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第6話:招かれざる客たちと、木の沈黙

神崎へ返信を送ってから数日。

 航の予感は、最悪の形で的中することになる。


一日三便しかない古びたフェリーは、これまでは島民の足か、釣り客を数人運んでくるだけの静かな船だった。

 しかし、あのバズから一週間も経たないうちに、フェリーのタラップからは見慣れないスーツ姿の男たちや、場違いなほど着飾った若者たちが次々と降り立つようになった。


彼らは一様にスマートフォンを片手に持ち、画面と島の景色をせわしなく見比べながら、狭い路地をズカズカと歩き回る。


「……なんや、最近妙に外のもんが多いねえ」


「ほら、春子さんとこの航くんよ。ネットで有名になったけん、わざわざ買い付けに来とるらしいよ」


島民たちのヒソヒソ話は、あっという間に島中を駆け巡った。

 無理もない。航の自宅の周りには、朝から晩まで「招かれざる客」がうろつくようになっていたのだ。


ガラッ!


その日の午後、工房の引き戸が、ノックもなしに乱暴に開けられた。

 むせ返るような木の匂いの中に、ツンとする安っぽい香水の匂いが土足で踏み込んでくる。


「いやー、探しましたよ! 役場で聞いてもなかなか教えてくれなくてね。君が航くんだね?」


立っていたのは、汗だくで薄手のジャケットを着崩した、三十代半ばほどの男だった。

 手には、高級ブランドのセカンドバッグ。

 島の風景から完全に浮き上がっているその男は、航が止める間もなく土間に上がり込み、無造作に転がっていたオリーブの木切れを靴の先で小突いた。


「すごいねえ、こんなホコリっぽいところで、あんなバズる動画の小箱を作ってたんだ。あ、私、東京で雑貨のセレクトショップを束ねてるブローカーの松井と言います」


男は一方的にまくしたてながら、名刺を差し出してきた。

 航は小刀を持ったまま、名刺を受け取ろうともせず、冷たい目で男を睨みつけた。


「……何の用ですか」


「いやね、単刀直入に言うと、ビジネスの話だよ。君の作ったあのスプーンや小箱、うちで独占販売させてくれないかな。もちろん、今の何十倍もいい値段で買い取るよ」


松井と名乗る男は、土間の隅に置いてあった作りかけのスプーンを勝手に手に取ると、品定めするように光に透かした。


「ただ、君一人じゃ月に何個も作れないでしょ? だから、君の『名前』と『デザイン』だけ貸してほしいんだ。あとはこっちの海外の提携工場で、機械を使って全く同じ形を大量生産するから。君は手を動かさなくても、チャリンチャリンと大金が入ってくる仕組みさ。悪くない話でしょ?」


男の口から吐き出される言葉のすべてが、航の神経を逆撫でした。


木目も、繊維の向きも、木が過ごしてきた何十年という時間も、すべて無視して機械で同じ形に削り出す。

 それは、祖父が教えてくれた「てしごと」への完全な冒涜だった。

 木への敬意など欠片もない。


「……帰ってください」


「えっ?」


「俺は、大量生産の型枠を作るために木を削ってるんじゃない。あんたみたいな人間に売るものは、一つもない。帰れ」


航の低く、地を這うような声に、男は一瞬ひるんだが、すぐに鼻で笑った。


「ふん。田舎の若いのがちょっとネットで持て囃されたからって、芸術家気取りかよ。まあいいさ、せいぜいその薄暗い土間で、一生貧乏臭く木屑にまみれてな」


男は手に持っていた作りかけのスプーンをポイと土間に放り投げると、忌々しそうに引き戸をピシャリと閉めて出て行った。


静寂が戻った土間。

 航は放り投げられたスプーンを拾い上げ、指の腹でそっと撫でた。

 傷はついていない。

 しかし、男の香水の匂いが、木肌にわずかに移ってしまっていた。


(……くそっ)


