175. 現実的な公爵家令嬢の策略
「対外的にはまだ秘密よ?」
笑って言うと、エリックはちょっと首を傾げてから頷いた。
「最初から『嘘』だった。好意は持ってくれてたけど、ウィルと私はいつだって仲のいい友人で、それ以上だったことはないの。婚約したことだって、ウィルが一時的な婚約者になることで私がリナリアに行かなくて済むようにしてくれただけ。
だから私のせいでウィルとサリーとの婚約が調わなくなるのなら、国外逃亡して修道院に駆け込むくらいはするつもりでいた。でも、いろいろあって『どうしても国から出たらダメだ』ってパートリッジのお祖父様がおっしゃって、友人たちも協力してくれて、どうにかしてくれた結果が悪評を立てて僻地に追放すること――つまりここでダンジョンの『魔王』の嫁になることだったの。
ここはダンジョンがあるのに白魔法使いが少ないし、ホルストお祖父様は王都の考えなんてどうでもいいって人だから、絶対に守ってくれる――いろいろちょうどよかったのよ。
そんなわけで、『無事』王都を追放された後に、結婚相手がトリスタンだって知らされた時の衝撃ったらなかったわ」
しかも七歳の頃からずっと一緒に過ごしてきた大切な相棒で、使い魔だとばかり思っていた黒豹がそのトリスタン本人だって言われたし――そう心の中で追加する。
「そんな感じだったの。で、『魔王』を落とすにはよっぽど研鑽を積まないと――でしょう? 必死にもなるわよ」
エリックは暫し呆然として、ナイジェルとリディアを見やった。肯定の印に二人が頷くのを見てエリザベスに視線を戻して――それからいきなり吹き出した。真剣な話だというのに。
「エリック、何なの、その反応?」
「だって、エリー。君、結婚相手が『魔王』だと思ってたってことだろ? しかもそいつを惚れさせようと(・・・・・・・)したのか?」
くっくっと笑いながら聞く。
「当然よ。それが一番安全だもの。だって『魔王』よ? どんな国の王太子に求婚されたって追い払ってくれる――でも機嫌を損ねたりしたら何をされるか、って考えたら怖いじゃない。美味しい食べ物で釣って、居心地のいい空間で寛いでもらえば、求婚者を追い払うだけじゃなくて優しくしてくれるかもしれない、そう考えたのよ」
エリックは暫く笑い続けて――エリザベスがそんなにおかしいことだろうかと首を傾げているとナイジェルの声が割って入った。
「な、エリーにかかるといろいろおかしいんだよ。『魔王』役があいつだって知る前の俺たちがどんなに止めたか――なのにエリーときたら『ウィルの妻なんて嫌だ、魔王の嫁の方がいい』ってきかなくて」
エリックが笑いを止めた。
「魔王は怖いのに、ウィリアム殿下よりいい? それはどういうことだ?」
「……ウィルの相手はサリーだもの。親友と妹の幸せを台無しにはできないでしょう? それに私、結婚相手がトリスタン本人だってことは知らなかったけど、『魔王』が悪い人じゃない可能性があるのはわかっていたの。もしかしたら懐柔できるんじゃないかな~って。で、料理と家事よ。できることがあるならやらなきゃ」
右手を顔の横で拳にすると、エリックはちょっと情けない顔になった。
「それはまた……随分と現実的な公爵家令嬢もいたものだ……で、嫁いでみたらここにいるのは『魔王』みたいな『舅』だったわけか? 君はこんな辺鄙なところに嫁に来て、そのスキルを惜しみなくトリスタンに使ったということ?」
「……それは、まあ……だって大事にしてもらいたいし」
ナイジェルがまたかぶりを振って否定した。
「そんなことしなくたって大事にするだろ? あれはほぼアーノルド公とトリスタンが組んでエリーを罠にかけたようなもんだ――」
「そこはたまたま――でしょ?」
聞き返したエリザベスに今度はリディアも揃って首を振る。ナイジェルが続けた。
「アーノルド公に『偶々』なんて考えはないと思うぞ。絶対策謀だ。俺はエリーの嫁ぎ先がトリスタンのところであの黒豹がトリスタン本人だって聞いた時はあいつを百発くらい殴ろうと思ったね。俺たちがエリーのことをどれだけ心配したと思ってるんだ、って――あの時ウィルが『その権利があるのは俺だし、仕返しは済んでる』って言わなかったら絶対、殴ってた。それに、リュカが『俺たちの中でエリーの相手になれるのはトリスタンだけだし、あいつは七歳からずっとエリー一筋なんだ』って頭を下げたから、七歳ってなんだよって今度はみんな呆れて――ナタリーなんかいつもはあんなに穏やかなのに、『何で黙ってたのよ!』って怒鳴って――そうそう、女子には吊し上げられてた。アリー以外には、だけど」
なんと。いつの間にそんなことが――。
「ということは、エリーは自分に惚れてるあいつにもっと好きになってもらおうとしたのか?」
エリックが楽しそうに聞く。
