154. 祝賀会
ウィルベリー公爵家を訪ねて三日後、ウィリアムとキャサリンの婚約式が執り行われた。
トリスタンもエリザベスも、婚約式はもちろんそれに続く晩餐会にも参加することはない。呼ばれたのは『祝賀会』だけだ。皆が豪華な食事を終えた後のダンスと歓談の時間のみ。
もともと辺境の貧乏男爵家。呼ばれることさえ考えていなかった。たとえ呼ばれても辞退しただろうし。
そして、そんな状態なのにそこに参加しろってことは――。
『絶対に』気は抜けない、ってことだ。
エリザベスは静かに息をして、気合を入れた。
公爵家直々の招待状を送りつけられて立場上断れなかったとはいえ、あの父親のことだ。そんなことを知っている人がどれだけいるか。事情を知らない人たちに「場違い」で「礼儀知らず」で「恥知らず」で「厚顔」だと思われるのは目に見えている。
完璧に、けれどできるだけ目立たないように振る舞い、挨拶が済んだら失礼にならない時間まで静かに過ごし、そっと帰る。そして退場まではどんな些細なことでも失敗は許されない。
ある意味あの断罪イベントよりキツイ。
濃い青いドレスもシンプルなデザインだし、メイクもアクセサリーも控えめだ。
アクセサリーはトリスタンがくれた小粒の水色の石を加工したイヤリングとネックレス。それに結婚指輪に婚約用の指輪を重ね付けしたもののみ。髪も丁寧に編んでまとめただけで、リボンや宝石の付いたピンはなし。
今日の主役はウィリアムとキャサリンなのだから。
それでもトリスタンは眩しそうに微笑んで「きれいだね」って言ってくれた。
自分の方がずっとステキなのに。
「あなたも」
って、お決まりの言葉を返すのが精一杯。
金色の瞳はそれだけで宝石みたいだし、そんなふうに見られたら熱いトーストの上のバターみたいに溶けそう――うん。今夜は絶対失敗しない。
明日には領地に帰れるんだから、どんな陰口を耳にしようと気にしない。きちんと国賓をもてなして挨拶し、背筋を伸ばしたままでパートリッジ家に帰る。
よし。がんばるぞ。
~~~~~~
隣でぐっと拳を作ってる――今度は何をがんばるつもりかな。
今夜気合が必要なのは確かだけど、それはむしろ俺の方だと思う。
挨拶を終えて帰るまで、絶対にエリザベスの側を離れないこと。
だいたい、こんなところに呼ばれたこと自体が不本意だし、エリザベスを他の人間の前に出すのはもっと不本意なのだ。
あまり豪華ではないはずのドレスも控えめなアクセサリーも髪型も――本人の美人度が高過ぎで役立たずって、なんだよそれ。だ。
そう、ただでさえ人目を惹く美人なのだ。これまではウィリアムがいたし、身分も高かったからおいそれと近づいてくるようなやつはいなかった。
だけど今のエリザベスは――元公爵家の娘で、元公爵家の息子だった現男爵家領主の妻だ。トリスタンより身分の高い男は履いて捨てるほどいるし、汚名のこともあるし、人妻ってだけで気軽に声をかけてくるようなやつらだっているだろう。
会場に入りもしないうちから腹が立つ。
っていうか、なんで既婚者用のドレスって――ホントに胸もとが開きすぎなんだよ。
エリザベスもそこは気になったのか、馬車を降りた途端に胸もとの布地をささっと引っぱり上げていた――のは、なんか、うん。
それって、俺と二人の時はそのままでもいいってこと――じゃなくて、今はそんなことを考えている場合ではない。
祝賀会だけに呼ばれた人たちの列に連なってゆっくりと進む。
自分たちの名前が呼ばれた途端に、広間が一瞬静まったのは――そのあとで広がる囁き声も――まあ仕方ないよな。
俺たちに疚しいところがないのは、俺たちが知ってるから。
そんな気持ちで軽く手を引くと、さすがの元公爵家令嬢――エリザベスは薄く笑みを浮かべて広間に礼を取ってから、すい、と歩きだした。