航は再び土間に座り込み、気を紛らわせるようにオリーブの木に小刀を当てた。


しかし、ダメだった。

 シュッ、という小気味よい音が響かない。

 刃が木肌を滑らず、ガリッという鈍い音を立てて引っかかる。


木の表面のざらつきの奥にあるはずの「声」が、まったく聞こえないのだ。

 先ほどから、航の頭の中では、松井の『大金が入ってくる』『大量生産』という言葉と、公民館のタエ子おばちゃんの『一本五百円なんて安い、もっとふっかけなさい』という言葉が、不快なノイズとなって渦巻いていた。


金。名声。消費。

 外の世界の強烈な欲望の波が、航の指先から感覚を奪い去っていた。

 心が凪いでいない状態では、木は絶対に刃を受け入れてくれない。


「……航、おる?」


ふいに、引き戸の向こうから遠慮がちな声がした。

 結衣だった。

 手には、スーパーの袋が提げられている。


「……ああ、入っていいぞ」


結衣はそっと土間に入ってくると、上がり框に座り、袋からアイスキャンディーを二つ取り出した。

 彼女の表情は、どこか暗く、ひどく沈んでいるように見えた。


「さっき、変な男の人とすれ違った。また、買い付けの人?」


「……ああ」


「ごめんね」


結衣は、ぽつりと呟いた。

 俯いた彼女の膝の上で、両手がぎゅっと強く握りしめられている。


「私が、あんな動画なんか載せたけん。航の静かな場所を、めちゃくちゃにしてしもうた。ほんとに、ごめん……」


「結衣のせいじゃないって、何度も言っとるやろ。俺が……」


俺が、本当は心のどこかで、この外の世界の波に見つかることを望んでいたんだ。

 そう言いかけて、航は口をつぐんだ。

 結衣を傷つけるだけの言葉だとわかっていたからだ。


二人は並んでアイスをかじったが、妙に水っぽく感じて、味はほとんどしなかった。

 かつては言葉がなくても心地よかった二人の間の沈黙が、今は見えない壁のように重く、息苦しい。

 バズという現象は、確実に二人の関係性にも微かなヒビを入れ始めていた。


その時だった。

 作業着のポケットに入れていたスマートフォンが、短く震えた。


また業者からのしつこい通知かと思い、舌打ちをして画面を見る。

 しかし、そこに表示されていたのはSNSの通知ではなく、東京の『03』から始まる見知らぬ電話番号だった。


航は結衣を横目で見ると、立ち上がって土間の隅へ行き、通話ボタンを押した。


「……はい」


『唐突なお電話、失礼いたします。航さんですね』


電話の向こうから聞こえてきたのは、先ほどのブローカーの男のような軽薄な声ではない。

 低く、落ち着いていて、それでいて氷のように鋭い、研ぎ澄まされた大人の男の声だった。


『メッセージの返信、ありがとうございました。新海出版でアート関連を担当しております、神崎です』


ついに、来た。

 航の心臓が、早鐘のように打ち始める。


『動画のあの木箱、そしてあなたの指先の動き。幾度となく繰り返して拝見しました。あなたには、あの島という環境が育んだ、得難い天賦の才がある。……直接、あなたの手から生み出されるものが見たい』


「……俺は」

 航は乾いた唇を舐めた。

 「あんたたちが求めるような、大量生産の型枠を作る気はないです」


『大量生産?』

 電話の向こうで、神崎がかすかに笑ったのがわかった。


『誤解されているようですね。私は、あなたのアートを安売りする気は毛頭ありません。むしろその逆です。あなたの作品は、世界でたった一つの、触れることすら恐れ多い芸術品マスターピースとして扱われるべきだ』


芸術品。

 その言葉が、航の胸の奥でくすぶっていた「青い熱」に、音を立てて油を注いだ。


『明日、朝一番のフェリーに乗ります。あなたの工房で、お会いしましょう』


有無を言わさぬ、静かだが圧倒的な力を持った宣告。

 通話が切れた後も、航はしばらくの間、スマートフォンを耳に当てたまま動くことができなかった。


振り返ると、結衣が不安そうな瞳でこちらを見つめている。

 外の波の音よりもずっと大きく、遠い東京から迫り来る「巨大な足音」を、航ははっきりと聞いていた。

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