174. 努力家
トリスタンが夕食後に時々エリックに連れ出されるようになった。
行先は大抵がラグドルの店――エリックは『家では深酒しない主義』だとか何とか言っていたけれど、たぶん自分やレイラには聞かせたくない話――戦略や愚痴なんだろうと予想はつく。
その夜もトリスタンとエリックを見送って、エリザベスは朝ごはん用のロールパンの生地をオーブンの後ろに押し込んだ。ここならたぶん余熱で十分に発酵してくれる。
ハーブティーを淹れてほっと一息。
それからメモ帳代わりに使っているノートを見ながら食事処のメニューについて考察――していたはずが、つい思い出すのはその日、ダンジョン内での会話。
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「なあ、エリー?」
「なに?」
「俺がトリスタンに嫉妬するのは間違ってる、よな?」
ちょっと打ちひしがれた感じになったエリックにそう聞かれたエリザベスは、わずかに視線を逸らしてからゆっくり首を振った。
「……間違ってるとは思わない。だけど、嫉妬する必要はないとは思うわ。あの二人はお互いに恋愛感情を持っていないから」
エリザベスの隣のリディアも頷いた。
湯気を立てて流れて行く温かい川の岸辺に座って足を伸ばす。
「それはわかる。でも羨ましいし腹が立つんだよ」
そうだよなあ、と思いながら今度は頷く。
エリザベスにもそれはわかる――頭で理解できるかどうかとどう感じるかっていう感情は別物だ。
シュヘル領に戻って、二週目が終わろうとしている。
生活にもずいぶん慣れてきたし、せっかくだから、とエリックを誘ってダンジョンに入ってみることにしたのは、気分転換になるかもしれないと思ったからだ。
今日はマリーが温泉の受付にいて、川岸にはナイジェルとリディアが一緒だった。レイラはロイド一家とシュヘル邸周辺で『狩りの練習』という名目のピクニック付き追いかけっこ――エリックがレイラと別行動でいいと言ったのは――やっぱり行き詰っているからだろう。
とはいえ、狩りの練習の方は順調らしく、簡単なネズミ捕り程度なら既にマスターしたそうだ。そういうところはさすがだ。やっぱりトリスタンとは素地が違うんだな、って思う。
難航しているのは、レイラの心をつかむ方。
トリスタンもそう感じているみたいで、昨日練習から帰って来た時も首を振りつつちょっと眉を寄せていた。
「レイラがすごく慎重なんだよ――個人プレイが多い種だからっていうのもあるんだろうけど、なんだか緊張してる感じがあるんだ。――俺よりエリックの方が黒豹らしいし、コツをつかんでしまえば覚えも早いし応用も利く。狩りだってきっと二人でやった方が楽しいと思うんだけど……なんでかナイジェルやロイドといる時の方が落ち着いてるように見える……まさか俺の下手くそ具合に安心してるとかじゃないだろうし」
ちょっと顔を顰めてから長々と息を吐いた。
「エリックも、気持ちはわかるけど警戒されてるうちはもうちょっと近づくのを控えた方がいい――難しいんじゃないかな、って思う――それに『俺を睨むのは逆効果だ』って言っても、なかなか難しいらしくて――人でいる時はマシなんだけど――それに睨まなくたって俺にはそういうつもりはないし、レイラもそれはわかってるのに。……って、俺もリジーにその気はなくてもウィルに焼いたから文句は言えないけど」
苦笑はキス付き――そうやって話してくれるのは、嬉しい。
思い出してちょっと微笑んで、嫉妬心に対応するのって難しいよねって思う。
それに確かに、レイラはエリックに対してちょっと距離を置いているところがあると思うし。
温かい流れに足をつけたエリックは、困り顔で続けた。
「トリスタンもいろいろ考えてくれてる――そりゃ、最初が押し気味だったせいで引かれちゃったのはわかるんだけど、今は押してないんだし、もっと打ち解けて仲良くなれる方法とかないかな――。
俺が人でいると歳が一回り違うってわかりやすいみたいで、友達って感じはやりにくいみたいなんだよ。それに黒豹でいる時は逆に年齢が意識されないから、俺にはどうしても『異性』に見えちゃうし。
レイラが人になるのは嫌だって言ってる以上、人になってみて欲しいなんて言えないし――嫌なことはやらせるなってトリスタンにも言われたし」
エリックのことを、たんに遊びに来てレイラに惚れたいいとこの坊ちゃんだと思っているナイジェルとリディアの表情は明るい。
「まあ、レイラは一人ぼっちで山で暮らしてきたんだしな。一回り年上の相手を恋愛対象として見るのは簡単じゃないんだろ。もう少し我慢して、どうにか『友達』になってそこから徐々に、ってのがいいんじゃないか」
「そうかな~。レイラ、穏やかな人が好きだって言ってたよ? 歳は気にしたことないって言ってたし、私はエリックが合ってると思うけど」
二人の話にエリックが身を乗り出す。
ナイジェルの言葉には渋い顔。リディアの言葉には期待の顔だ。
「俺、どうしたらいいと思う?」
「現状維持じゃないか? 焦るなよ」
そう言われてガックリしたエリックの肩を叩いてナイジェルが笑う。
恋愛関係になってからはともかく、ナイジェルとリディアの付き合いも長い。
「気長に行けよ。こればっかりは相手次第だぞ?」
隣でにこやかな表情のリディアは来週一度王都に帰ることになっている。一度帰宅することを条件に、ついに父親が折れたのだ。
「現状維持……嫉妬でバトルしたくなるから、早めにトリスタンには夜の狩りから抜けて欲しいんだけど、どんな感じ?」
「レイラがいいって言ったらいつでも抜けるわよ。それに、気持ちはわかるけどトリスタンに噛みついたら速攻で領地から叩き出すわよ?」
エリザベスの強気の発言にナイジェルが口笛を吹いて、エリックがため息。
流れていく水と同じように、心は捕まえようとしても難しいものだ。辛抱も大切。
「エリーは――嫉妬しない? あんなふうにあの二人が一緒にいるところを見たら、嫌だと思わないのか?」
聞かれてエリザベスは鼻の頭にしわを寄せた。
「するわよ。当然」
前よりマシになった、ってだけで、羨ましくないわけではない。
「で?」
「『で?』って?」
「なんで平気そうなんだ?」
「平気じゃないわよ――だから逃げられないように毎日がんばってるじゃない」
「あ、ああ……料理と家事?」
「そう。パートリッジ家の料理長と家政婦長が『男を落とすにはそこだ』って力説してくれたから、もう必死で練習して練習して習得したのよ? ――習得したからには使わないと」
拳を作りつつ当時の自分を懐かしく振り返りながら笑ったら、エリックは不思議そうな顔になった。
「必死で? 君が? なんで――トリスタンは君にべた惚れだろう? 前は違ったのか?」
「その頃の私は自分が嫁ぐ相手がトリスタンだって知らなかったのよ。だけど、相手がどんな人でも、好きになってもらえれば酷い扱いはされないでしょう?」
「――え? だって君は――トリスタンの前の相手はウィリアム殿下だったんだろう? なんでそんな――料理も家事もこの国では使用人の仕事だろう?」
エリックの驚き顔に笑い声をあげたのはエリザベスだけではなかった。
ナイジェルも、リディアも。
あの頃の出来事を今はこんなふうに笑えるんだから、人生って不思議だ。




