168. 侍女の想い人
「マリー、パートリッジのお祖父様から推薦状付きで解雇通知を貰ったわ。冒険者ギルドで、温泉施設の雇用に応募してね」
シュヘル領に戻った翌日の朝、エリザベスは笑顔でマリーに封書を渡した。
受け取ったマリーも笑顔になって、あっという間に新しい雇用契約を結んで帰って来た。
これで晴れて『友人』。
年長の友人を抱きしめて喜びを表してからほっと安堵の息を吐くエリザベスを、マリーは不思議そうに見つめた。
「本当によかった! マリー、早速で悪いんだけど、先に私の話だけ聞いてもらってもいい? 相談に乗って欲しいの。話せる人がいなくてすごく困ってたのよ」
ますます不思議そうにこちらを見返して来るかつての侍女の手を両手で握りしめる。
「……お嬢様、それなんですけれど、相談というのは雇用関係にあればアーノルド公やホルスト卿に報告が必要な内容なんですよね?」
ちょっと腰が引けている感じだけど、まずは呼び方、それから説明だ。
「『お嬢様』じゃなくて『エリー』。アーノルドお祖父様にだって『侍女じゃなくて友人が必要なの』って説明したんだし、実際その通りだし。
お祖父様たちのことについては、そうね。私のことを報告されたくない――のは私がそう思ってるわけじゃないのよ。本当は自分から相談したいくらいだし、できるならやってるわ。だけどできないから困ってるの」
けして後ろ暗いところがあるわけではない。
「でも、これでもうマリーは『友人』なんだから、私の悩みをお祖父様に報告する義務はない。報告義務があるのはダンジョン内の温泉施設に関することだけでしょう。だから他のことに関しては黙っていたっていいんだし、それなら協力してもらえると思うのよ――もちろん無理強いはしないし、もっといい考えがある時は教えて欲しいし、しっかり話し合いたいと思ってる。
それにもちろんマリーが思いを寄せているその男性のことだってちゃんと協力するわ! そのためにも、あなたが必要なのよ!」
「……はい」
ちょっと気乗りのしない様子だけれど、マリーだって自分の将来がかかっているのだ。お互い協力できるはず。
エリザベスは王都で仕入れてきた高級茶を淹れて、特別な時用のチョコレートを取り出した。
チョコレートは『秘密』の合図だからだ。
ウィルベリー家にいた頃、マリーがこっそりと厨房からくすねてきてくれるお菓子の中に、ごくごくまれにチョコレートがあった。
公爵家でも滅多なことでは口に入らないそれは超高級品で、マリーがくすねたことがバレたら『解雇』の危険さえある――。
だからチョコレートの存在を知っていることも、マリーがくすねたことも、食べたことがあることも全部『秘密』。そういうお菓子だから、食べている間に話したことも全て『秘密』。
そういうことだ。
企みを持つ者の顔で一口齧ると、とろりと滑らかで甘い。
マリーも同じように口にしたのを確認してから話し出す。
「あのね、実はどうしても会いたい男性がいるのよ」
元侍女が目を見開いた。でも何も言わない。そのあたりはさすがマリーだ。
「できれば一人で会いたいの。だけど、ここの人たちは私を一人にしてくれないでしょう? お祖父様もトリスタンも過保護だし、ナイジェルも――こんなこと、相談しただけできっとお祖父様やトリスタンに報告するわ。あなたも、さっきまでだったらきっとパートリッジのお祖父様に報告したでしょう? そうしたらホルストお祖父様に知られちゃうし、結局トリスタンにも――」
珍しく、マリーが片手をあげてエリザベスの言葉を遮った。
「まさかとは思いますが、ホルスト卿やトリスタン様に内緒で、私にその人に会う手伝いをしろ、と?」
また口調が硬くなっているし、『様』がついてる――でもまあ、徐々にでもいいか。
「そうなの。他の人じゃダメなのよ。みんな絶対一人にしてくれないから――」
