166. ホルストとエリック
次に向かったのは食事処。ラグドルのところだ。
ウーリッヒのお土産の残り半分はほぼ酒で――ウーリッヒに頼まれた分をお店に置いてもらうためだ。ちなみに残りはトリスタンとエリザベスが冒険者向けの食事処を始めた時のために買った物らしい――酒は、あんまり出したくないような気がするけど。
なんていうか、住民ギルドの男性メンバーへの土産も酒だったし、これに関しては本当にウーリッヒの好みで選んだだけの土産なんだと思う。
それなりに量がある酒ビンや樽を渡しながら、はたしてこれをラグドルが店に置いて、金をとって客に出すのはいいのか? と思う。だって購入金額を出したのはパートリッジの祖父――つまり正直ダメだと思う。けれど、原価がかからないぶんだけ低価格で美味しいものをみんなに提供できるならアリなのかとも――それに、それを元手にしてさらに美味しいものを提供できるようになるのならいいんじゃないか、しかもお土産だし数少ない田舎の楽しみだろうし――とも思う。
その他にもシュヘル領では手に入りにくい調味料や香辛料があって、エリザベスは目を輝かせながらそれらを見つめ、店主と新メニュー開発をしようと盛り上がった。
店主の方も楽しそうで、「ちょっと食ってけ」と言ってから「ダンジョン二階層に『豚』が出たんで鶏と同じようにやってみた」と言葉を続けて、卵と一緒に甘辛く煮込んである、艶々と光るぶつ切りの肉の塊を出してくれた。
もちろん最初にトリスタンの「遠縁」だと紹介したエリックにも。
並んでカウンターに座った。
「こんなところまでよく来たなあ、ダンジョン以外珍しいもんはなんもない田舎だが、ま、のんびりして行け。……しっかし例に漏れずお前の連れて来るやつはいい男ばっかりだな。たまには男じゃなくて相手の決まってないいい女も連れて来いよ」
そう言ってトリスタンを睨む。
「まあ、お前も気をつけろよ、そこの奥さんにちょっかいを出したら叩きだされる程度で済めばマシな方――そこを間違えなければ安全だ」
エリックにそんなことを言って笑い、「こんな時間じゃなければ一本開けたんだが」、と顎の髭を撫でた。
『エリザベスにちょっかいを出さなければ安全』っていう発言にラグドルを軽く睨んだエリザベスは、すぐに表情をやわらげて煮込み料理で使うニンニクと生姜とネギについて話しだした。
すっかり田舎の若奥さんに戻った感じで、トロっとしたネギを口にして嬉しそうに笑う。力が抜けていて、本当に楽しそうだ。
やっと自分の身体からも緊張が抜けて行く感じがする。
ここが好きだ、ってはっきりわかる笑顔が嬉しい。
そして、そのままの笑顔はやっぱりかわいい。さらに美人。も、最高。
しっかり味の染みた柔らかい肉をかみしめながら、自分の領地にエリザベスと帰ってきた幸せをひしひしと感じていたら、隣から声がした。
「君たちは――ここにいる時とあっちでは全く違う顔をするんだな」
隣に目をやれば、なんだか憧れのようなものの混ざった目がこっちを見ていて、トリスタンはその穏やかな瞳を含めて相手をまじまじと観察した。
エリックはラグドルの言葉通りのいい男だ。背も高いし、少しかすれた声も印象的で、穏やかで賢い。
あの条件を飲んでいなければ、絶対に連れてこなかった。
エリザベスが『他の人なんかいない』って言ってくれた今だって、近づけたくないと思う。それに自分も近づきたくないと思う。比べられたくない。だけどそう思うのは――自分にエリックに劣る部分があるからだ。
エリザベスはあの一言で、トリスタンにぶつけられたハリオネスのベルナルドの言葉を全て否定してくれた。
『釣り合っていない。財力もない。領地経営もわかっていない青二才。寝室でだってたいしたことは――』
あれらの言葉を自分で否定することはできないし、目の前のエリックの方がずっとエリザベスにふさわしいって言われたらそれだって否定できないと思う。
自分はまだまだだ。
だけど成長はできるし、学ぶことだってできる。彼らは自分よりも年長で経験も積んでいる。自分に劣ったところがあるのは恥じゃないはずだ。
今はまだ、自分はエリザべスに信頼されていて、好かれていて、だから『特別』なんだっていうことしか主張できなくとも、成長すればいい。
目の前の相手はここよりずいぶんとややこしい国の出身で、そこにはこの国とは違う国政があり、議会制による政策を採用しているのに王族もいる。
危機感を募らせて避けたり遠ざけたりするよりも、この機会に学ぶべきだ。
「そりゃ、ここは自分の領地だし、あんな視線を向けられることもないし――あそことは全然違う。俺もピリピリしなくて済む。
ここではリジーにちょっかいを出さなければ安全っていうのはほぼその通りだし、気づいたことがあれば教えてくれれば助かるよ。俺は領主としては駆け出しだから」
警戒を解いた口調に、エリックはちょっと驚いた顔をして、それから笑った。
「気を張らなくて済む、というのはわかる。だがあそこで完璧にふるまえるだけのマナーと知識を身に着けているのに――その、ここは本当に田舎で辺境だし、街も小さい。領主で爵位があるとはいえ――ああ~……ここは身分が役に立つような土地ではない。違うか?」
