157. 解放
ため息を吐いて隣を見ると、縋るような瞳が見上げていた。
わかってる。
『つがい』っていうのはつまり、ロイドの妻のことで、それはロランの母親が生きているってことだ。それを見捨てるなんて選択肢がエリザベスにないのは――よくわかってる。
エリザベスは理不尽な抑圧が嫌いで、まっすぐだ。奴隷なんていう生き方を押し付けられる世の中の仕組みを心から嫌っているのは口に出さなくてもわかる。
「その奴隷から輪を外せたら――彼女は『自由になれる』と言ったな? 本当か? それに『状態がよくない』とも。どういうことだ?」
ベルナルドの表情が苦いものに変わった。
「生きてはいるが、片手と両足の骨が砕けている」
エリザベスが息を飲んだ。
「あの輪がついている限り彼女は父の奴隷だ。輪が付いた状態で命を奪えば所有者に――父にバレる――治療もそうだ。今の彼女には最低限の、つまり命を繋ぐための治療しか許可されていない。そして手足の骨折は、そこには含まれない。
私の言う『自由になれる』というのは――輪が外れたらちゃんと治療してやれる、ということだけではない。治療が不可能な場合にはできるだけ早く『死なせてやれる』という意味でもあるんだ」
重々しいため息のあとでベルナルドが続ける。
「あいつの輪が機能しなくなったのを知った時、父はあいつが死んだと思った。腹いせに彼女をさらに痛めつけ、治療もせずに放置して――そこにこの国で解放された奴隷がいるという報告書が届いた。
それを見た時、父は笑った。あいつが生きてその解放された奴隷たちの中にいるのなら、彼女があいつをおびき寄せる材料になりうると考えたからだ。『あいつが死んでいるとわかれば女の方は殺してかまわない』『生きているとわかれば連れて帰れ。治癒魔法も使ってかまわん――おびき寄せる餌にしろ』それが私が受けた命令だ。
もちろんこの部屋を出たら、そんな命令など知らないととぼけさせてもらうし、必要であれば美人の奥方に夢中な振りもさせてもらう」
その一言にエリザベスがおもいきり顔を顰めた。
「すまないね――あなたはかなりの美女だし、私を追い出す理由としては一番適当だろう? 腹に据えかねたら王太子に訴えて追い返してくれてかまわないし、むしろそうしてくれるとありがたい。ついでにこの国の内情を探って来いとも言われているんだ。迷惑だろう? ――ああ、もちろん奥方がハリオネスの王妃になりたいなら、ついて来てくれても構わないよ?」
エリザベスが今度は見下したような半眼になった――せっかく美人なのに――いや、学院時代にはその見下したような顔にもファンがいたよな、確か。
「興味のない人に口説かれるのはまっぴらだしどこの王妃にもなりたくないわ。私は夫のことが好きだから一緒にいるの――シュヘル領も好き。絶対に他の人じゃ嫌よ」
「それは残念――だがそういうことなら仕方ないな」
わかりやすい拒絶の言葉にベルナルドが少しだけ笑った。
「さあ、私は正直に話した。どちらにせよ、彼女の方は時間の問題――だがあいつが解放され、元気でいるなら、たとえ一目でも会わせてやりたいと思うのは――傲慢だと思うか?」
再びの真剣な表情には、この部屋に移る前の軽々しい様子はまるでない。
今のこいつなら、王位継承者だと言われても信じられるだろう。そんなふうに思う。
だけど。要求には応えてやりたいけれど、あの輪を外すのがそれだけ難しいことなら、それができると証明するのは危険だ。
隣のエリザベスを見る。エリザベスの能力が知られて目をつけられたりしたら――。
「傲慢だとは思わないわ……だって――あなたがロイドの主人だったんでしょう? 呼び戻さないでくれた――ロイドは、主人が変わっていたことを知らなかったのね?」
え?