ルーク伯父様はお祖父様の前には絶対に姿を現さないって決めてるみたいだし、トリスタンはダンジョンに入れないし、ナイジェルも過保護だし、リディアと二人では許可が出ない。となれば、後はもうマリーしかいない。
それに、マリーの想い人がダンジョンに入り浸っているダンジョン族なら、どちらにせよもっとダンジョンに入れるようにならないと会えないだろうし。
「……男性、とおっしゃいましたよね?」
慎重なマリーの口ぶりと疑うような目つきに、はっとする。
「違うの! そうじゃないのよ。別に浮気とかそういうんじゃないの。ただ、前に会った時、話が半分だったし、ちゃんと話せればお祖父様もトリスタンもこの先の見通しが明るくなるっから――。それに別に遠くに行きたいわけじゃないの。ダンジョンの二階層よ。そこでちょっとだけ一人にしてもらいたい――それだけなの」
「それは――やはりいかがなものかと」
侍女の話し方に戻ってしまったマリーの手を取る。
「マリー、侍女じゃなくて友人として相談に乗って。トリスタンのためには絶対譲れない。なのにこのままじゃどうにもできないし、本当に困ってるの――」
「トリスタン様のため? それは本当ですか?」
そこは絶対間違いない。
「もう! 解雇通知は渡したんだから、『様』じゃなくて『トリスタン』! 私だって本当ならお祖父様やトリスタンに相談したい。そう言ったでしょう? 特にお祖父様には話したいのよ。あんなに一生懸命探してるんだもの――だけど『二人には話すな』って言われちゃって――だからあなたに相談しているのよ。あなたには話すなって言われなかったから」
「シュヘル卿とトリスタン様――トリスタン、には『話すな』と?」
「そうなのよ。話した方が早いんだし、どうして話しちゃダメなのかわからないけど、とにかくお祖父様には知られたくないみたいなの。ずーっと避けてるし」
「大旦那様を避けて……」
「だからお祖父様に連れて行ってもらうわけにはいかないの。お祖父様がいたら絶対出て来てくれないわ。リュカやウィルに来てもらうわけにはいかないし、たとえ来てくれたってあの二人だってきっと一人にはしてくれない。あの時は本当に偶々だったのよ。だからあなたが頼りなの。お願い」
考え込む様子の侍女の手を離し、買収の意味も込めてもう一枚チョコレートを勧めて、自分でも手に取った。
「お願いマリー。私をダンジョンに入れて。そしてちょっとだけ一人にして」
「ダンジョンに……」
「だって、ダンジョンから出てくれさえすればきっと呪いは解ける。それを伝えるためには会わないと。なのにダンジョンに入る方法が他に思いつかないのよ。それにあの感じだと、ダンジョンの中で解くのは難しいんじゃないかって思うの。ほら、お祖父様が許可してくれないからトリスタンは入れないでしょう? それだと私も追加の魔力を貰えないから。
ホントにさすがの魔王――ダンジョンの主だけあって――魔力のせいなのか呪いのせいなのかはわからないけど周りが歪んで見えるの。いったい何回解呪がいるかわからない――私が自力で出て来られなくなったらそれこそ大変だし」
どうしても出てもらわないと。
「あの、エリー?」
あ、『エリー』呼びになった。
「なに?」
「エリーは……誰に会いたいんですか?」
誰に? そんなのは決まっている。
「もちろん、ルーク伯父様よ。ダンジョンに入りっぱなしのトリスタンの伯父様」
当然だ。
「会った……の?」
「え?」
「エリーは、会ったの?」
お、口調がだいぶ友人っぽくなってる。やった。
肯定の印に頷いて続けた。
「そう。で、『トリスタンが魔王にならなくて済むようにがんばるから、二人には話すな』って言われたの。そんなことを言われたら、話すわけにはいかない。だから本当に困ってて――マリーがギルド雇用になってくれて本当に助かったわ。この話、お祖父様に報告しないでくれるでしょう?
