158. 誘拐
なんとなく、未来の義姉に首根っこを押さえられたような――嫌じゃないけど、なんかしまったな、って感じの――そんな気分で部屋の外に出た。
ふう。
自分もおそらく魔力量は半分以下だ。そう思いながらちらりと右手に目をやって――首を振って足を速めた。
指輪のことを考えるのは後で――シュヘル領に帰ってからでいい。
早く休んだ方がいいのはわかっていたけれど、言い訳じゃなくて本当に、ロイドの奥さんに持って行ってやりたい物があった。
エリザベスもきっとそうすると思う。
出がけにロイドとロランがくれた野の花を縛ってあったリボン。花の方は王都に来る途中で萎れてしまったけれど、リボンはちゃんととってあって、エリザベスがレティキュールとか呼んでいる小袋の中に入れてあったはずだ。
外套と一緒に預けてあった荷物を受け取って、中からリボンを出して厩に戻る。
途中でアリアンヌに会ったので、与えられた部屋の場所を説明して、サラがどこにいるかを聞いた。
祖父とリュカと父とユージーン、それにハリオネス王国の二人も一緒に一階の応接間の一つにいると教えてもらった。
「すぐ戻るから――ナタリーもいるけど、リジーを頼む」
それだけ言ってまた足を速める。
盗聴透視防止の魔術の効いた明るい応接間で見るサラは、さっきよりずっと落ち着いた表情をしていた。トリスタンを見てほっと息を吐き、頭を下げる。
ロランによく似たこげ茶色の耳は寝ておらず、ピンと立っている。体調は――大丈夫そうだ。
トリスタンが差し出したリボンを受け取ると、はっと表情が変わって泣きそうな顔になった。
たぶん、二人の匂いが残っていたんだと思う――犬系、だし。
そんなサラを見てベルナルド王子が表情を緩めた。
「輪は外しました。――これで、いいですね。彼女のことはこの国に残していってください」
ロイドが自由になったという証明はされたはずだ。
「ああもちろんだ。父にはどちらも死んだと報告する。あいつの輪が残っているようなら送ってもらえるか?」
「はい――おそらくあると思います」
トリスタンの返事に満足そうに頷いて、少し寂しそうに笑う。
「よろしく頼む――」
頼まれたのは輪を送ることではないだろう。
しっかりと頷き返すと、表情が安心したような笑みに変わった。
「ところで、聞いてはいたがこの国の白魔法使いの腕は素晴らしいな。美人の奥方はどうした?」
声の調子が明るくなった。
「休ませました。妻は加減が下手なので――自分もこれで失礼します」
礼を取る。長居は無用だ。
「待て――礼を――なんでも望みの物を――」
「いりません」
「そういうわけには――今すぐと言うわけにはいかないが、自分が即位した後であれば自国で爵位を授けることもできる――男爵位などとは言わない。伯爵位でも、いや侯爵位でも――」
申し出に首を横に振った。それは自分たちの望むものからは程遠い。
「自分たちの望みは穏やかな暮らしです」
「だが――」
なおも言いつのろうとする言葉を遮った。
「では、あなたが王位を継いだ暁にはこの国との恙なき友好を望みます」
「それはもちろんだが――君は――」
相手はそこで躊躇って、それでも続けた。
「君は、あの人が自分にふさわしいと本当に思っているのか?」
「殿下!!」
諫める従者の声。
祖父の表情には何の変化もないけれど、父と兄が息を飲んだ。
自分は、エリザベスにふさわしくない。周囲には、そう見えるのだろう。
だけど。
「誰にどう見えようと、妻には自分しかいません――自分にもです――非礼を承知で失礼させていただきます」
形ばかりの礼を取って今度こそ応接室を後にする――自分の方を見た父と兄の表情に誇りがあるのがわかった――おそらく自分のそれにも。
自分たちは、世の中という枠の外側にいるから。
エリザベスは自分の、かけがえのない一人だ。そして自分も。
足早に部屋に戻る――今は一秒でも早く、エリザベスを抱きしめて、その隣で眠りたい。
と思って入った部屋に、一人立ち尽くした。
誰もいない――!?
「リジー!?」
「ナタリア!?」
「アリー!?」
寝室には間違いなく寝ていた痕跡があるし、椅子にはエリザベスの着ていたドレスが広げてかけてある。その下には靴も並べてある――ただ、本人がいない。
どういうことだ!?
城内の人間の気配を探ろうとしたら眩暈がした――。人が多すぎるし、魔術のかかった部屋も多すぎる――自分の魔力量も――思っていたより減っているらしい。
「くっ……そ」
踵を返してさっきの応接室に戻る――力のままにドアを開けると、さっきのメンバーに加えて、ナタリアとアリアンヌが驚いたようにこっちを見た。
「ナタリー、アリー、リジーはどこだ?」
「え?」
「部屋に行ったら――誰もいなかった。リジーは?」
「え!? トリスタン、一緒にいたでしょう? 私たちに、『もういい』って――」
驚いた顔のままでナタリアが言って、アリアンヌも頷いた。
「俺が? いや、そんなこと言ってない――アリー?」
「私が見たのは寝室に入る尻尾だけ――よっぽど急いで帰って来たんだなって――まさか、あれ、お義兄様じゃ――」
一瞬、空気が止まった。
「馬鹿者が!! エリザベスから離れるなとあれだけ言ったのに――」
さっきは一言も話さなかった祖父の大音声に、弾かれたように皆が立ち上がった。
即座に父が唱えた呪文の声――それは何人も城内から出ることを禁ずる魔法――。祖父のそれは城ごと包み込む結界だ。リュカが飛ばしたのはトランザクション系の魔法。
「国王とウィルに知らせた――すぐにも城内の捜索が始まるけど――アリー?」
「はい」
「『尻尾』って言ったな?」
「はい」
「ナタリーも見たのか? トリスタン本人じゃなかったんだな?」
「そういうことだと思う――だけど黒豹なんて、トリスタンじゃなかったら誰が――」
「モルドネシアだ――」
トリスタンが呟きと共に駆け出すと、後ろからリュカが続いた音がした。
ひたすら走ってモルドネシア王国からの客人たちに与えられた部屋にたどり着くと、そこはすでに無人だった。駆け付けて合流したウィリアムの舌打ちの音。
「どういうことだ? 何でモルドネシアがエリーを?」
「おそらく首輪を外した時の呪いの解呪で何かに感づいたんだ――解放した奴隷たちにはジジイが『話すな』って言ってたけど、あのミミズク――エリック王子に話したんだろう」
とりあえず廊下を戻る。
ハリオネス王国の二人は、余計な騒ぎに巻き込まれないように『朝まで出て来ないように』と言われて、おとなしく割り当てられた部屋に帰ったそうだ。
――そもそもが王城。人や馬車の出入りは普段から厳しくチェックしている。
連れ出された形跡はないようだが、無駄に広い城内とその敷地が恨めしい。
今日はただでさえ婚約式のせいで人が多い――それに父と祖父の結界に加え、国王やウィリアムや――たくさんの人があれやこれやと魔術を展開させているせいで、いろいろ入り乱れてますます気配の感知も難しいし、走り回る人の気配で落ち着かない――そもそも自分の魔力量もいまいちだ。
ここがシュヘル領なら――またそう思った。気配感知で探せるし、魔力が底をつくなんてことはないはずなのに。
頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「くそ……」
そのまま髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしる。
『かけがえのない一人』だって思ったのはついさっきのことなのに。
なんて役立たずだ。




