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世界の終りまで君と  作者: 佑
第三部 第三章 恋人たち 
167/253

167. シュヘル邸にて

 ちょっと困った顔。かわいい。

 潤んだ瞳も。かわいい。

 どこかぼんやりとした顔も――それが自分のせいだってわかるから、誰にも見せたくないくらい、かわいい。


「俺の」


 って言ったら、ますます困り顔になって一気に赤くなったのも。

 帰ってきてホントよかった。


 底なし沼に嵌っていようが、顔がにやけていようが、ジジイや店主にどう思われようが、指をさして笑われようが――ここでは本当に、エリザベスは自分だけのものだし。

 久し振りに思う存分抱きしめてキスをして、今までよりもっと近い距離で過ごす二人だけの午後は、天国かなって思う。


 エリザベスもすごくゆったりしていて、ミルクたっぷりのお茶と、マリーお手製のクッキーと、庭から響くロランの笑い声。

 そこに時々交ざるロイドとサラの声も穏やかで、ああいうのいいよな――って素直にそう思えた。

 エリザベスの『自分たちの子どもを抱いた俺が見たい』って思った、ってあれは、きっとこういう感覚なんだと思う。


 今回の滞在では、ウィルベリー公爵にきちんと結婚の許しをもらうなんて全然そんな感じじゃなくて結局何もできなかったけど、そこはいらないのかもな、ってあの人の態度を見ていて思った。

 そんな上辺を取り繕うためのものがなくたってエリザベスはきっと、自分といることだけで幸せだって思ってくれるし、自分がエリザベスや将来の子どもの体面にこだわればこだわるほどに、事実無根とはいえ汚名付きで追放された自分のことを申し訳なく思ってしまうんじゃないか――。

 だからむしろ、腹立たしいウィルベリーのことなんて頭から追い払って、やりたいように暮らした方が自分たち二人のためにはいいんじゃないか、ってそんなふうに感じた。


 相手のことを大切にし過ぎて傷つけることがあるってのも感じたし。


 あの夜、ベルナルドかエリックがエリザベスに手を出していたら。

 たとえ手は出さなくても、服を脱がせたのがロゼッタじゃなかったら。

 自分とエリザベスはどう感じていただろう。


 はっきりと口に出すことはなくてもきっと、エリザベスがあの白いナイトウェアを着た夜にトリスタンが踏みとどまったことを後悔したんじゃないか。

 これ以上の醜聞はたくさんだったし、攫われたことを知らせて動揺させたくなかったし、ベルナルドにもエリックにもカイルにもロゼッタにも悪意はなかったから、全てなかったことにさせてもらった。

 あれを見たのも悪かったなって思ったし。

 だけどそれだって、あの夜にエリザベスを自分のものにしていたら違ったんじゃないか。そうも思った。


 そして、エリザベスがいろんなやつらにとって魅力的なのは、これからもきっと変わらない。


 それに。

 エリザベスは――攫われた夜のことを正直に話したら――トリスタンが見たことも、そんなに嫌がらないんじゃないか、って今は思える。


 何があっても自分だけなんだ、って――そんなふうに思ってもらえるような何を、自分はしたんだろう。

 その気持ちに応えたい、と思う。


 とにかく、万一どこからかあの夜のことがバレて誤解させたらすごく困るし、何があったのかちゃんと伝えて、ロゼッタが脱がせたナイトウェアはサラが着せてくれたんだ、って話しておいた方がいいんじゃないか――ちゃんと、相手を信頼して。

 それに、ないとは思うけど同じようなことがあったら、いいかな、って一応――いや、もちろん、いいって言ってくれるとは思うけど――だって夫婦だし。


 トリスタンに寄りかかるように隣に座っているエリザベスをまた見つめる。

 

 あ~、だけど攫われたことはともかく、その後のことが……本気で口に出しにくいな。だけど言いにくいことほど『できるだけ早い方がいい』ってのはリュカに散々言われたし、その通りだと思うしな……。

 そんなことを考えていたら、ちょっと落ちつかなくなった。


 お茶を一口飲んでカップを置き、またエリザベスを引き寄せる。

 こめかみにキスをしてから覚悟を決めて息を吸った。


「リジー、あの――」

「トリスタン! エリー! お帰りなさい~!!」


 元気よく駆け込んできた黒豹に飛びつかれて、ソファから落ちそうになった。

 くそ、間が悪い。


「ただいま、レイラ――元気だった――みたいね」


 体勢を整えたエリザベスが言うと、返事の代わりに何度も頷く。


「元気だったし、ちゃんと働いたわ。ロイドって、ネズミは『獲る』んじゃなくて『追い払う』ものだって考えてるのよ。追い払ったら戻って来るのに――それか他の場所で増えるか。それに、食べないの。『切羽詰まったら食べる』んですって。そういうところ、あたしの知ってるイヌ科の亜人とけっこう違ってて、すごく不思議。それに『追い込む』やり方を知らないかって――それは犬系の特徴だと思う、って言ったら不思議そうな顔をしてた。あとね、『泳ぎ方を教えようか』って言われたの。その場で断ったんだけど、変な顔をされた――本気だったんだと思う? それに、狩りは夜だけの方がいいんですって。ほら、夜ならここにナイジェルさんたちがいるでしょう? 万一ロランが起きたら一緒にいてもらえるから。で、そんなことがあったから、今は狩りの練習は夜だけで二回にして、あたしは住民ギルドで時間は決まっていない害獣駆除の依頼をもらったの――前やってた人たち、ギルドに就職したでしょう? だから空きが出て。とにかく、ロイドはちゃんと庭仕事をしたし、あたしも時間が空いた分はちゃんと働いたから、大丈夫よね?」


