163. 要請
「礼儀を重んじた態度も口調も不要――むしろこちらが頭を下げる立場だ――シュヘル男爵夫妻、頼む。私を一緒に領地に連れて帰ってくれ」
開口一番本当に頭を下げたエリック王太子にそう頼まれた。
「……そんなことができるわけがないだろう!」
暫し絶句したトリスタンが厳しい口調で断る。
こっちの方が常識があるかと思ったのに、違うのか? って思っているのがわかる。
警戒したのも。
「そこをなんとか」
食い下がられた。
つまりこれってどういうことだろう――。
真意が掴めずに、いきなり頼みごとをしてきた相手を見つめつつ、エリザベスは少しだけ首を傾げた。
エリック王子は一度登城した祖父アーノルドと共にたった一人で(・)パートリッジ家にやって来た。そして祖父が人払いをして盗聴透視防止の魔法を使った直後、突然そう言ったのだ。
パートリッジ公爵もユージーンもいないし、わけがわからなくて祖父を見やるも、今のところその表情からは何もうかがえない。
「そちらにとって負担であることは重々承知している。だが、どうしても譲れないんだ。こちらの王家からは、『シュヘル男爵夫妻及び前男爵の了承が得られるならば』と言われている。なんとか許可してくれ、頼む」
ハンサムな王太子はかすれた声と困り顔でそう繰り返し、トリスタンは首を横に振った。
それは断りの意思表示というだけじゃなくて、困惑でもある。
「よりによってなんで、うちに――?」
まさしくその通りだと思う。
エリザベスもそこは同意のしるしに頷いた。
それを見た王太子の眉が寄る。
「……わが国では国王になるための試練の一つに体験留学があるんだと思ってくれればありがたい。その行先に指定されたのが君たちの領地で。場所の決定方法について話したのは国王と王太子にだけだ――簡単に説明できることではなくて――だから今はそれで良しとしてくれないか。行ってみて本当にそうなのかちゃんと状況を確認し、その通りだったら君たちには理由を話すし、違ったら即刻立ち去るから。ただしそうだった場合は理由を口外しないと誓ってもらう」
トリスタンが目を向けると、祖父が頷いた。つまり『嘘は言っていない』ってことだと思う。
それはつまり、祖父も他の公爵たちも、この王太子がシュヘル領に来たがっている理由を知らないってことで、しかもこの人の言葉を信じるなら、王太子本人にも行先がシュヘル領でいいのかどうかの確証はないってことで、『行ってみて確認』って、それは。
シュヘル領にある物、つまりダンジョンを見せろ、ってことだと考えるのが妥当――だけどシュヘル領にダンジョンがあることは国外秘ではないし、外国の王太子を受け入れろ、っていう要請なのに国際政策部にも理由を話さないなんて、そんなのありなのかな――。
それとも、この人も何かの呪いにかかっているとか? で、連れて行くのはつまり、領地で解呪しろってことなのだろうか。
エリザベスはわずかに傾げた首を戻しつつ、内心ではまだ首を傾げたままで話を聞いた。
トリスタンがまた首を振る。
「そんなことで了承できるわけがないだろう。一体どういうつもりだ――」
最後の一言は目の前の他国の王太子へのものではなく、この国の国王とウィリアムへの言葉だけれど、王太子は気にせず答えた。
「もちろん了承してもらえる。奥方はともかく君が他の選択肢を選ぶとは思えない――なにせ協力してもらえなければ、私はかなりの高確率で君たちの領地に永住することになるから」
こちらの驚き顔に相手はさらなる困り顔。
その顔は作り物ではなさそうだけれど、少しも疑問は解消しない。
「住み心地のよさそうな土地だと聞いているし私はそれでも構わないんだが――王太子を失えば国が困るし、私に居つかれては君たちも困るだろう? ということでお互いの利害は一致しているし、ここは恩を売るつもりで是非引き受けてくれ」
『恩を売るつもりで』って、自分で言うことじゃないと思う。
それにもちろん、トリスタンもエリザベスも他国の王太子なんていう大層な物を引き受けたいなどと思うわけがない。
渋るトリスタンを前にエリック王子はさらに言葉を繋げた。