かっこいいとさえ思う。
自分も負けてはいられない。さすがの元公爵家子息でいないと――二学年近い飛び級で学院を出た秀才で、魔力は王太子にも負けないって話は――ちょっと盛ってあるけれど嘘ではない。
まずはここに呼んでくれた礼をウィルベリー公爵に――そしてそのまま王太子とキャサリンにお祝いの流れが普通だけど、あの人はどういうつもりか同年代の伯爵と歓談中でこっちを見ようともしない。――まあ、わざとなのだろう。
それならそれで構わない。
トップが忙しいならナンバーツーが常識だ。幸い今ならユージーンの側にはアリアンヌもいるし。
まっすぐにユージーンのところに向かうと、その頬に心得たような苦笑が浮かんだ。
踵を合わせて礼を取る。
「本日はこのようなお祝いの会にウィルベリー公爵自らご招待いただきましたこと、妻共々心より感謝いたしております。公爵はなにやらお忙しいご様子ですので、次期公爵殿にお声がけさせていただきました――そちらも婚約が済んだとのこと、心よりお祝いを述べさせていただきます。
今回のことも心優しい次期王妃の寛大なとりなしがあったのでしょう――とはいえ、私どもは自らがこのような場にふさわしい身と思いあがってはおりません――祝辞が許されるようでしたら一言お祝いを申し上げるにとどめ、退出させていただきたく存じますが」
遜りつつ希望を伝えると、ユージーンは目上の者の鷹揚さを纏って頷いた。
「シュヘル男爵――長の旅程をよく来てくれた――だが一言、とはいかなくてな――もちろん祝いの言葉は嬉しい。アリアンヌもキャサリン嬢も久し振りに姉上の顔が見られて喜ぶだろうが、呼びつけたのはこちらに用があってのこと、公爵を呼んでくるからこのまま待つように」
そのままアリアンヌを残してウィルベリー公爵のところに向かう。まったく、余計な手間をかけさせる――。
「お姉様! やっとお会い出来た――もう、お父様ったら全くわからずやで、パートリッジ家を訪ねることも許してくれないんですもの――家督なんてはやくユージーンに譲って隠居すればいいのに――」
アリアンヌの方は何を取り繕うつもりもないらしい。小声の文句にエリザベスが微かに苦笑。
「ウィルたちの結婚式の後まではどっちにしろ無理――簡単には会えないわよ。ところで、私たちが呼ばれた理由、聞いてる?」
「聞いてないけど、絶対あれよ――来るはずのない人たちが来てるもの」
「誰?」
「ハリオネスとモルドネシアの王室関係――」
「両方来てるの?」
アリアンヌはますます声を低くした。
「片方は身分を偽ってるわよ――片方は人種を偽ってるけど。何にせよ、嘘つき。お義兄様もお姉様も気をつけてね」
「ありがと、アリー。――だけどお礼に来たって聞いたのに気をつけるの?」
「ありがとうだけがお礼じゃないわ」
まあ、そうだろう――。
もう少し近くにエリザベスを引き寄せたとき、冷たい声が聞こえた。
「来たようだな――」
って、呼んだのは自分のくせに。
「お前たちが挨拶できるようになるはもっと後だ――皆より先に次代の王とその妃に言葉をかける栄誉が与えられるとは思っておるまい」
わざと辺りに聞こえるように調整した大きさの声。
今さら自分は悪意付きのそんな台詞を気にするつもりなどないけれど。
ウィリアム達への挨拶の列は、既に子爵家が終わりそうだ。通常であれば男爵位の中ではトップに挨拶をすることになるトリスタンたちを待たせておく理由はない。誰が先、と正しく決まっているわけではないが、トリスタンもエリザベスもどちらも公爵家出身なのだ。
醜聞のことさえなければ――と言う意味なのだろう。
