164. 領地へ その1
「『待遇は一労働者でもいい』って言ったわね?」
頷く王太子を見つめながら聞いた。
「つまり、平民としてでいいのね?」
もう一度聞くと、やっぱり頷く。
「私たちのところがその条件とやらに合っているかどうかというのは、どのくらいでわかるの?」
その質問には少しだけためらうそぶり。
「……わりとすぐだ。わからない時は少し住民に話を聞かせてもらいたいが一日もいらないと思う」
「合っていないとわかった時はすぐ帰るのね?」
「そうなるがそれでも二、三日いて――」トリスタンが眉を寄せる。「――解放された人たちの中に帰りたい者がいるかどうか確認する間くらいは置いてくれるだろう?」
その言葉にはトリスタン共々すぐに頷いた。そういう理由ならもちろん構わない。
「その間――私たちと一緒にシュヘル邸に住むことになると思うんだけど、それならトリスタンの遠い親戚ってことでどうかしら。変身したら黒豹なのよね?」
その質問に王太子が「それで構わないのなら私は助かる」そう言ってまたトリスタンを見やって、トリスタンが頷くのを見て笑顔になった。
「食事は――生派? それとも人寄りなの?」
領地の安全や管理に関することがトリスタンの領分なら、来客をもてなすのはエリザベスの領分だ。
この人には『恩を売るつもりで』とも言われたし。
「それはどちらの姿でいるかによる。どっちでもいけるけど、生なら毛や羽はない方が食べやすい」
「お肉の好みは?」
「人の時ならどちらかと言えば生よりの中火かな? 聞いているのがそういうことなら」
「苦手な生き物はいる? ――っていうのは、うちにはロイド達がいるし」
ナイジェルのこともあるし。
「あらためて苦手っていうほどのやつはない。理由はわかると思うけど、猫系を好む傾向がある」
「働くつもりがあるのよね?」
「ああ、もちろんだ。負担なのは承知で頼んでいるのだからな」
それなら。
エリザベスはちょっと笑って頷いた。
この人がしばらくいることになるのなら、ぴったりの仕事がある。
~~~~~~
本当にそれでいい、と言うので、御者席には公爵家のお仕着せを身に着けたエリック。
車内にトリスタンとエリザベスとサラ。
少しだけ心配そうに寄ったエリザベスの眉は、ウーリッヒのことがあるからだろう。
「自分のことはここに置いて行ってもらえませんか、旦那様――」
エリック王太子を引き受けることになった会見の日の夜。
夕食の後、部屋の外で祖父を待っていたウーリッヒに『明日帰れるぞ』と告げると、思いがけない言葉が返って来てエリザベスと二人、目を丸くした。
咄嗟にトリスタンの口から出た言葉は、「ジジイに何かされたのか!?」だった。
祖父を睨むと「わしは何もしとらんぞ」としらばっくれる様子。
さらに睨むとウーリッヒが「そういうことではなくて……」と言い淀んでから、「今教わっているやつが終わってから帰りたいんです」と続けた。
一週間やそこらだというのに言葉使いが格段に丁寧になっているし、姿勢も違う。上半身の重心が定まってふらつかないし、踵も揃っている。
お仕着せもあつらえたかのようにぴったりだし、髪も撫でつけられている今の状態だと公爵家の使用人そのものに見える。よっぽど頑張ったのだろうことはわかるけれど、『置いて行け』だなんていったいどうした――。
どういうことかと詳しく聞けば、今ウーリッヒは祖父の付き人のエルネストの下で過ごしながら『上流階級の家に仕える使用人に頭から舐められない方法』とやらを伝授してもらっている最中だそうで、最後まで一通り習いたい、とのことだった。
「だけど……」
エリザベスが言い淀んだ。
言いたいことはトリスタンにもわかった。
なんだかんだで王都での滞在も一週間、帰りの行程を考えればシュヘル領を離れている期間は三週間になるだろう。十月に入って住民ギルドでフルタイムで働きだしているはずのマリッサさんは、きっとすごくウーリッヒに会いたがっているはずだ。それに上流階級の人間を相手にすることなんてシュヘル領ではほとんどない。
「今なら、今日来ていた人を御者代わりにして帰ることができると聞きました。もう少し、こっちで学びたいんです。こっちにいる間の費用はここの大旦那様が持つって言ってくださったし、運送ギルドのやつらに教えてやれそうな技もあったし……」
ちらほらと本来の言葉使いが混ざる言葉から、やっぱりこっちの祖父が噛んでいるのだとわかった。
「ウーリッヒ、断っていいんだぞ? 俺のジジイたちはどっちも人の都合なんて全く考えないから――」
「いいえ――俺――じゃない、私は、この機会に人と場に合った行動を理解しておきたいと思いまして――」
見た目には合ってるけど、中身に言葉が合ってないし、本人もやや居心地が悪いらしく、直立不動だった姿勢が少し揺らいだ。
エリザベスもそれを感じたらしく、横から言葉を挟む。
「ウーリッヒ? 普通に話していいのよ? 何があったの?」
ウーリッヒはちょっと困った顔をしてから大きく息を吐いて、言葉をいつもの調子に戻して続けた。
「俺、あれからずっとアーノルド公と一緒にいて――もちろんエルネストさんのさらに後ろっすけど、お城の広間でのことも見てて、ボスと奥さんがどんだけすごいかって身に染みて。そう思ったら、あのジャスパーってやつの態度が変わった時のこととか、ここの一部の使用人のことも――結局、よく知らないやつは、その場での見た目や一緒にいるのがどんなやつかってところで判断するし、噂とかそういうのばっか信じるやつもいて――もちろん何も言わない人もいるし、窘める人も――だけど腹が立って、そう感じたら、二人のマイナスになるような人間でいたくないなって思ったんっす。
だから、もうちょっと研鑽を積んで、必要な時は外面だけでもびしっと決められるようになりてーなって。だから、アーノルド公に強要されたとか、そういうことじゃないんすよ。『味方はいた方がええ。どちらの顔もできる御者は重宝する』ってあれ、俺は『味方』になれるってことっすよね」
ウーリッヒはそう言って笑った。いつもの衒いのない笑い方だ。
「そういうことならウーリッヒはとっくに味方だろ?」
シュヘル領にいる人たちは、みんな親切で思いやり深くて、噂に踊らされずに自分たち本人を見てくれている。
「じゃ、味方のパワーアップのための研修、ってことで」
そう言って片目をつむると、ウーリッヒは音を立てて踵を合わせ直した。
同僚に恵まれたな。
王都では周りから白い目で見られている自分たちなのに、それを見てがっかりしたり蔑んだりするのではなく、味方でいたいと言ってもらうなんてなんだか――感慨深い。
「ウーリッヒ、ありがとう。すごく嬉しい――でも、無理はしないでね?」
エリザベスもそうだったのだろう。そう言った瞳が潤んでいた。
十月の内には帰す。
そういう約束で祖父の元に残すことになった同僚は翌日、出発するエリザベスの「くれぐれも無理はしないで」と気遣う言葉にしっかりと頷いて、「帰ったら弁当をお願いします。これ、あいつに渡してください」と小箱を渡して頭を下げたのだった。




