171. 魔王のお気に入り
エリザベスがマリーにダンジョンでルークに会ったことを話したのは戻って二日目――エリックの滞在が決まった日の翌日――の朝で、それぞれが仕事のためにシュヘル邸を出た後だった。
マリーはホルストに隠し事をするのにかなり抵抗があったようだったけれど、それでも最終的には『ダンジョン内の生産向上のために』、『短時間』エリザベスをダンジョン内に連れて行く許可を取ってくれた。
ただし、行先は相変わらず三階層まで。
少し心配そうに、それでも「気をつけるんじゃぞ。わしが行ける時はわしでもええ。じゃが、わしはもうちいとばかり深くに潜りたいでのう」と言いながら許可してくれたホルストに、エリザベスはちょっと申し訳ない思いとともに頷いた。
「約束するわ。三階層より下には行かない。これ以上何かが起こったら目が回っちゃうし。夕ご飯のメニューが増えることを期待して下さいね」
明るい口調で追加すると、「それは楽しみじゃのう」と笑ってくれた。
けれどマリーと二人で入ったダンジョン二階層には――どんなに呼んでも、ルークは出て来なかった。
久し振りに覗きこんだあの泉は相変わらず清浄な流れを滾々(こんこん)と生み出していて、水面には木漏れ日がきらめいている。
けれどそこに黒い人影は映らず、動物たちも元気に駆け回っている。気配もない。
小川の辺で待っていたマリーは、エリザベスの表情からルークに会えなかったことを察して哀しみの混ざった息を吐いた。
「やっぱり私に会いたくないのよね――」
並んで座り、キラキラ光る小川を見つめる。
「会いたくないわけないわ」
そんなはずない。
「だって、こんなに何度も潜ってるのに――」
「そこはそうだけど、『最愛の人』って言ってたのよ。絶対、会えない理由があるんだと思う。伯父様の受けた呪いのせいとか」
マリーの顔に浮かぶ寂しそうな表情は、あの日伯父の顔に浮かんでいたものによく似ている。
それはたぶん『会いたい』という想いだ。
「……あの人が受けた呪いは、そういう類のものではなかったわ。あの後も数回は会ってるし」
「……じゃあ、マリーと別れた後でそういう呪いを受けたとか。お祖父様は呪いを複数持っているし、あり得ると思う」
「エリーは会ってるわ」
「ダンジョンの中身が変わってすぐだったからどうしても知りたかったんだと思う――それか、その呪いが私には効かないのかも。私は体質がヘンだし。だから伯父様はお祖父様にも会わないのかもしれない。もしくは会える日と会えない日があるとか。何にせよ諦めないわよ」
また拳を作ってのエリザベスの言葉に、マリーの表情が少し明るくなった。
「そうかもしれないわね――でも、体質が『ヘン』って、エリーのそれは変なんかじゃない。最高のギフトだと思うわ」
「これのせいで振り回されっぱなし――狙われたりしてるわよ?」
「でもみんなエリーに助けられてるし、今は幸せそう」
優しい顔で笑う。
力の抜けたマリーは実年齢よりずっと若く見えた。
「エリー、あなたのそういう顔が見られて本当に嬉しいの――私と会った頃のエリーは本当に酷かったもの。小さいのに完璧に振る舞おうとして、しかもそれができてしまう子――正直怖かったわ。母親を亡くしたばかりの小さな女の子なのに癇癪の一つも起こさないし。それに時々、感情のない陶器の人形みたいな顔をしてた。公爵の再婚が決まった後は特に。壊れてしまうんじゃないかって思った」
空を見上げたマリーに合わせてエリザベスも見上げてみれば、地下のダンジョンとは思えない。
どこまでも澄んで青い。
「――だけど、あの小さな黒豹といる時は違った。笑ったり泣いたり困ったり――ちょっと不思議でこまっしゃくれたところはあってもちゃんと人間の女の子に見えた。あの黒豹のためならわがままも言ったし、下手くそだったけどおねだりも増えて――公爵も随分救われたと思う。本人は気づいていないでしょうけど」
『記憶』が戻り始めた頃の自分のことを思い返す。
大人として生きた記憶は、七歳の自分にその年齢にしてほぼ完璧なふるまいを可能にさせただけではない。ゲーム世界の未来の悪役令嬢として生まれたという記憶は幼い少女の心を恐々(きょうきょう)とさせた。七歳の心を大人の記憶で守って、必死で顔を上げ、涙を見せないようにして前に進んだ。
それは、今思えばやっぱり異常なふるまいだったと思う。
マリーに『怖かった』と言わせるほどだったのか――と今さらだけど申し訳なく思う。
「エリーは小さい頃からがんばり過ぎだったのよ。もっと欲しいものを主張していいし、できるからって我慢しなくていいのよ。そう言ってあげたかったわ」
「我慢……か。そういえばいつも、してたかも」
使用人である以上、雇い主の娘と距離を置くことはどうしても必要になる。