トリスタンは疑問で隣を見下ろしたけれど、微笑みと一緒に聞いたエリザベスの言葉にベルナルドは小さく苦笑した。
「私はいい歳をしていながら目の前で仔犬を殺されて母犬を撃たれたショックで口がきけなくなった腰抜けだ。そのせいで、どうしてもと言い張って自分のものにした奴隷を逃がしたんだよ」
――そういう理由で、ロイドはロランを連れて逃げることができたのか。
「……その人は、どこに?」
「厩に。さすがに人前には出せない。すぐに行けるか?」
ほんの少し緩んだベルナルドの表情にかぶりを振った。そんなに簡単なことではない。
たとえ目の前の王子が本当はいいやつだとしても、エリザベスの能力を目の当たりにした時にどういう行動をとるか――そこに保証はない。
「……ユージーン。アーノルド公を呼んでくれるか――パートリッジ公爵にも伝えてくれ。輪を外す。ただし方法は見せられないから結界を頼みたい。妻にも白魔法を使ってもらう。そう伝えてくれ」
王子は、ちょっと目を見張った。
「ああ、そういえば君もパートリッジ家の出だったな――公爵家の子息が一体なんで男爵家なんぞに――」
「単なる相続の結果です。シュヘル領を継いだ伯父に子どもがいなかったのでシュヘル領は継げる人間がいなかった――パートリッジの方はたくさんいますから」
淡々と答えた。
「そうか。人生はわからないものだな」そう言って王子が首を振る。「――だがそれにしたって、大公と現公爵を呼ぶとは――そんな大事にするようなことか? 確かにあの輪は特製だが、外してもらえさえすればそれ以上の追及はしないし――私がそれを望んでいることはわかっているのだろう?」
「念のため、です――それからユージーン、白魔法に関してだが――怪我がひどいようだから手伝いがいると思う。アリアンヌかナタリアを――」
「ああ、そっちもわかってるよ」
足早に出て行く年上の義弟を見送って席を立った。
本当は、こんなところで解呪なんてさせたくない。
けれどあの輪はおそらくそのままでは外せないのだろう。祖父も外す前に一度エリザベスに触らせていた。
もちろんパートリッジの父や祖父ならエリザベスの助けがなくても外せるだろう。だけどそれだとシュヘル領で外したことの証明にはならない――ロイドが本当に解放されたと信じてはもらえない。
エリザベスの能力を知られないように、祖父と父が厩を包むように透視盗聴防止の結界を張り、外にいるハリオネスの二人には絶対に覗けないようにしてもらって、エリザベスと中に入った。ユージーンに呼ばれてナタリアと(外で待機だけどリュカも来たし)アリアンヌも来てくれた――こちらは本当に白魔法を使うため――それにカモフラ―ジュのためだ。
厩の床に横たわったロイドの妻サラは、『状態がよくない』どころではなかった。
くだけた手足の骨、身体中に残る虐待の痕。目を開ける気力もないようで、あまりのことに駆け寄ったナタリアが語りかけても一切反応しなかった。どう見ても動かせるような状態ではない――こんな状態で国境を超える旅に連れてくるなんて。
戸口でおもわず振り向いて、王子の顔に浮かんだ表情に非難の言葉が引っ込んだ。
『死なせてやれる』
ベルナルドの口からそんな言葉が出た理由がわかる。死ぬことさえできない、そんな状態を強いる奴隷の輪――だからこそ、エリザベスの『解呪』が必要なのだと今さらながら気づかされた。
最初が首に嵌められた輪の解呪になる――それを終わらせないと治癒魔法を使ったことがハリオネスの国王にバレてしまう。ロイドの生存を疑わせることにもなる。
解呪の後は速やかに白魔法で傷を治療する。
問題はそこだ――奴隷の輪が効力を失った時、彼女の生命力がどれだけ残っているか――輪が効力を失うということは、『死ねる』状態になる、ということでもあるから。
たとえ彼女が死んでも、輪が外せればロイドが自由になった証明にはなるだろう。だけど、彼女が死んでしまったら、そこにどんな救いがあるだろう――。
奴隷の輪の解呪自体はさほど難しくはなかったように見えた。