「奴隷の馬車のことは心から感謝しているし、そこにカイルがいたんだから報告にほぼ嘘がないこともわかっている。それに一昨日の件については申し訳なく思っているし、今回の申し出についても本当に心苦しく思っているんだ」
また頭を下げる。
「シュヘル領には他国の王族を迎えるような設備はない――かなりの田舎で――辺境だ。高位の人間の世話をするような人間はいないし、とても受け入れることなんてできない――」
世話ができるとしたらトリスタンとエリザベスだけだろう。領地内のことだけでも忙しいのに、お偉いさんの世話とか――そんな暇があるとはまったく思えない。
「客人扱いはしなくていい――君たちのところでは余所者でも理不尽な扱いはされないし働けば衣食住は賄えるとカイルに聞いた――頼む。行ってみないことにはわからないが、条件が合わなければすぐ帰るし、そうでなければとりあえず三カ月くらい――待遇は従者でもいいし、御者でも下働きでも、その辺の一労働者としてでもいいから。許可してくれ」
トリスタンが耳を疑う表情になった。
エリザベスもついまじまじと見つめてしまった――本気で言っているのだろうか。
「従者とか、下働き、ってそれはありえないだろう――!?」
それはそうだと思う。仮にも一国の王太子が、他国のしかも田舎の男爵家で下働きとかって。
「いや、置いてもらえるなら何でもいいし、むしろその方が動きやすくて楽だ。いっそネズミ捕り要員でもいいんだが――すまないがそれはあまりうまくない。だが努力はするし……ただ、後々のためにもその……滞在中は自分がモルドネシアの王太子だということは伏せてもらいたい」
そう言ってまた困り顔だ。
「ネズミ捕り要員は間に合ってるし、そんな条件でシュヘル領に来ることになんの意味があるんだよ……」
「私も話せるなら話してしまいたいんだが――そこは今のところどうにもできないんだ。条件が合わなければそのまま帰ることになるし、その時には余計な情報は残せないし――」
エリザベスはお互いに困り顔をしている二人からそっと視線を逸らして祖父の方を見た。
どことなく楽しそうな顔をしているってことは、『もういい』ってこと――かな。
エリザベスの視線に気づいて今度はニッと笑う。
お祖父様ったら――そう思いながら呆れた感じで軽く息を吐いた。
そもそも断れるものなら国王とウィリアムが断っている。それなのにわざわざこうして二人のホームグラウンドともいえるパートリッジ家に会見の場を設け、最終判断を委ねたように見せているのは、国がそれだけトリスタンとエリザベスのことを重視している、と相手に――エリック王子に知らせるためだ。
エリック王子の方でもそれをわかっていて、最大限に遜って見せた――王室同士の話し合いとやらの中身はわからないけれど、そこでも自分の方が『下』でいいから、と言ったのだろう。それをここでも明言し、祖父がそれを確認した、ということか。
とすれば自分の仕事は、おそらくホルストお祖父様の説得なのだろうな、と思いながら視線を戻すと、納得のいかない困り顔に同じ結論を浮かべたトリスタンがこっちを見ていた。
「来るのは一人ですか? それに、引き受けるなら教えて欲しいことがあるし、守って欲しいこともあるわ――」
受ける受けないの話し合いの終わりを促すエリザベスの言葉に王太子が頷いた。
「行くのは私だけだ。何でも訊いてくれ。条件も可能な限り呑む」
しばらく考えた後で、まずトリスタンが静かに口を開いた。
「条件もあるが、まず質問がある。モルドネシアは奴隷制を一部容認しているだろう。積極的に支持しているわけではないとのことだったが、それでも亜人の暮らしがひっ迫していると聞いた。それはなぜなのか、改善する予定はあるのか――それから、もし帰りたいと希望する人がいたなら帰らせることが可能かどうか教えて欲しい――それもできれば暮らしの保証付きで帰したい。希望があればだが」
引き受けた後の王太子当人の待遇のことを考えていたエリザベスは、その質問にはっとさせられた。
この国では亜人を奴隷とすることは認められていないし、あえて亜人を差別する人もいないと思う――けれど、隣国では亜人は有無を言わさず蔑みの対象となるし、それを理由に差別しようとする人間が絶対にいないかと言えば保証はできない。