当主のウィルベリー公爵は人一倍そういうけじめに厳しい人物だったし、マリーはホルストに――そしてルークに繋がるこの仕事を失うわけにはいかなかった。だから愛情や親しみを見せて過剰に懐かれるわけにはいかなかった。
それでも、上手くできた時はちゃんと誉めてくれた。がんばっていると認めてくれた。小さな触れ合いも――アリアンヌ以外には感じられなかった人の温かさを感じされてくれた。
『記憶』や『聖魔法』のことを祖父アーノルドに話してからは『仲間』としてずっと協力してくれた。時には厨房からお菓子を持ってきてくれたし、はっきりそうとは口に出さなくても、いつでも『味方』だと示してくれた。
ナイトのこともそうだ。疑うアリアンヌを宥めつつ、黒豹だと信じて疑わなかったエリザベスと黒豹のフリをしているトリスタンの間を上手に調整してくれていた。
運命に抗いきれないことが悔しくて、辛くて、全てを恨みたくなった時は――そのナイトが揺るぎない『信頼』が宿った瞳で見上げてくれた。
一人じゃなかった。マリーも、アリーも、祖父も。
学院に入学してからは友人たちも。
みんな支えてくれた。
笑って、泣いて。
「うん。私、今すごく幸せだわ――」
だから今度は返したい。
マリーが幸せを掴む手伝いがしたい。そう思う。
ルークが出て来ないなら出て来るまで。そうでなければ策を練るまで――だ。
「諦めるもんですか。また明日――出て来るまで挑戦するんだから。根競べなら負けないわよ」
ぐっと拳を作って一階層に戻ろうとした時だった。
さほど遠くない場所に有志で畑を作っている冒険者の声が響いた。
「イノシシが出たぞー!!」
害獣、だ。
マリーがパッと立ち上がって駆け出そうとして、逡巡した。
「行っていいわよ。すぐうしろから追いかけるわ――猪くらいなら、たぶん私だってやっつけられるし――」
「私が危ないと判断したら私の後ろに隠れてくださいね」
「わかった」
もちろん反論はしない。
小走りのマリーに続いた。
猪系の魔獣なら見たことがあるけれど、ちゃんとした猪なんて『記憶』の写真でしか見たことはない。シュヘル領にはそういうちゃんとした猪も出るそうだし、ダンジョンの中に普通の動物が増えているっていう報告は前にもあったから、その一環なんだと思う。
ちょっとドキドキしながら畑に着いたら、猪は既に討伐済みで、耕されて黒々とした土が広がる畑の際で冒険者たちが「ギルドで引き取ってくれるかな」「それよりも、これ許可なしの狩猟にならねえよな?」などと話し合っていた。
魔獣でもないただの猪などものともしない――さすがだ。
体長一・五メートルほどの猪を囲んでいた冒険者たち三人は、近づいて来たマリーとエリザベスを見てはっとした顔をしてからほっとした顔になった。
「奥さん! これ、畑に出たんだから狩って大丈夫なやつだよな?」
「魔獣じゃないけど、冒険者ギルドに売ったほうがいいか? 肉屋に持ち込んだ方がいいか?」
ちょっとそわそわしながら聞かれて、マリーと一緒に笑って頷いた。
「もちろん狩って大丈夫です。畑に出たなら害獣だもの――ダンジョンから出た動物だから一応ギルドを通して売ってもらえると助かるわ」
立派な猪を見ながら、何料理にするのがいいかなと考える。
「猪はこれからの季節――冬場の料理にピッタリよね――うん。お酒と蜂蜜と……味噌に漬け込んで網焼き――あとはやっぱり牡丹鍋よね! 大根、人参、ごぼう、白菜もいいわよね。春菊、水菜、キノコもいっぱい……あとは油揚げにこんにゃく~。あ、こんにゃくならこれからの季節はすき焼きもいいわよね。お祖母様のレシピに割り下もあったし……ネギたっぷりで、焼き豆腐としらたきと、椎茸! あ、お祖父様ならもしかして松茸かしら……それにそれだけ野菜があったら豚汁とかもいい――ちょっと高級に黒豚っていうのも……そうだ、豚汁なら里芋! あ、サツマイモもいいわよね。秋だし、焼き芋イベントもあるし。レモンを入れて甘く煮て……トリスタンはスイートポテトも好きだし、和菓子系なら芋羊羹とか、栗きんとんも……ムグ」
他には何がいいかとちょっと夢見る眼差しになっていたら、突然マリーに口を塞がれた。
何事かとマリーを見つめたら。
「エリー、もうやめた方がいいわ」
ちょっと非難するような視線の先を見やって、納得。
さっきまで黒々とした地面が続いていた畑の表面が元気いっぱいの植物たちで覆われていて――冒険者たちが唖然としてそれを見つめていた。
その後、「豚……いや黒豚が出たぞー!!」って声がした時は、柵の手前から静かに遠目に観察するにとどめ、今度こそおとなしく帰ることにしたエリザベスだった。
ルークには会えなくても、どうやら自分は相変わらずシュヘル領の魔王たちに愛されている様子――実は傍らにマリーがいるせいもかなりあるんじゃないのかな、ってものすごく思った。




