温度が混じった。「誰かが、配備数の記録だけを、二十枚に」
「コスト削減だ」サトルは背もたれに体を預けた。「結界札は消耗品だ。一枚、それなりの値が張る。班ごとに半分に減らして、台帳の上だけ規定どおりに見せかける。――そういう『運用』を、誰かが指示した」
「証拠がありません。指示した人間の」
「まだ入口だ。台帳の更新ログは残ってるか。誰が、いつ、二十枚に書き換えたか」
椎名がログを呼び出す。台帳データの、最終更新者。日時。
二人は、同時に黙った。
最終更新日時――先月。九鬼透が死んだ、その、翌日。
「死んだ後に」サトルは低く言った。「装備が、足りていたことに、された」
更新者アカウントは、システム管理者権限。個人名は伏せられている。誰が触ったのかは、この画面からは分からない。だが、いつ触ったのかは、はっきりしていた。九鬼が声を上げられなくなった、その翌日だ。
椎名は何も言わず、ログのスクリーンショットを一枚、保存した。それから、もう一枚。
「もう一つ、確認したい」サトルは、最初の通報メールに戻った。「この通報、匿名フォーム経由だ。送信者は伏せられてる。でも、システムには内部的な認証ログが残るはずだ。誰のアカウントから送られたか」
「フォームの表示は匿名化されます。ですが、認証ログには元アカウントが残ります」椎名の指が、キーボードの上を走った。「権限を、上げれば……」
数分後。椎名の指が、止まった。
画面に、送信元アカウントのIDが表示されている。社員番号。氏名欄。サトルはそれを読み、息を呑んだ。
――九鬼 透。
「……死んだ、本人の、アカウントだ」
オフィスの蛍光灯が、じい、と低く鳴った気がした。
送信日時を見る。今朝、午前九時十四分。九鬼が死んで、一か月が過ぎている。
「システムエラーでしょう」椎名が、わずかに早口になった。感情を見せないはずのその声が、初めて、揺れていた。「退職・死亡したアカウントは、凍結される規定です。送信など、できるはずが――」
「凍結処理は、いつ実行された?」
椎名がログを遡る。九鬼のアカウント凍結処理――その、実行日時の欄は。
空欄だった。まだ、入力されていない。
死んだ社員のアカウントが、一か月、凍結されないまま、放置されていた。そして今朝、そこから、自分の死の真相を調べてくれと、通報が届いた。
サトルは、画面の通報文を、もう一度読んだ。
「先月の九鬼さんの事故は、本当に事故だったのでしょうか。調べてください。」
誰が送ったのか。本当に、ただのエラーなのか。それとも――。
椎名が、いつもの平らさをかろうじて保った声で、言った。
「木村さん。この通報、受理しますか」
サトルは、受理ボタンに、指を伸ばした。
「するに決まってる」画面の、九鬼透という名前を見たまま、サトルは言った。「通報者が誰であれ――社員からの通報だ。会社には、調べる義務がある」
クリック音が、静かなオフィスに、ひとつ、響いた。
通報番号 2026-0417-003。担当、木村サトル。受理。
怪異は、規定で祓える。
問題は、いつだって、社内にある。
結界札は、なぜ半分に減らされたのか。誰が、それを指示したのか。そして、死んだ人間のアカウントから届いたこの通報を――サトルたちは、どこまで辿れるのか。
次回、発注を承認した「決裁印」を追う。台帳の裏に、最初の顔が見えはじめる。
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