169. エリックの理由
日常生活が戻った――一部は。
確かに、ここはシュヘル領だし、住民ギルドも順調だし、冒険者用の宿泊施設の建設も順調。いいことばっかり。
お化け屋敷の後に建てる食事処の設計も進み始めたし、アントニーに発注した温泉を組み出すための装置も近いうちに届くだろう。それにエリックから学ぶことも多い。
つまりなんていうか、やっぱり忙しい――活気があるのはいいことなんだけど、なんでこんなに忙しいんだ? って思うくらい。
そしてそれはエリザベスもだ。というよりは、エリザベスはたぶんもっと忙しい。
幸い、お月見イベントに関してはエリザベスが走り書きをしていた計画書に基づいてギルド職員が進めていてくれたので割と簡単にできそうだった。
マリッサとレオノーラの二人が何度か月見団子を試作して当日の調理指導もできるようにがんばっているし、会場手配はティアゴとテオで、団子の作成から夕方までは子ども込みのイベントにし、夜は酒ありの大人の会にしてウーリッヒの土産の酒を飲もうと画策している。
夜の部に関しては冒険者ギルドと共同のイベントにしよう――そんな話もあるらしい。
エリザベスはそのお酒に合わせる肴を考えつつ、身体が温まるものも出したいと考えている様子。
食事処のメニューについても毎日頭を悩ませ、試作を重ねてラグドルと相談している。麺類をどうするかはまだ決まらないようだ。
留守にしていた間に減った薬の錬成もしていて、そういった仕事の殆どはシュヘル邸でやっている。ロランにとられる時間はなくなったのに前みたいに住民ギルドに顔を出す時間もあまりない感じだ――毎晩寝る時に魔力を抜かれる感覚があるから、かなり頑張っているのだとわかる。
しかもそんなに忙しいのに、祖父に了解を得て、時々マリーと二人でダンジョンに行くようになった。
「薬の材料や食材が増えるかもしれないし、新しい発見もあるかもしれないから」
って、どんだけシュヘル領に貢献する気かなって思う。
そしてダンジョンに行った日は、お土産に必ず瓢箪を一つ取って来る。
割らずに持って帰って、夕食の後で一緒に開けるのがお楽しみになった。
中身は甘味のこともあるし調味料のこともある。一度、振っても音がしないのにズシリと重いやつがあって、割ってみたらどろりとした『水あめ』が流れ出し、テーブルがベタベタになってみんなで笑った。
気になるのは、そんなふうに笑いながらもエリザベスがちょっと悲しそうな顔をする時があることだ。
がんばり過ぎて疲れているんじゃないかと思って聞いてみたら、ダンジョン内の温泉施設に住まいを移したマリーのことが気になるんだ、と言われて納得したけれど。
エリザベスの侍女だったマリーは、冒険者ギルドで雇用契約を結び直し、なんとダンジョン内に引っ越した。ほぼ常駐してくれているのでとても助かるのだけれど、それからあまりシュヘル邸には来ない。
もっとも、エリザベスは短時間だけれど二、三日に一回はマリーとダンジョンに行くからまったく会えていないわけではないし、雇用関係でなくなった分話しやすくなったと本人は喜んでいる。侍女ではなく姉ができたような、そんな感じらしい。
なんにせよ、小さい頃から一緒だったマリーのことだけに、エリザベスが一人でダンジョンにいる彼女を心配に思う気持ちはよくわかる。自分たちに子どもができたら子守りとして手伝ってくれることになっていたし、なかなかそうならない現状についても申し訳なく思っているのかもしれない。
「まだ若いんだし、ダンジョン内に籠らずに、外に出てきて日々を楽しんでくれたらいいよな」
元気づけようとしたトリスタンの言葉に、なぜかエリザベスはまた少し悲しそうな顔になってから頷いた。
――マリーは結婚に興味がなくなったのだろうか。確か王都に行く前は好きな人がいるって話だったのに。うまくいっていないのかな。
王都での誘拐事件にまつわる不運(いや、自分にとっては幸運か)な事故ついてはまだ話せていない。
初日に話そうとしたときはレイラの邪魔が入ったし、その夜は驚きの理由とともに「しばらくシュヘル領に滞在する」とエリックに言われたからだ。
そして翌日からは怒涛の忙しさ――毎日腕の中で幸せそうな吐息とともに眠りにつくエリザベスには、やっぱり少し話し難い内容で……近いうちに話せるといいな、とは思っているが、これがなかなか……難しい。
『お義兄様、ヘタレね』ってアリアンヌの声が聞こえそう。がんばらないと。
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「トリスタン、エリー。自分はしばらくここにいさせてもらう」
ナイジェルとリディアも館に戻ってきて、五人で(ロイド一家はキッチンに行ったし、レイラは骨付き肉とともに外に出て行った)食べた初日の夕食の後、エリックが言った。
どうやら滞在先の条件に適合したらしい。
事情を話すが他言無用だと続けたので、別室に移り、盗聴防止の魔法を使ってから話を聞くことになったそれは、なんとモルドネシア国内でも知られていない王族に関する秘密に関することだった。
彼らは基本的には人間で――けれどたいていが領内にいる亜人たち同様動物に変身することができる特異体質者であり、そのために人と亜人との仲を取り持つ役割を果たしている。そして、男性は特に恋愛対象者が『同種に限定』されていることが多いのだそうだ。
人の形であれば人間との結婚も可能だけれど、動物に変わることのできる王族が純人間の伴侶を得た場合、後の人生で同種の亜人に出会った時にそちらに惹かれて破局する可能性が高く、だから通常は動物に変身できない者は人間の伴侶を得て、変身できる者は同種の亜人を伴侶に迎える。
