151. 再び王都へ(ウーリッヒ その1)
「じゃあ、とりあえず行って来るけど――何かあったらすぐに知らせてね。できるだけ早く帰って来るから――。お祖父様、ギルドとダンジョンのこと、お願いします。くれぐれも無理しないで――深いところには行かないでくださいね。ナイジェルもよ――リディア、ロランたちのことお願いね。レイラ、ロイドに狩りのことを教えてね――猫科と犬科でやり方が違うっていうのはわかるし、ゆっくりでいいから――マリー、雇用のこと、お祖父様と話して来るから。それに帰ったら絶対引っ張り出して、どういうつもりなのかきっちり聞きだして――」
「リジー、ほら、もう行くから――ウーリッヒ、頼むよ」
言葉の止まらない奥さんの声を遮る年下上司の声で手綱を振れば、幌を畳んだ馬車が走り出す。
「自分たちと一緒だと道中に魔獣が出ないから」そう言われた時は驚いたし半信半疑だったけれど、実際そうだった。どうなっているのかはわからないけれど。
護衛もナシだ。「人数が少ない方が軽いし、馬も楽だろ――盗賊の危険性はあるけど、『感知』で人間の居場所はだいたいわかるし、実際に襲われるようなことがあったとしても俺たちは黒魔法が使えるから、困ったことになるのは襲った方だし」そう言われた。
いつだったか、テオに「細いと思ってなめてかかると後が怖いぞ」と言われたことを思い出した。一時期流れた噂、「奥さんが攻撃魔法を使うと酒場が全壊するらしい」ってやつも――そっちは嘘だと思うけど。
そんな感じで身軽に出発すれば、変装つきのみすぼらしい旅装だったこともあり、つつがなく――通常よりはるかに短い旅程で進むことができて――一週間後には王都の外れにある宿屋に馬車を止めることができた。
馬も一緒に一週間ほど預かって欲しいと頼んで、滞在が伸びた時のために前払いで多めに払う。
今回の御者役を勝ち取ったウーリッヒは、わくわくしていた――なぜなら行先が王都だから――ボスたちが用事を済ませる間に、マリッサにお土産をゲットする時間を見つけられるだろう。田舎では見つからないような、そう、特別な記念になるようなやつとか。
時間が余れば、流行りの魔術具などを見る機会だってあるかもしれない。
なかなか行く機会のない都会への旅だというのに、出て来るときのシュヘルの大旦那さんは「楽しんで来い」とも言わずに渋い顔だった。
まあ、せっかく居ついた感じの若夫婦に都会への里心なんぞが芽生えては困る、っていうのはわかる。わからないのは、ボスと奥さんも同じような――まったく気乗りのしない顔をしていることだ。
この二人はこの春までこっちにいたんだし、いい家の出身なのだから都会に慣れているのだろう――田舎の方が物珍しく楽しいのかもしれない。
そんなことを思う。
それでもやっぱり都会が近付けば少しは明るい気分になるだろう――そう考えていたのだけれど、王都が近づいても二人の表情が晴れることはなかった。奥さんの方は道中も何度も振り向いていたし、時には小さくため息も――さらには「一週間の我慢」って呟きまで。
本当にシュヘル領の方がいいと思っているのがわかる。
だけどボスがそんな奥さんを見て、何とも複雑な顔をする理由はわからない。すごく喜んでいるような、それでいてなんとも辛そうな顔。
わからない、って俺の顔を見て、ボスは部屋に着替えに行く前にちょっとだけ説明してくれた。
「どっちも公爵家の出身とはいえ、俺は既に男爵家を継いでる。だから身分的には低層だし、リジーも噂が否定されていないから今は立場がすごく弱いんだよ。ウーリッヒもいろいろ聞くと思うけど、噂に踊らされないように十分気をつけてくれ。真実を知らない人の方が多いから。
それから、俺のことやリジーのこと、住民ギルドのことは――聞かれても一切話すなよ。ギルドのことはあくまでも試験段階だし、税金が上がりそうだってことを聞いて慌てて対策しようとしてる、くらいに思わせておきたいんだ。ダンジョンのことも、聞かれても入ったことがないからわからない、って言っといて――余計な目を引きたくないから。ただでさえ冒険者が増えてるところに亜人が来たんだ――これ以上領地に人を増やしたくない」
ひどく困った顔。
身分ってのは面倒でやっかいだよな――領主の立場も。そう思いながら頷いた。上には上の苦労があるってことだ。
「それからもう一つ――」
言いにくそうな顔。
「なんだよ?」
「俺もリジーも、領地にいる時のようには振る舞えないから、ウーリッヒも――」
つまり、なんだ?
