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大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


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第12話:現場は、口をつぐむ

 関東第二班の詰所は、本社から、電車で一時間の場所にあった。


 殺風景なプレハブ。壁には、擦り切れた退魔具が並び、隅には、使い込まれた結界札の空箱が、積み上げられている。現場の匂いが、した。サトルが、六年間、身を置いた場所と、同じ匂いだ。


 班長の郷田は、五十がらみの、無骨な男だった。サトルたちが名刺を出すと、その顔が、露骨に、曇った。


「コンプライアンス室」郷田は、名刺を、指で弾いた。「本社の。……九鬼の件で、来たのか」


「はい」サトルは言った。「単刀直入に、伺います。事故の当日、この班に配備されていた結界札は、何枚でしたか」


 郷田は、答えなかった。長い、沈黙。それから、彼は、視線を、逸らした。


「……台帳を、見ればいい。二十枚だ。規定どおりだよ」


「発注記録では、十枚です」サトルは言った。「台帳は、九鬼さんの死後に、書き換えられています。郷田さん。あなたは、現場の班長だ。実際に、何枚あったか、知っているはずです」


 郷田の手が、握られた。だが、口は、開かなかった。


「悪いが」郷田は、しぼり出すように言った。「俺には、守る班員が、まだ、いるんだ。……あんたらに、話して、それで、この班がどうにかなったら。残った連中は、どうなる。九鬼のことは、気の毒だった。本当だ。だが、俺は、生きてる奴を、守らなきゃ、ならん」


 サトルは、その言葉の重さを、理解した。郷田は、隠蔽に加担しているのではない。人質を、取られているのだ。里見と、同じ構図だった。声を上げれば、班ごと、報復される。だから、班長は、生きている班員のために、口をつぐむ。


「郷田さん」サトルは、静かに言った。「あなたを、責めには来ていません。ただ、事実を――」


「帰ってくれ」郷田は、背を向けた。「ここには、話すことは、ない」


 詰所を出るしかなかった。椎名も、さすがに、表情を、曇らせていた。


「現場が、証言しないと」椎名が、小声で言った。「④と⑤の間――実配備が本当に十枚だったという、現場側の裏づけが、取れません。台帳と発注記録の矛盾までは立証できても、『現場で何が起きたか』は、現場の人間しか、語れない」


「分かってる」サトルは、詰所を、振り返った。「だが、あの班長を、これ以上、追い詰めるわけには」


 その時だった。


 詰所の裏手、自販機の陰から、一人の若い退魔師が、二人を、見ていた。女性だった。二十代半ば。疲れた顔に、口元のマスク。手が、かすかに、震えている。


 サトルと目が合うと、彼女は、びくりと、身を引いた。だが、逃げなかった。何か言いたげに、しかし言えずに、その場に、立ち尽くしている。


「……あなたは」サトルは、警戒させないよう、ゆっくりと、近づいた。「関東第二班の、方ですか」


 彼女は、小さく、頷いた。それから、消え入りそうな声で、名乗った。


「的場、ユカ、です。……九鬼さんと、同じ、班でした」


 サトルは、その名を、覚えていた。取り下げ案件の、一覧の中に、あった名前だ。的場ユカ。一年前、一度、通報を、しかけていた。だが、それは、受理される前に、消えていた。彼女もまた、あの面談室を、通っていた一人だった。


「的場さん」サトルは、名刺を、差し出した。「無理に、話さなくて、いいです。ただ、これだけ、覚えておいてください。俺たちは、あなたを、守るために来ました。あなたを、追い詰めるためじゃ、ない」


 的場は、名刺を、受け取らなかった。震える手で、それを、押し返そうとして、しかし、止めた。彼女は、マスクの下で、唇を、噛んでいた。


「……守るって」的場は、絞り出した。「言いましたよね。あの人たちも。相談員も。『あなたのため』って。『味方』だって。……そう言って、私の言葉を、全部、なかったことに、した」


 サトルは、言葉に、詰まった。彼女の言うとおりだった。この会社で「守る」「味方」という言葉は、人を潰す道具に、使われてきた。的場が、それを信じられないのは、当然だった。


「言葉は、信じなくていい」サトルの隣で、椎名が、口を開いた。いつもの、平らな声で。「私も、信じません。この会社の、優しい言葉は、全部。……的場さん。私たちが信じるのは、記録です。四十五件の面談記録。あなたの、一年前の記録も、読みました。あなたが、本当は、何を言おうとしたのかも」


 的場の目が、揺れた。


「あなたの言葉は、記録から、消された」椎名は、続けた。「でも、消された、という事実は、記録に、残っている。私たちは、それを、元に戻しに来ました。……ゆっくりで、いいです。あなたが、話せるようになったら」


 的場は、しばらく、椎名を、見ていた。それから、震える手で、ようやく、名刺を、受け取った。ぎゅっと、握りしめて。


「……少し」的場は、囁いた。「考えさせて、ください」


 そして、詰所の裏へ、消えていった。


 帰りの電車で、サトルは、椎名に言った。


「あんた、あの子に、優しかったな」


「優しく、してません」椎名は、窓の外を見たまま言った。「事実を、言っただけです。……ただ」少しだけ、間があった。「一年前、彼女の記録を読んだとき。私、自分の、昔のことを、思い出しました。だから、放って、おけなかった。それだけです」


 サトルは、それ以上、聞かなかった。


 班長は、口をつぐんだ。だが、震える手で名刺を握りしめた的場ユカが、現場の沈黙に、細い亀裂を入れた。彼女は、九鬼の最期を知る、最後の生き証人かもしれない。


 次回、的場ユカが、ついに口を開く。九鬼が死ぬ前、現場で何が起きていたのか――過重稼働という、もう一つの人災が、姿を現す。


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