なにしろシュヘル領はハリオネス王国ともリナリア王国とも接している。
そんな人がいるとは思いたくないけれど、奴隷取引は高額だと聞くし、捕まえて隣国に売ろうとするような輩が出る可能性だって――否定はできない。
差別の行動を取り締まる気持ちはもちろんあるけれど、そういうことがあった場合、この国に留まるよりも生まれ育った国に帰りたいと思う人だって出て来るかもしれない。
けれど、奴隷制を推奨しているハリオネス王国のさらに先にあるモルドネシアまでなんて、ただ解放されただけの亜人が無事にたどり着けるわけがない。
トリスタンは領主として、仮でも住民として登録された人たちのことをちゃんと考えているんだな――。
そういうのってなんだか頼もしい感じで、私の旦那様やっぱり素敵――じゃなくて。
私もちゃんとがんばらないと。
エリザベスがちょっと脱線した思考を戻しているうちに、トリスタンは更に言葉を続けた。
「受け入れる条件は、『シュヘル領で知り得た、その土地やそこに住む人たちについての知識や財産に当たる物をこの国の許可なく領外に持ち出さないこと』『何人であっても本人と領主の了承なしに領外に連れ出さないこと』『シュヘル家の人間が困るようなことをしないこと』の三つだ。全て呑んでもらう」
エリック王子の表情が少し明るくなって頷いた。
「それで構わない。亜人たちの帰国については国際政策部とのやり取りになるだろうが、そういうことならこちらとしてはぜひ引き取らせてもらいたいし。
その情報は今回解放された奴隷からのものだろう? だけど、実際のところモルドネシアの亜人の生活はひっ迫しているわけではないんだ」
疑うように眉を寄せたトリスタンに王太子は首を振って続ける。
「うちの国政はややこしくてね――だがそこなら秘密ではないし、きちんと説明できる。モルドネシアの国民のほぼ半数は亜人だ。そして人間と亜人の住む土地については、全国民に『通達済み』で五十年や百年なんていう単位で少しずつ入れ替えを行っているんだ。山の木々が生い茂ったところと若木を植林した場所を入れ替えるとか、洪水が起こった地区は視察の上で農地にしたり灌漑工事を行ったり――亜人は火を嫌うし、食料もその土地その場所にあるもので済ませることが多い。洪水のあった場所だって暫くの間避けるだけだ。だが、人は火を使うし、住まいにも木材がいるし、農地も――肥沃な方がいいからね。入れ替えることでバランスを保っているんだ。
だけど亜人の中でも山奥に住む種族や単独行動を好む種族にはそういった通達が伝わり難くてね。読み書きができない亜人もかなりいる。そういう人たちに対しては種族間の口伝に頼ることになるし、そうでなければ直接会って会話することで知らせることになるんだ。だが、そもそもそういう亜人は人を避けるし、中には動物にしか見えない亜人もいる――となれば人間の方も簡単に話しかけることはできない。
君たちだって山で熊に会ったら普通は話しかけたりしないだろう? そんなわけで最終的には人間側が犬を使って亜人を新しい土地に移らせたり、銃をちらつかせて移動させることになるんだ。君にその情報を伝えた人は、そうやって追われたんだろう。申し訳ないことをした」
そう言ってため息――。
レイラが追われた背景にはそういういきさつがあったらしい。確かにレイラ自身も群れを作らないと言っていた。
「つまりその辺りはなかなか大変でね。そういう人たちのところには身軽なカイルやロゼッタが飛び回り、走り回って伝えてくれているが、そもそもの国土が広くて――まあ、そんなわけであの二人はもう帰ったんだ」
肩をすくめて「私は相手を警戒させるから伝令には向かないし」と追加した。
「とにかく、戻りたい人がいるなら願ってもないことだし、君の条件がなければ問答無用で全員連れ帰りたいくらいだよ。大事な国民なんだ。それに私ができるだけ早く国に帰れるように協力してもらえると助かるんだが――無理のない範囲でかまわないから頼めないか?」
トリスタンの表情が少し柔らかくなった。