それにマリーと一緒ならホルストお祖父様も私をダンジョンに行かせてくれると思うの。もちろん、マリーの好きな人がよく行くっていう階層まではまだ行けないと思うけど、だったらとりあえず先に伯父様の方を解決させてしまいたい。
だってすごく寂しそうだったし。それに伯父様が出て来られるようになったらお祖父様も喜ぶでしょう? トリスタンだって――ソフィアお母様のこととかを話してもらえるかもしれないし。兄妹なんだもの、きっと覚えていることがあるはず。今のダンジョンの中のことだって詳しくわかるだろうし。
……マリー?」
いつの間にそうなったやら、惚けている。
せっかくのチョコレートもつまんだままで手の中――早く食べないととけてしまうのに。
「マリー? どうしたの?」
「……どこで、会ったの?」
「ダンジョンの二階層よ?」
「二階、層。……いつ?」
「ウィルとリュカと入った時」
「……どうして?」
「え? ええっと、ウィルたちが身体を動かしているときに一人で散歩をしてて――ほら、私が入ったせいでダンジョン内がいろいろ変わったでしょう? だから何があったのかなって思ったみたいで――って、マリー?」
なんだか、様子がおかしい。
これって、何?
惚けているのかと思ったらバッと腕を掴まれた。
「あの人は、どんな様子でした?」
「マリー!?」
「どんな――元気なんですか? 何の話をしたんですか?」
「『どんな』――『あの人』、って、まさか」
それってつまり。
「マリー、あなたまさか……マデリンさんが『いいとこの娘さんなのに冒険者だ』って言ってた……『セリーナ』さん? 『お祖父様が勤め先を世話した』って、『いい家に』ってウィルベリー公爵家のこと――?」
目の前のこの人は。
ルーク伯父様の……もと婚約者!?
「はい――セリーナ・マリーシア・パルマです。勤め先のことは大旦那様がパートリッジ前公爵に頼んでくださったんです。パートリッジと繋がりのある家にいれば連絡はつくから、って。それで奥様を失くしたばかりのウィルべリー公爵家を紹介されたんです。『ダンジョンに変化があった時はアーノルドに知らせる』って言ってくれて。でも私がどこに勤めることになったのかは知らなかったようでした。ここを出た時も、『期待はするな。戻って来なくていい、忘れろ』って言われて。
――だけどあの人を忘れるなんて、そんなことできなかった。だからエリーがここに嫁ぐと決まった時も――エリーに反対されて王都に残されるより前に戻ったんです」
「お祖父様は、知っていて――?」
「アーノルド公は全てご存知だったんだと思います。王都に着いた私の姿かたちも目立たないように変えてくれて――ウィルベリー家にやったのは、ルークのことがある以上私があの家から出たりしないと――あの酷い家からエリーを連れて逃げたりしないとわかっていたからだと――。大旦那様も――外見が違うので最初はわからなかったようですが、もう気づいていると思います。何も言われていませんが、大旦那様は私が頻繁にダンジョンに行っているのに素材を持ち帰らないことの理由を聞きません。ダンジョンに行くのを止められたこともありません――呪いを受けないように戦闘を避けて、逃げ回りながらルークを探しているのを知っている――そういうことだと思います」
「何で私にも黙ってたの!? だって、じゃあ、マリーが探してるろくでなしって、ルーク伯父様!? 知ってたらあの時絶対何を置いても『すぐに出て来い』って言ったのにっ! あんな顔して――呪いさえ解除できればまた――あああああ、もうっ!! 私のバカ!!!」
立ち上がって地団太。
『最愛の人を抱けない』ってあんな顔してたのに――ホントに、私のバカ!
「マリー!!」
「はい!」
「お祖父様とトリスタンには絶対秘密で、私をダンジョンで一人にしてくれるわよね?」
「それは――はい」
「よし! 絶対引きずり出してやるんだから――」
ぐっと硬く拳を握るとマリーがため息を吐いてから笑った。
「エリーのその拳と壁に額をぶつける癖だけはどう指導しても直らなかったわね……今は頼もしい限りだけど」