だけど、ナタリアとアリアンヌの二人に白魔法を使ってもらっているのに、それでもエリザベスはサラの手に触れた途端に震えた――抱えるように包み込んだら、冷たいものが流れ込んできた。
「大丈夫。よくなるわ――ロイドとロランが待ってる――がんばって。会いたいでしょう?」
苦痛の表情なのに、エリザベスはサラの手のひらを押し戴くようにして優しく声をかける。
だけどその声は届いているのかどうか。
抜けて行く魔力の量がリュカの後でナタリアを呼び戻した時よりも多い――今の自分は、あれから随分成長して魔力も増えているのに、その減り具合に驚く。
「ね、がんばって――ロランに会いたいでしょう? あきらめないで。あなたは足手まといなんかじゃない。絶対よくなるから。一緒に遊べるようになるわ――元気いっぱいですごくかわいいのよ――『生きたい』って思って――受け取って、サラ。お願い」
その言葉でわかる。
この亜人の女性はもう『生きたい』とは思っていないのだ。『死にたい』と願っている――それで魔力が空回りするように抜けていくのか。ナタリアも気がついて、辛そうに眉をよせて女性を見つめ、エリザベスが掴んでいないもう一方の手を取った。アリアンヌがさらにその上から手を重ねる。
「ね、サラ――元気になってロイドに会って。――あの人、あなたを置き去りにしたことを、すごく後悔してる――だから、生きて。『会いたい』って、そう思って――あなたが直接言ってあげて――『逃げてくれてありがとう』って。『あなたがしたことは間違ってない』って」
エリザベスが語りかける。その声が震えているのがわかる。抱きしめた身体がさらに冷たくなる。
ここがシュヘル領なら。
祖父のようなわけにはいかなくとも、ダンジョンから引きだすことで自分が本来持てる以上の魔力をエリザベスに渡すことができるのに――。
自分の存在が、いつにもまして軽く感じられる。このまま抜かれ続けたら、どれだけ持つだろう――もしかして、その手を離させるべきなんじゃ――?
心に不安が芽生えた時、ナタリアの澄んだ声がトリスタンのその不安を割いて響いた。
「サラ、あなたの命は――あなたのためにあるんじゃないわ。子どもがいるんでしょう? その子のためにできることがあるなら、あなたは生きるべきよ。たとえ手足が動かなくても、そんなの問題じゃないわ。歌を歌ってあげられる。笑顔もあげられる。キスもしてあげられる――。
だれよりも強くその子の成長を喜んであげられるわ。だってあなたはお母さんだもの――あなたがいること、それが大切なのよ。
あなたが今やることは一つ――崖に取りつくように命にしがみついて、生きなさい!」
頬を張るような力強い言葉に、初めて女性の目が開いた。
驚いたように見開いた目は赤みがかったきれいな茶色――そこに、涙があふれる。
エリザベスがほっと息を吐いて、魔力の流れが穏やかになったのがわかった。
「ナタリー、ありがとう」
そう言ってもう一度息を吐く。
「いいのよ。エリーがやってくれたことだもの」
「お姉様のやつは次の日にも痕が残るような平手打ちつきって聞いたわよ? サラ、ナタリーが優しくてよかったわね」
小さく笑い合った三人の頭上で、トリスタンとユージーンもまた笑い合う。
エリザベスがまた息を吐いた。
「トリスタン、お願い」
「うん。――サラさん? 今からその輪を取るよ。もうちょっとだから我慢して――」
ホルスト祖父のようにあっさりとはいかなくても、あとはただの金属の輪だ。
熱で火傷をしたりしないように一度結界で覆ってから一部を融かし、冷やしてから結界を解く。
二か所で繰り返せば、手元には半円の金属の棒が二本、ひんやりと鈍く光った。
アリアンヌが女性を助け起こす。
「は~い? 気分はどう? 最悪の輪っかが取れた感想は?」
「……あの?」
「サラ、でいいかしら? 私はアリアンヌよ。こっちが姉のエリーでこっちは友人のナタリー。そっちが私の婚約者のユージーンと姉の夫のトリスタン――ここはナルシカ王国で、あなたは奴隷の輪から解放されたところ――なんとこの国最高の治癒魔法のおまけ付きで」