「だから、俺たちとは一緒に食事とか、そういうのはできなくなるから――」
「ああ、なるほど――」
身分が違うから、か。
「パートリッジの家令にはちゃんと言ってあるし――中にはちょっとうるさいやつとか失礼なのもいるだろうけど――こっちにいる間だけのことだと思って我慢してくれ」
すっかり見慣れた申し訳なさそうな顔に、そういえばこいつがシュヘル領に来ると初めて聞かされた時は、どう接したらいいのかとかなり戸惑ったことを思い出した。
なにせ若くても『領主』なのだから。
身分をかさに着て偉そうになんでも命令するような嫌な若造かもしれない。
それに、なんだかんだ言ってもあの(・・)大旦那さんの孫だ。恐ろしい能力があるのかもしれない。
住民ギルドとやらに出向することが決まった時も、正直関わりたくないっていうのが本音で――そう言って断れないのが辛いところだった。
大旦那さんは高齢だし、当然跡取りは必要だ。血族限定相続の土地である以上、やって来るのがどんな奴でも機嫌を損ねて出て行かれるわけにはいかない。『万が一でもそんなことになったら原因を作ったやつをダンジョンに引きずり込んで魔物の餌にする、息子に関することもだが、余計なことは一言も話すな』って大旦那さんは明言していた。
本人に会ってみてから思ったことはまた別だった。
細くて、腕っぷしも弱そうで――そのくせ女に持てそうな顔。
辺境の領主なんて任せられないんじゃないか、あっという間に嫌になって逃げだそうとするんじゃないか――田舎の領地にはいろんな憶測が飛び交った。
しかも、なんと若くて超かわいい嫁ちゃん付きだった。
絶対に勾引かされたんだ、顔で釣って無理矢理連れてきたんだろうって噂も散々に飛び交った。
ちなみに嫁ちゃんが一体何日で逃げ出すかひそかに賭けていたやつらは、大旦那さんに賭け金を全部巻き上げられた。
実際には――どちらも逃げ出したりしなかった。あんな辺境での暮らしなのに文句もないようだし、いつも楽しそうに過ごしている――のはなぜなのか、そこは不明だが。
あの二人は好きあっていて、お互いをとても大切にしているし、周りからは美男美女で釣り合いが取れたいい夫婦だと言われている。
まったく、人生における差別ときたら……それは、まあ横に置いて。
今はすっかり慣れて、領主というよりは職場の上司というかむしろ後輩のような気もする同僚――仲間だ。職場では意欲的に領地経営の改善に取り組んでいるし、ほぼ隠居状態で家とダンジョンとの往復くらいしかしていない大旦那さんよりもずっと身近な存在になった。
身分だけを理由に偉ぶったり前に出たりもしない――それが必要なとき以外は。
つまり、いいヤツなんだ。
きっといい『領主』になるだろう。
だからこいつのためにちょっと嫌な思いをするくらい、なんでもない。
自分で立候補してついて来たんだし、マリッサへの土産も――間違いなく買えるだろう――そういう配慮をしてくれるやつだから。
「いいっすよ。そもそも俺は運送ギルドから出向中の御者だ。雇われ人だって思ってりゃいいんすよね」
とりあえず自分も、馴れ馴れしくせずに、敬語を使って話せばいいのだろう――下手でも下手なりに。
「ああ、頼むよ――それに名前で呼ぶと不敬になると思う。『ボス』もマズい」
頼むも何も、本来領主なのだから、こいつにはそれを求める権利があるのだが。
「旦那様と奥様あたりでいいっすか?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
ほっとしたように言う。――まったく、腰の低い上司だ。遜るくらいなんでもないのに。
だが、まだまだ認識が甘いということを、俺はわかっていなかった。
公爵家の紋章の着いた馬車が宿屋の前に停まり、荷物の入ったトランクを積み替える――俺に対する御者の態度。視線。はっきり言って最悪だ。かなり見下している。
ボスに対するときは、まあ、普通――と言えなくもないが、淡々としていて冷たい。
俺に対しては完全に格下扱い。
他領に配達に行くと、そういうことがたまに――いや、しょっちゅうある。
シュヘル家は男爵位だけれど、平民を見下さない――というか、大旦那さんは誰であろうが(・・・・・)獲物を見るような目で見るからそういった枠組みには当てはまらない。
ボスの方は相手が誰であってもそいつの『人となり』を見ている――ような気がする。性格とか、気質とか。だからやっぱり当てはまらない。
だけど伯爵家や侯爵家だけでなく、その下の子爵家でも、身分を基準に人を見る人間は多い。それを基準にして態度を変える人間のほうがはるかに多いのだ。
もちろん国に五家しかない公爵家なんぞという所には出入りしたことはないが、そこでは当然そうなのだろうと思う。
御者の態度が明確に物語っている。
同じ平民だろうに、仕えている家の『身分』ってやつが違うだけで使用人まで偉いのか?
