159. もう一人
「……あの」
控え目な声に顔を上げると、手首にさっきのリボンを結んだサラさんが心配そうな顔で隣にたたずんでいた。
「何?」
一応聞いた。
正直今は誰かの相談とかに乗れる状態じゃないけど。
「探してるのは奥様、ですよね?」
「そう――」
「私、お役に立てるかも――飛んだり川に入ったりしていないなら、匂いを辿れるから――」
バッと音がしそうな勢いで顔を上げた。
「頼めるか!?」
「はい。最後にいたのはどこですか?」
「こっちだ――来てくれ。わかってるのは割り当てられた部屋のベッドに寝かせたところまでだ」
ウィリアムもリュカも一緒に走る。部屋に着くとサラはすんすん、と匂いを嗅いで、その場で艶々した毛並みの栗色の犬に変わった。
もう一度匂いを嗅いでベランダに向かう――。
「こっちです」
迷いなく進むその足取りが頼もしい。
そして向かった先は普通に城内の客室が連なっている階だった。
しかも身分の高い客人を迎えるための部屋の方向。さっき空だったモルドネシアの客人の部屋を通り過ぎ、さらにその先にある部屋へ。
その中にいるのは――ここまで近づけば気配も余裕でわかる。十一人。一番奥に二人、真ん中の部屋に四人、一番手前に八人――これは自国から連れてきたメイドや侍従か。壁際に立っているからわかる。
「サラさん、もういい――ありがとう――下がっていてくれ」
扉を蹴破りたいところだったけれど、ノックを二度――。
真ん中の部屋にいた気配が動いた。
「はい」
ドアが開いて覗いたのはあのサントスとかいう従者の顔だ。
「これは、シュヘル男爵――それにパートリッジ公爵家の――」
そのまま殴りつけたいところだったけれど、ぐっとこらえる。
「殿下に取次ぎを頼む――」
「はい――お待ちを――」
目の前で閉じようとしたドアを止めた。
「このまま。取次げないと言われたら壊してでも入る」
「何を無体な――?」
「エリック殿下でもいいぞ――」
「そのような――」
「いや、是が非でも取り次いでもらうぞ。王太子直々に足を運んだからには」
後ろからウィリアムの声が加勢し、また真ん中の部屋にいた気配が動いた。
トリスタンの背後にリュカだけでなくウィリアムもいることに気づいた従者の顔が引きつる。
「聞いてまいります」
「いや、その必要はないよ――どうぞ」
ハスキーで軟らかい声と一緒にドアが押され、室内が見えるようになった。
やはり八人は召使いだ。
「やあ、エリック殿下――こんなところにいるとは驚きだな。フェリペに用があるんだが、あいつはどこだい?」
中に入ったウィリアムが話し出す――トリスタンは王子様同士のそんな会話につきあうつもりはなかった。
ずかずかと進み奥の扉を開ける。
そこにいたのはあのミミズク――とさらに奥に通じるドアの手前にフェリペと称したベルナルド――とりあえず、こいつがこの部屋にいたことに心の中で息を吐いた。
だけど、その恰好はいただけない。
素肌の上にローブ。ナタリーにもらったやつみたいな薄手のローブの胸もとからは厚い胸板が見えている――なんか――くそ。俺だってあと三年もすれば――じゃなくて。
「――返してもらいます」
「おや、意外に冷静だね――不義密通の場に踏み込んだのかもしれないのに――」
ドアの前に陣取るように立つ相手を睨みつける。
さっきまでとは打って変わってのおふざけモード――つまり対外的なやつだ。
「そのつもりで自分から来たのならそうかもしれません。でもこれは違う――あなたが妻に何かしたのならそれは強姦だ――あなたはこの国の法に則って裁かれることになる。もちろん、誘拐の実行犯が他にいたとしても」
「公にするつもりかい? そんなことが広まったら君たちは――奥方のことは考えないのかな?」
「そちらこそ、言い逃れをするつもりは? 牢に繋がれた方がいい、と?」
「一国の王子をかい? 辺境の男爵家の妻を寝取ったくらいで、牢に繋がれることなどない――しかもその相手を妻として迎えようっていう――ぐっ!?」
突然言葉に詰まった相手に不審な目を向けると、後ろからウィリアムの声がした。
「向こうは全員捕縛した。君にもちょっと黙っていてもらうよ――煩いのは好きじゃないんだ。それにその話が本当なら、君が祖国の地を踏むことは二度とないし――日の光を仰ぐことも同じくないだろう。君たちがこの国の国賓であったのは大事な義姉を誘拐するまでのこと――そのくらいのことはわかっているだろう?」
「その通りだ。弟と義妹は確かに男爵領を治めているが――その後ろに誰がいるかは変わらない。さっきの亜人――エリーの魔力を使い切らせることで抵抗できなくしたのも全て計画のうちか? 許されると思うなよ」
ウィリアムとリュカがそれぞれ言った途端にどこからともなく現れた鎖が音もなく王子とミミズクに巻き付いた。詠唱も聞こえなかった――王族であるウィリアムの魔法だろう。
ベルナルドの顔色が変わる。
ミミズクの方は――まあ、顔色はわからないけれど。
「お互い、父親が出て来る前に終わるといいな」
ウィリアムの言葉にベルナルドが――ミミズクも――視線を送ったのは、ウィリアムたちの背後だった。
エリックや従者がいる部屋だ。
ウィリアムが小さく頷く。
「黒幕はそっちか――なら先にそっちから聞くか。リュカ、こいつらもそっちの部屋に――」
「ウィル。待て。どうせならもう一人も頼む――」
トリスタンは二人を連れて行くリュカと一緒に戻ろうとしたウィリアムを引き止めた。
「もう一人?」
問いかけに頷いた。
奥の部屋の気配は二人。動かない一人はエリザベス――たぶん眠ってる――だけど、ちょこまかと動き回っているのは――メイドなのか?
と、思っていたら動きが止まった。ドアの方に近づいて来る。
カチャリと小さな音を立ててノブが動き、ドアが開いた。
「ねえ、この人全然起きないわ。このままじゃ説得なんてできないし、連れて帰るつもりならさっさと――」
トリスタンとウィリアムしかいない部屋を見て、はっと息を飲んで立ち尽くしたのは、見覚えのない小柄な少女だった。
あっという間に鎖に搦めとられる。
トリスタンはほっと息を吐いた。
女の子――よかった。
それに、これで奥にいるのはエリザベスだけだ。
いきなり踏み込んで人質に取られたり傷つけられたりする心配はない。
「トリスタン、これで全部か?」
聞かれて頷いた。
「じゃ、始めようかな。トリスタン、お前はエリーのとこに――」
「いいや。真相がわかるまでは――この感じならリジーなら眠ってるだけだ――そうだよな?」
奥の部屋を覗きつつ、軽い威圧を込めながら確認したら、女の子はこくこくと頷いた。
抵抗する様子のない少女を見て、ウィリアムが小さく首を振り、リュカが二人を連れて行った扉に向かってこのうえなく柔らかい声をかける。
「リュカ、そっちは任せる――僕は先にこっちにするから――到着者名簿に名前がなくて招待した覚えもない人物が紛れ込んでいた。――そっちは死んだら送り返す必要があるだろうが、こいつならたとえ死体でも帰す必要はない」
向こうの部屋にいる者達に聞かせるための言葉と共に、少女に巻き付いた鎖が今度は大きな音を立てた――向こうの部屋でも。