自分たちに向けられる視線が好意的ではないことくらい、ここに来る前からわかっていたし、着いてからは実感している。
ただし、エリザベスにとっては実父となっているこの男が、率先してそれを注いでくるばかりか、貶めようとしてくることは――予測できても腹が立つ。
今後正式な手順で結婚の許可を願い出たとして、この男はトリスタンに許しを与えるだろうか。それとも身分だけを見て、男爵家だからとあっさり許すだろうか――いずれにせよ、やはり不快だ。許可のことは忘れてしまおうか。
心情を表面に表さずにいるのは、それがこの場での最大の攻撃であり防御だからだ。
「シュヘル(・・・)男爵には、爵位を継承した祝いの言葉もかけていない、と国王陛下も王太子殿下もおっしゃっていました――お待たせするのは今後の私た(・)ち(・)のためにもあまりよろしくない。私がお連れしましょう」
シュヘル男爵領にあるモノと、今後の公爵家にはそれが必要であること――はっきりとそこを匂わせるユージーンの言葉に、現公爵が口を閉じた。
エリザベスの醜聞を周囲に思い出させるだけで満足したのか、現公爵自らが王太子たちのところへ導く必要がなくなったことで気をよくしたのか、ウィルベリー公爵は「そうか」と一言言うと背を向け――「アリアンヌ。オリヴィアが探していた、行ってやれ」と、エリザベスから妹を引き離す言葉を追加した。
「あら、私アーノルドお祖父様に呼ばれていますの。お義母様のところにには行けませんわ。お義兄様お姉様、また後で――」
さっさと踵を返す娘を公爵はじろりと睨んだけれど、アリアンヌは全く気にしない様子で父親に背を向けた。
ユージーンの先導でウィリアム達のところに向かう列に加わると、ユージーンは表情を変えないままで「自分たちの結婚後には代替わりするから――すまないね」と小声で言った。
トリスタンも小声で返す。
「いえ――こちらこそありがとうございます。できるだけ長居はしたくないので――挨拶が必要なのはどちらの国の人ですか――?」
「両方だ。ハリオネスもモルドネシアも自国の奴隷を解放してくれたことと、密猟者――人相手に『猟』だなんて言葉を使いたくはないのだけれど――を捕縛したことに対する感謝を伝えたい、と言っている。どちらも腹に抱えたものがありそうだ、とアリアンヌが――気をつけて」
「感謝だけ受けて出るわけには?」
「できるなら構わないしそうして欲しいが、たぶん無理だ」
短くなっていく列に逆らわず進む。
ウィリアムとキャサリンは国王夫妻の隣に立っていた。キャサリンの方はエリザベスを見てにっこり笑う。エリザベスも正面からだけわかる小さな笑みを返した。
――キャサリンだって基本はいい子なんだよな――一生懸命だし。
ただし、仲良くできるようになるのはまだまだ先――あの公爵がいる以上はそんな日が来るのかどうかも謎だ。周りからの目も冷たい。
自分たちの番になって、挨拶をする。微笑みのかけらさえないやり取り――トリスタンが婚約の祝いの言葉を述べ、お返しの言葉と叙爵の祝いの言葉を貰う。
どちらも短く、一切の感情を交えない。
「息災か」
「はい」
完璧なカーテシーを披露するエリザベスとゆっくりと頷くウィリアム。
余分にかけられた言葉はそれだけだけれど、そこに精一杯の思いやりが込められていることは、自分たちだけが知っている。
「行こう」
エリザベスと一緒に王太子たちの前を離れ、あまり人の多くない、目立たない方へと進む。
エリザベスへ向けられる好色な視線はすべて無視だ。
二つの国賓の礼を受ければ、あとは帰るだけ。
ユージーンが引き合わせてくれるだろう――。
どうにか広間を抜け、隣の部屋へ足を踏み入れたときだった。
「この国の貴族の目は節穴なのかい?」
無遠慮な声と共に進行方向を塞いだ男がいた。