荷物の積み替えを手伝おうともしない御者を見ながらそう思う。そのあたりは正しくは謎だが、公爵家に仕える平民と男爵家に雇われた平民だと、公爵家に仕える平民の方が偉いのだろうか――腕っぷしなら自分の方がはるかに優っていると思うし、給料だって――その辺りはわからないが、そんなに悪くないと思う。
それにさっきのボスに対する冷たい表情――公爵家に仕える平民が、男爵家当主より偉いなんてことはないと思うけれど――それに、この馬車を差し向けたのはボスの『実家』のはずだ。既に家を出たとはいえボスは当主の息子。身分の高いやつらの無表情はよく見るが、もっと何とかならないのかと思う。
首を振り振り荷物を積み替えてから、ボスが渡してくれた衣服に着替えた。布地が上等だ。
どうやら自分の仕事着では公爵家には入ることはおろか、馬車の後ろに乗せておくことさえできないらしいと気づいた。――ただの荷物の配達屋として雇われたわけではない、というのはなんとも面倒な話だ。
ボスたちも宿屋で部屋を借りて一度着替えて下りてきた。領地では見たことのない、飾りの付いた衣服を身に着けたボスは、完全にいいところの坊ちゃんに見えた――自分がこれまで見ていたのは、シュヘル領で身についた乱雑さだったのだろうか。少し笑える。
帰ったらもうちょっと揉んでやった方がいいかもしれない。
そんなことを考えていたら、そのボスの後ろから奥さんが下りてきて笑いが引っ込んだ。
――ウエスト、細っ! って、思わず凝視してしまっただけじゃない。
こちらも見たことのないドレス姿で、簡素な形ではあるもののきちんと結い上げた銀に近い金の髪の毛と澄んだ瞳は――この人がどれだけ美人なのかってことを今さらながら思い知らされた感じだ。
物憂げな表情に視線を奪われない男はきっとここにはいないと思う。
ボスがエスコートしているその左手――いつもなら女が階段を降りる程度のことになんでそんなことが必要なんだよ、と思うのだがこれは――それがふさわしい人だと思う。
自分の前では横柄といってもいい態度でふんぞり返っていた御者がぱっと姿勢をただし、慇懃な態度で馬車の扉を開けた。
当然のように奥さんが乗り込んで、ボスが続く。奥さんが身に着けていたのは裾の長いドレスで、ものすごく動きにくそうだというのに、裾を踏むことなどもちろんなく、姿勢も揺らぎもしなかった。
こういう人を、生粋のお姫様っていうんじゃないだろうか――そんな考えが頭をよぎる。シュヘル領でのエプロン姿で仔犬を追いかけていた時の奥さんとはまるで別人で、『お姫様』に対する否定の言葉は欠片も浮かばない。
扉が閉まる前にボスが御者に一言告げた。
「ジャスパー。滞在中はウーリッヒをマクサと同じ扱いにすると、父上とアーノルド公に許可を得ていることは聞いているな?」
疑問形ではあったけれど、質問ではない。命令文だ。
ボスがそんな調子で話すのを聞いたのは初めてだった。
感情のない声と『父上』という聞き覚えのない言葉にぎょっとした。
大旦那さんを『妖怪ジジイ』呼びして笑っていたのは、同じ人間だろうか。
「はい。承っております」
御者が礼と共にかっちりした答えを返す。返答にためらいもない。
「ならいい」
俺の方を見る――その目にはいつものような柔らかい感情がなかった。楽しそうな輝きも。身分の高い者に特有の、道具を見る時のような目。そこにほんのわずかに心配の気配が混ざった。
「……困ったことがあったら何でもマクサに言うといい」
マクサというのは馬丁頭だと聞いていた。王都内の交通状況をよく見て――馬が御せるようなら自分たちが出かける時の御者を頼むけれど、無理はしなくていい、とも言われている。
黙って頭を下げた。
扉が閉まり、窓に布が降ろされる――二人は外を見るつもりはないらしい。
馬車の後ろには幅広のステップが取り付けてあって立ったまま乗れる。簡易座席を引き下ろせば狭いながらも腰掛けることもできるようになっていた。補助の御者や使用人を一緒に運ぶ時のためのものだ。その手摺までが金色――だということに気づいた。
ステップに立って往来を眺めながら進む。進むうちにだんだんと道が込み合ってきたけれど、そこはさすがに公爵家の馬車――道を譲らない相手がいない。当然罵声や怒声が飛んでくることなどない。
かなり立派な紋章付きの伯爵家の馬車も、けして邪魔しないように道を譲る――改めて車中にいるボスの実家の威力を感じ――それと同時に今のボスが演じている『公爵家』の息子と自分がこれまで見ていた『男爵家』の領主の違いを感じさせられた。