 怒涛の報告にエリザベスが微笑んだ。


「もちろんよ、ちゃんと考えて対応してくれたのね、ありがとう」

「レイラ、俺たちがいない間に随分成長したな~。ここに来た時は周りに合わせるのは苦手な感じだったのに、すごい進歩だ」

「当然よ、ここの人たち親切だもの。それにナイジェルさん、ダンジョンから戻るといつも鶏をくれるのよ。しかも一羽丸ごと! リディアさんも撫でてくれる――お料理につかった骨も絶対捨てないであたしやロランにくれるの。ねえ、あたし毛づやがよくなったと思わない?」


 得意そうに尻尾を立てる。

 確かに真っ黒い毛皮は艶々のピカピカだった。食生活が充実していた証拠だ。

 それにあんなに警戒していたのに、ナイジェルたちともずいぶん仲良くなれたらしい。


 自分たちがいない間も本当に頑張っていたんだな、ってエリザベスと目を合わせて笑い合った。


「で、偉い人の呼び出しはどうだったの?」

「大丈夫だったよ。犯罪者を捕まえてみんなを解放できたことについて、ハリオネスとモルドネシアから感謝された。ハリオネスからはロイドの奥さんのサラが来たんだ。これは明日通達されるけど、ロイドとロラン、サラは逃亡奴隷扱いになっていて――この国で解放されたけれど、ハリオネスには死亡したと報告されることになった。俺たちと同じ訳あり仲間だ。

 それからモルドネシアは、帰国希望者がいれば引き取りたいって言っていたよ」


 それを聞いてレイラが顔を顰めた。自分たちより年下の女の子だけれど、黒豹だけに迫力がある。

 安心させるようにゆっくり続きを話した。


「モルドネシアでは一部の土地で人間と亜人の住む土地の入れ替えがあったんだそうだ。単独行動をする亜人たちの中にはそういう通達がうまく届かない人がいるんだって聞いたよ。だからレイラは追われたわけじゃないんだ。人間たちは生活に木材を使うから、木々が育った土地を五十年や百年単位で入れ替えていて――入ってきた人たちは本気でレイラに危害を加えようとしたわけじゃない。若木を植林済みの新しい土地に移って欲しかっただけなんだそうだ」


 疑う顔にもう一つ情報を追加する。


「本当は単独で動く人たちとも話ができればいいんだけど、って言ってたよ」


 エリザベスも頷いた。


「でも……だったら会った時に話してくれればよかったのに――それにすごくしつこかったのよ……」

「レイラ、人間にとって豹は猛獣だし、その状態では亜人かどうかの見分けなんてつかない。近づいたら殺されてしまう可能性が高いのにあえて話そうとする人間はいないだろう?」


 そのままエリックの説明した通り伝えただけだけれど、レイラは黒豹の自分を見おろしてため息を吐いた。


「人になるのは嫌いだし……」


 ぽつりと言う。


「そうなんだろうけど――レイラは猛獣じゃなくて亜人だろう? 人になるのが嫌なら、そのままでも危険じゃないってわかってもらえるような工夫が必要だと思う。シュヘル領にも猟師はいるし、他領から足を延ばす人だっているかもしれない。領境に気づかずに入って来てしまう人もいるかもしれないし――それにレイラだってこの国のあちこちに行ってみたいだろう? そういう時は黒豹だと不便だ」

「そうだけど……追いかけられるの、本当に嫌なのよ」


 エリザベスが首を傾げ、困り顔のレイラを見つめた。


「人になると、追いかけられるの?」

「……そう。黒豹でもそうだったんだけど、人だともっと酷いの。あたし、亜人なのにみんなみたいには変身できないのよ。だから、このままの方がいいの。このままなら少なくとも――ここでは追いかけられたりしない。それにこの姿なら大抵の人は怖がってくれるでしょう?」


 トリスタンは気落ちしたように耳と尻尾を垂らしたレイラの頭を撫でてやった。


「……そういう理由なら仕方ないか――もしレイラがモルドネシアに帰るなら、ちゃんと連絡が届くようにしてもらわないとな。もちろんこの国にいてくれてもいいし、そこは自由だ。ここで領地の外に出かけたいときは、ちゃんとわかってる人間と一緒に出ればいいさ」


 エリザベスも「私たちで助けになれることがあったら遠慮なく言ってね」と言って励ますように肩を撫でた。

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