第13話:稼働率という名の、もう一つの人災
的場ユカから連絡が来たのは、三日後の、夜だった。
会社ではない、と彼女は言った。人目のない場所で、と。サトルと椎名は、指定された、郊外の、小さな喫茶店へ向かった。
的場は、隅の席で、身を縮めるように、座っていた。マスクは、外していた。想像より、ずっと若く、そして、ずっと、疲れていた。
「話す気に、なってくれたんですね」サトルが、静かに言うと、的場は、小さく頷いた。
「……三日、考えました」的場は、両手で、温かいカップを握っていた。「あなたたちが、本当に、私を潰しに来たのか。それとも。……分からない。でも、もう、限界なんです。誰かに、話さないと。九鬼さんのことを、なかったことにされたまま、私も、黙って、消えていくのは、嫌なんです」
サトルは、頷いた。椎名は、ノートを開き、しかし、まだ、ペンを、動かさなかった。ただ、聞く体勢を、作っていた。
「結界札が、半分だったのは」的場は、切り出した。「本当です。私も、知ってました。班の、みんな、知ってた。でも、誰も、言えなかった。……言ったら、どうなるか、分かってたから」
「装備だけじゃ、なかったんですね」サトルは、静かに、促した。的場の疲れ方は、装備の問題だけの、ものではなかった。
的場は、目を、伏せた。
「稼働率、って、言葉、知ってますか」彼女は、囁くように言った。「退魔師一人あたりの、月の、出動件数。……本社は、それを、上げろ、上げろ、って。人を、増やさずに。同じ人数で、前の年の、一・五倍、回せって」
サトルの、現場勘が、疼いた。装備を半分に減らし、人を増やさず、件数を一・五倍。それが何を意味するか、現場を知る人間には、分かる。一件あたりの、準備が、削られる。休養が、削られる。安全確認が、削られる。すべてのしわ寄せが、末端の、退魔師の、体に、溜まっていく。
「九鬼さんは」的場の声が、震えた。「事故の、前の月。連続で、二十日、現場に出てました。休みなしで。上限は、超えてないことに、なってた。でも、実際は。……記録に、残らない出動が、あったんです。『研修』って名目で。ただ働きで。九鬼さん、もう、ふらふらでした。それでも、笑って、『大丈夫です』って」
サトルは、目を、閉じた。同じだった。かつての、後輩と。真面目で、几帳面で、上限まで――いや、上限を超えて働いて、それでも「大丈夫です」と、笑っていた。
「事故の、当日」的場は、続けた。カップを握る手が、白くなっていた。「九鬼さん、本当は、非番でした。でも、人が、足りなくて。急に、呼び出されて。半分しかない結界札を持って、寝てない体で、一人で、現場に。……あれは、事故じゃ、ない。あんな状態で、行かせたら、ああなるのは、分かってた。分かってて、行かせたんです」
喫茶店の、静かな空気の中で、的場の声だけが、震えていた。
「本人の、判断ミス」サトルは、示談書の言葉を、思い出した。「――違う。判断する、余裕すら、奪われてた」
「稼働率の、指標です」椎名が、初めて、口を開いた。冷静な声だったが、いつもより、わずかに、低かった。「それは、記録に、残りますか。的場さん。『前年比一・五倍』の、稼働目標。それを、現場に、下ろした文書は」
「……あります」的場は、顔を上げた。「事業部の、月次会議の、資料に。『稼働効率化目標』って。毎月、達成率が、貼り出されるんです。班ごとに。達成できないと、班長が、詰められる。だから、郷田さんも、無理を、通すしか」
「その資料の、決裁者は」
的場は、少し、迷ってから、言った。
「……経営企画から、降りてくるって、聞きました。事業部の、判断じゃ、ないって。郷田さんが、言ってました。『これは、上の、もっと上が、決めたことだ』って」
サトルと椎名は、目を、合わせた。経営企画。財前。装備を減らした、大鷲の、さらに上。安全を、コストで、切った人間。そして今、稼働率という名で、人を、限界まで、すり減らしていた張本人。
構造図の、まだ空いていた、一番上の行が、埋まろうとしていた。
「的場さん」サトルは、静かに言った。「あなたの、今の話は、とても、重要です。……でも、証言だけでは、記録には、勝てない。もし、あなたが、話してくれるなら。その『稼働効率化目標』の資料。手に、入りますか」
的場の顔に、恐怖が、走った。
「それを、持ち出したら」彼女は、囁いた。「私が、やったって、すぐ、分かります。班で、あの資料に、アクセスできるのは、限られてる。……私、九鬼さんみたいに、なるんですか」
サトルは、答えられなかった。安易に「守る」とは、言えなかった。この会社で、その言葉が、どれだけ、人を裏切ってきたかを、知っていたから。
沈黙を、破ったのは、椎名だった。
「持ち出さなくて、いいです」椎名は言った。「あなたが、リスクを、負う必要は、ない。……アクセスログだけ、教えてください。あなたが、その資料を『見た』という記録さえ、システムに残っていれば。資料そのものは、私たちが、正規の開示請求で、取りに行きます。あなたの名前を、出さずに」
的場は、椎名を、見つめた。その目に、初めて、かすかな、光が、戻った。
「……守るって、そういう、ことですか」
「言葉じゃなく」椎名は、静かに言った。「手順で、守ります。それが、私の、やり方です」
装備の削減に加え、「稼働効率化目標」という、もう一つの人災の輪郭が、現れた。そしてその出所も、また、財前の経営企画へと、繋がっていく。
次回、二人は的場の名を出さずに、稼働目標の資料を引き出そうとする。だが、正規の開示請求は、まだ判を握る一人――西野の、覚悟を、もう一度、試すことになる。
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