歌うような声。にっこり笑う。
「……え?」
アリアンヌは呆然としている相手に抑えた声でもう一度同じ内容を告げた。
「元気になったらあなたは姉夫婦と一緒に旦那さんとお子さんに会いに行く――そのために一つだけ。外にいるあの王子様にはここで起こったことを話さないで。なにも覚えていないってことにして欲しいの――強制はできないけど――お願い」
驚いた顔のままで周りを見回し、それでもゆっくり女性が頷く。
ナタリアも笑顔で頷いた。
「今日はパートリッジ家に泊ればいいわ――安心して。この国には亜人を差別する人はいないから。表にリュカがいるわ――私の婚約者。パートリッジ家の跡継ぎ。それにパートリッジのお祖父様とお義父様もいる。今も外で結界を張ってくれているのよ。怖い目に遭うことはないわ。絶対大丈夫よ」
困惑の表情だったサラがもう一度頷いた。
「あの……」
そう言って静かに手を伸ばしたのは、エリザベスの方だった。
「エリーとトリスタンもパートリッジ家に泊まってるわ。心配いらない――」
アリアンヌの言葉にユージーンが首を振った。
「今夜エリザベスがパートリッジ家に帰るのは無理でしょう。明日も早い時間に面会希望がありますし、城に部屋を用意してもらいますから――アリアンヌ、私たちも今日はここに残ることにしよう」
「なら、私も――」
女性が静かに言った。穏やかな表情だけれど、視線はエリザベスから動かない。
これはロランの時みたいに懐かれた、ってやつだろうか。同性だし大丈夫だとは思うけど。
「サラ、君のことは祖父たちの判断を待ってからじゃないとダメなんだ。俺にもリジーにもそういった権限はない。後で聞いてみるのは構わないけど、今のところは祖父といることにした方がいい。その方が安全だし」
不安そうな瞳にエリザベスが頷く。
「大丈夫よ。パートリッジのお祖父様は理不尽な人じゃない。怖がらなくていいわ」
声が震えてる――早く休ませないと。
厩から出て表で透視盗聴防止の結界を張っていた父と祖父に頭を下げる。王子と従者の対応はユージーンとアリアンヌに任せることにして、外した奴隷の輪だけを王子の手に渡した。
リュカがエリザベスを休ませるための場所を確保するために城内に急ぎ、ナタリアと一緒に静かにその後を追う。
厩から十分離れたところでエリザベスを抱え上げた――途端にエリザベスの意識が切れたのがわかった――よく頑張ったと思う。自分たちは、ここまでだ。
ナタリアと一緒に、用意してもらった部屋に入ってそっとベッドに寝かせる。
エリザベスのことを誇りに思うと同時に誰よりも愛しく思う。
『あなたに生きていて欲しい』ただその思いだけを相手に注いで包み込むことができる――エリザベスは自分みたいに、やめた方がいいんじゃないかなんて考えもしない。与えて、委ねて――その信頼に応えたい。
そっと頬を撫でると、擦り寄って来る――かわいい――まったく、本当に、無防備。
で、ええと――うん。
「あの、ナタリー? あとのこと、頼んでいいかな――俺、ちょっと――アーノルド公のとこに行って来るから」
じり、と後ずさるとナタリアに睨まれた。
「トリスタン? あなた――」
疑いの目で見られてそーっと視線を逸らす。
「いや、えっと、ちょっとサラに渡したい物が――もちろんリジーは俺がそれを脱がせたからって怒ったりしないと思う、けど。えっと、その、上手くできるかどうかは別、っていうか……ええっと、やっぱり、意識がないときにやるのは悪いかなって……あ、そういえば、結婚祝いのあれ、ありがとう――」
しどろもどろの説明に、ナタリアが首を振って息を吐いた。
一応、その、お互いそういうつもりではある――だけど、なんていうかやっぱり、ダメだと思うし。
「あなたたちってば、いつまで初々しいつもりなの? いいわ。やっておく。後でアリアンヌも様子を見に来るって言ってたし――いってらっしゃい。早めに戻ってきてね」
呆れ顔だけど、とりあえず解放してくれそう。
「――はい」
そそくさとその場を後にした。