エリックたちは三兄妹で、三人とも変身した。カイルとロゼッタに関しては特に問題なく、いずれしかるべき時にしかるべき相手を選べばよい、となった。
けれどエリックの場合は――問題があったのだ。
エリックは通常の豹に惹かれなかった。そして人間にも惹かれなかった。つまり、恋愛対象者は『黒豹』。けれどそもそもの個体数が少ない。
もちろん早めに探し始めたのだが、それでもなかなか見つからなかった。
国中を探して探して――既に伴侶がいたり年齢が合わない者は除外。よさそうな亜人を見かけたと聞いて探しに行っても、単独行動を好む種のせいで、すれ違ってしまって行方がわからないこともあった。
モルドネシアは基本は奴隷制を奨励していないため、亜人を『狩っている』と思われるような手段は取れないし、隣国との国交を考えるとたとえ自国内でも特異体質のことを広めるわけにはいかない。
奴隷制を支持する隣国から蔑まれて見下されたり、外交のつもりで赴いた先で捕獲されたりしてはたまらない――人種差別はなかなか根深い問題なのだ。
そんなこんなで相手が見つからない状態で時を過ごすうちに二十六歳になり、弟のカイルも二十歳になって、そろそろそちらにも伴侶を、という話が出始め、そうなると次の王位は結婚できないエリックではなくカイルにという声も聞こえめた。
「両親も自分が黒豹に変身した時には頭を抱えたらしいんだ。だが十年も探せばいい加減相手も見つかるだろう、と考えて――それでカイルとは六歳差なんだ。自分がもっとありふれた生き物だったら、歳が近い兄弟を作って楽しく暮らしたかったようなんだけど。ロゼッタとカイルの歳の差が開いているのはたまたまなんだけどね」
エリックが口の端に笑みを浮かべて振り返るのは小さい頃の思い出だろうか。
なんの落ち度もない王太子を廃位にして弟を立てるのは外聞が悪いが、そうするしかないか――人間の伴侶を得ることはできても将来の心変わりの危険が残るし、そもそも人間にも惹かれない。廃位どころかその後の人生だってどうなるか。
諦めが交じり出したころに、モルドネシアでも外れの外れ、百年ぶりに住民の入れ替えをしたハリオネスにほど近い地域に一匹の黒豹が出て、なかなか出て行かずに困っているという話が届いた。
カイルが急行したが、その姿を確認した時彼女は既に密猟者の手に落ちていて――カイルは自分も亜人のフリをして捕まることにした。機会があればレイラと言葉を交わして逃げるつもりもあったし、国境を抜けるときに自国の役人が自分を通すはずがないとわかっていたからだ。
つまりそれが、奴隷の馬車に王子が乗っていたそもそもの理由。
けれどそこでハプニングが起こった――奴隷の輪をつける過程でカイルがただの亜人ではないことがバレたのだ。
話をするエリックの目元がきつくなった。
「詳しいことはわからないが、おそらく亜人奴隷用の輪が嵌らなかったんだと思う。私たちは人間だからね。――特異体質であることがバレて、カイルは本人も知らないうちに罪人奴隷用の輪をつけられたんだよ。気がついたのは商人の命令に一切抗えなくなったからだそうだ。奴隷商人たちは高額取引の可能性に賭け、亜人狩りはそこで中止して、正規のルートを使わずに秘密裏に国境を越えて戻ることにした。助けるどころか、自分のせいで正規ルートを通りさえしなかったんだ。カイルはその時点で一生帰国できないと覚悟したそうだよ」
重々しいため息。
しかもその奴隷商人たちはハリオネスの人間でさえなかった――リナリアだ。
そして、さらに悪いことに、カイルたちより先に捕らえられていた美形の亜人の親子はハリオネスの逃亡奴隷だった。それで奴隷商人たちはハリオネスとリナリアの国境も正規ルートでは超えず、ナルシカを経由してリナリアに入ろうと考えた。たとえ遠回りで道は悪くても。
こんな辺鄙な山奥ならまず見つかるはずがないと踏んでのことだった。
エリックの顔に浮かんでいるのは、怒りと安堵の入り混じった複雑な表情だった。
「悪いこと続きの道中だったようだ。あのままリナリアに入られていたらどうなっていたか――カイルを助け出すことはできなかったと思う。
あの奴隷の輪のこともそうだ――罪人奴隷の輪は通常の手段では外せない。刑期を終え、さらに持ち主の承認を得て初めて外せるようになっているとハリオネスのあいつに聞いたよ。――亜人奴隷の輪についても、持ち主の承認なしに外すのは難しい。
それが私たちが連れ去られた亜人の国民を取り戻せない理由の一つでもあるんだ。研究はしているんだが、モルドネシアでは魔法は好まれない。亜人と人間がいるだけでもややこしいのに、人間の種類まで増えてはとてもまとめきれない」
そこまで話すとエリックは深々と頭を下げた。
「心から感謝している。約束は決して違えない」
シュヘル領に滞在したかった本当の理由はもう聞かなくてもわかる。
トリスタンが大きく息を吐いた。
それを見てエリックが笑う。
「まあ、君の奥さんに関しては魅かれなかったとは言えない――人間を見てきれいだな、って思ったのは初めてだよ」
エリザベスが眉を寄せ、一度は力を抜いたトリスタンがエリックを睨みつけた。
「君が嫉妬深いのは聞いているよ。だが君の前で誉めるくらいはいいだろう?」
楽しそうに笑う。
「というわけでね、さっき食事の前に食糧庫から骨付き肉の塊を持って出て行った彼女だが、口説き落として国に連れ帰るつもりだ。それまでは私はここから帰らないし、彼女がここから出ないと言ったら国はカイルに任せてここに残る。だから、私を追い出したかったらぜひ――協力して欲しいんだ」