「そうそう。トリスタンが『こっちから口説こうにも落とされ過ぎて手も足も出せない』『もうスライムになって溶ける』って言ってて――あれから俺たちの中で流行ってるんだよ、あの台詞」
ナイジェルの言葉にリディアも笑う。
「気持ちはわかったけどね~、エリーに本気でやられて惚れないとか、まずない」
「だって――ここまで来て気が変わられたりしたら大変だもの。お祖父様の後妻になるのは嫌だったし。足搔けるところは足搔かなきゃ」
ナイジェルが吹き出した。エリックも目を丸くする。
「あの祖父さん、エリーにそんなこと言ったのか?」
「トリスタンをダンジョンに入れてくれない理由がそれなのよ。シュヘル領は血族限定相続で、『中でトリスタンに何かあったらわしの後妻にする』って言うから――絶対逃がすわけにはいかないじゃない」
またエリックが笑い出した。
「あいつは逃げないって」
ナイジェルが言って、リディアも『やれやれ』と首を振った。
「それはなによりだわ――」
本当によかったな――そう思いながらエリザベスが胸をなでおろす。
「実に羨ましい話だな――」エリックが目を細めた。「――それでも嫉妬する?」
話が戻って、エリザベスは頷いた。
「するわよ――トリスタンがレイラと狩りの練習をするようになってからは、なんだか寂しくてイライラして――今より回数も多かったから、ロランがいなかったら泣いてたかも」
「でも泣かなかった?」
「……泣いて我慢するのは他に何もできない時だけって決めてるの。でも自分ではどうしようもないから、『レイラに嫉妬するし、寂しいからもっと一緒にいたい』ってトリスタンに正直に言ったわ。ウィルにも、『困ったことがあったら正直にトリスタンに話すこと』って約束させられたし。
そうしたらなんでかものすごく喜んでくれて――それにトリスタンもロイドに嫉妬するんだってわかった――ロランのお父さんなのに。
それにはびっくりしたけど、自信持とう、って思ったの。それに私がトリスタンみたいに黒豹になれるなら、レイラはきっと同じように慕ってくれるし、狩りの仕方も教えてくれる――今は、あなたも一緒だから二人っきりじゃないし」
それでも嫉妬はするけど、王都に行く前とは、感じ方が随分違う。
「……その君の愛しい夫君は俺の意中の年下の黒豹ちゃんに随分と慕われているようで、俺の方は気が気じゃないんだけど?」
「トリスタンがそういうそぶりを見せたことがあるの?」
「ない。だけどイラっとする」
「まあなあ……」
ナイジェルがまたエリックの肩を叩いて、エリックが聞いた。
「君たちならどうする? 現状維持?」
ナイジェルは頷いて、リディアは首を横に振った。
「私ならお出かけに誘って欲しい。友達からでいいんじゃないかな。もっとお互いのことを知り合わないと」
「私もそうね――少なくとも好意を持ってるってことは伝えて欲しいかな――相手の考えがわからないのはすごく困るから。『求婚しろ』って言ってるんじゃないのよ? そんなことしたら絶対に逃げられちゃう。ただ、『好きだと思ってる』ってそういう、気持ちを押し付けるんじゃなくて、伝えるだけの行為もすごく大切だと思うの。考えるきっかけにもなると思うし」
「それで逃げられたら?」
「伝える前に『逃げる必要はない』って言わなきゃ。『気持ちを押し付けてどうこうするつもりはないよ』って」
「どうこうするつもりはかなりあるんだけど?」
正直な言葉にリディアが笑う。
「そこは待たなきゃ」
「そうよ。おつきあいしてもいいって相手に思ってもらえなかったら先はないのよ?」
「それでも逃げられたら?」
なんとなく避けられている感覚があるのだろう。エリックも慎重だ。
「普通は『好意』を示されたくらいで逃げたりしないと思うけど――そうね、エリックなら――『現状維持で友達に徹し、警戒を解かせる作戦』。後は――『交友関係を利用して異性と過ごし、一緒にいる人は誰かしらと思わせる』ところから『友達だと思ってたのになんだか気になるかも作戦』とか『私のこと好きだったんじゃないのかな作戦』で揺さぶりをかけて『いなくなっちゃったら嫌だと気づかせる』とか? 『実は頼りになるって証明する』とかもいいかも」
「エリー、それ『記憶』のやつでしょう? 誰のストーリー?」
リディアの質問にその背後でナイジェルがぎくりとした。
「あ~。……誰のかは教えられないわ。友人のプライバシーに関わるし」
最後の一個はナイジェルのだと思うんだけど、リディアに自覚はないらしい――。王道イベントだったし、みんなで笑ったはずなのに。当事者はいいなあ。
そして当時は自覚がなかったはずのナイジェルの方は身に覚えがあるんだ――。
不思議に思いながら、エリックとレイラがうまくいきますように、と静かに祈ったエリザベスだった。