やんわりとした伝え方にトリスタンは苦笑交じりで頷いた。『公爵家出身なのに辺境の男爵家でいいのか』か。
やっぱりそこはみんな不思議に思うらしい。
「奥さん、幸せそうだな――あそこでは不幸に見えた。それは、君のせいではなかったんだな」
それにも頷く。みんなそれについてもけっこう不思議に思うらしい――まあ、自分もそう思った時期はあった。
エリザベスが自分のことを好きなんだ、って自覚するまでは特に。
「ダンジョンに冒険者――建設中の建物の材料や働き手の手配まで――雑事も多そうだ」
相手の言葉にその通りだと思いながらまた頷く。だからよその国の王太子なんて受け入れる余裕はない。学べることがあるなら最大限学ばせてもらおう。
「全く羨ましい――」
続いた長々としたため息は、つまりどういうことだろうか。
首をひねった時、懐かし――くもない、声がしてぎくりとした。
「ようやっと帰って来おったか。まったく、とんでもない不手際をやった上に余計な荷物を押し付けられよって――だがまあ、よう戻った」
「気配を消して背後から声をかけるのはやめろよ、ジジイ」
「お祖父様! ダンジョンにいらしてるって聞いて――ただいま戻りました」
トリスタンの顰め面とは対照にエリザベスは笑顔になって、それに応えるようにホルストも笑顔になる。
「ふぉっふぉっふぉっ、待ちかねたぞ。元気そうじゃの――」
頬に軽いキスを受けて祖父の目じりが下がる――腹立たしい。
祖父はすぐにエリックを紹介しようとしたエリザベスを手で制した。
「紹介は要らん。アーノルドから聞いとるわい」
ふん、と鼻を鳴らす。
好々爺が一変、エリザベスにはわからないように向きを変えてからエリックに見せたのは鬼の顔だ。
「――お前がエリックか。さっさと済ませてさっさと帰れ、まったく迷惑な――いいか、これ以上うちの孫たちの間に波風を立てたら命はないと思え」
目を見開いて固まった相手に、そのままの顔に笑いを追加して、小声で続けた。
「『諦めて帰ることになったら外してやれ』と言われたがな、それはできん」
眼と同じように開いたエリックの口からは、言葉は出なかった。そのまま閉じて、また開く。妖怪ジジイに圧倒されたらしい。
祖父は魚のようなその動きを見て楽しそうに笑った。さらに声を低くする――これはエリザベスには聞き取れないだろうと思いながらトリスタンは音に集中した。
「いいか、国王命令だろうが聞くつもりはない。この土地に踏み込んだからにはお前は逃げられん。そのまま殺してダンジョン内に埋めるほうがずっと容易いことを忘れるな」
「お祖父様――? また何か失礼なことを――」
エリザベスの疑いの声に、祖父は一瞬で表情と口調を戻した。
「いやいや、なに、トリスタンがいるとはいえわしも領主一族。よそから来た者には警戒するし、忠告もする――何度も言うがお前は大事な孫の嫁じゃ」
「お祖父様! 私はそんなに簡単に心を変えたりしません――!」
怒った顔に祖父が慌てて言葉を返す。
「いやいや、エリザベスのことではない。こやつがお前を攫ったりしたらと思うと心配なんじゃよ――」
とりなすようにそう言われても、エリザネスの眉は怒ったままだった。
「そんな心配いらないわ――だってここはシュヘル領だし」そう言って祖父をちょっと睨む。「それに――トリスタンがいるもの」
思いがけない信頼しきった発言に、その場に穴を掘って入りたくなった。
確かに領地でならそう簡単に魔力が切れることもないと思うし、人間の居場所を感知するのもずっと楽だ。
だけどつい先日鼻先から攫われたばかりだし、この様子だと祖父はそれを知っているし、もちろんエリック王子は当事者だ。
不甲斐なさと罪悪感に視線を床に向けた。
顔は見れないけど、たぶん祖父は――呆れているんじゃないだろうか。
「……まあ、ここにはわしもおるしな」
しばしの沈黙の後で祖父がそう言ったら、エリザベスが首を振ったのが目の端に映った。
「……そうだけど、そうじゃなくて――」
ちょっともじもじしてる。
それは、なんでだろう。
少しだけ顔を上げた。
「――たとえ誰かに攫われたって、それで何があったとしたって――他の人なんて考えられないから、一緒だもの」
って。
おもわずぱっと顔を上げたら、目に入ったのはまだちょっと怒ったような顔の、少しとがった唇と、感情を抑えているように軽く握った両手と、またしても赤くなっている顔と首と――ああ、もう。だから。
「ちょっと、ごめん」
「え?」
その場でエリザベスを抱え上げる。
「先に帰る」
「ええ!? 何? トリスタン? ちょっと――」
エリザベスの驚いた声と一緒に、背後で祖父と店主が笑う声が聞こえたけれど、無視して足を速めた。
なんだろうな、この生き物は――どこまで落とす気かな――自分はどこまで落ちることができるのかな――いや、もしかして、これ、底なしか?
途中でかけられた声は全部無視して、久し振りのシュヘル邸まで一直線で帰った。




