148. イベント
そんなこんなで九月も半ば過ぎ、亜人騒ぎで二週間遅れになった住民ギルド主催の初イベント、マス釣り大会が開催された。
抜けるような秋の青空で、エリザベスは起きるなり歓声をあげた。
「よっしゃ~! バッチリ!」
天気だけはどうしようもないから、素直に嬉しい。
この日のダンジョンはほぼ閉鎖――治療院も薬局も休みで、ハンナさんとワルターさんの白魔法使い夫妻も参加しているため、すべてが自己責任とされた。例外が一階層の温泉で、そこはマリーが受付をしてくれている。
マリーがダンジョン内で過ごす時間は日に日に増えていて、シュヘル邸にいる時間より長いくらいだ。温泉施設内にちょっとした個室も用意して、そこで寝起きもできるようにしてあるらしい。
働き過ぎではないかと聞いたら「お嬢様、私温泉が気に入りましたの。是非ダンジョンに入れないような人たち――トリスタン様や住民の皆様にも楽しんでいただけるようにしたいのです。きちんとしたお仕事がないのは困りますし」と、返された。
マリーの『仕事がない』っていうのはつまり――でも、そこは今のところどうしようも……ない。
会場準備で住民ギルドの職員たちと一緒に屋根だけがある大きめのテントを張っているトリスタンを見やる――とても楽しそうで、笑顔を見るとふやけそう――なのにエリザベスの口から出るのは、心配とちょっと残念な気持ちが交じり合ったため息だ。
「ジジイとの話も途中だったし、この指輪のことも聞きたい――ダンジョンとこの土地を受け継ぐのは俺たちの子どもになるわけだし」
あの日の翌日、そう言ってまた出て行ったトリスタンは結局、伯父が行方不明であることは聞かされたようだけれど、今の『魔王』としてダンジョン内にいるのだという所は聞いてこなかった。
指輪のことについてもはっきりした説明をされることはなかったようで、困惑顔で『本当に指輪が緩んだのか』と確かめられた後で、『何があっても外すな。外せそうでもダメだ。暴走した魔力に取って食われる可能性がある。確かにあれはちゃんとした封魔の指輪ではないが、間違いなくお前の命を守っとるんじゃ』ときつく言われたらしい。
不本意そうに首を振りながらホルストとの会話を話してくれたトリスタンは、「一つずつクリアしていくしかないな――ま、先に俺の忍耐力が切れるかもしれないけど」なんてまたちょっとドキッとさせることを言って、もう一度「俺の、だからね」と一言追加した。
ホルストは更にその翌日、トリスタンが仕事に行った後で訪ねてきた。
『トリスタンが指輪を抜こうとしたときのことを聞きたい』と言って。
――指輪の仕組みはホルスト自身もよくわかっていないのだそうで、首を振りつつ『普通はそう簡単には抜けんはずなんじゃが――』と言葉を濁した。
そして、『何があっても抜かせるな』と強く頼まれたのは同じで――その理由は半分はわかる――と思う。
ここに来た翌日、呪いの解呪について頼まれたときに『聞きたいことはないか』と言われたエリザベスは『トリスタンは本当に魔王になるのか』と聞いた。指輪の話題が出たのは、あのときだったはずだ。
トリスタンが下りてきたから会話は中途半端になったけれど、ホルストは確か、『普段はこの指輪が……』と言いかけた。それに質問の答えは『指輪が嵌っている以上素地はある』だった。
テーブルを用意して椅子を運んでいるトリスタンを見やる――ギルドの人たちと何か喋って、楽しそうに笑っている。
トリスタンはあの指輪を外そうとしたとき、『強くなれる』と言った。
だからそれが、この地では最強の――つまり魔王に繋がる鍵、なんだと思う。
だけどエリザベスが感じたのは――ダンジョンでトリスタンの伯父ルークに会った時のようなものではなかったし――あれは、なんだったと言えばいいだろう。
トリスタンが魔王になりかけた、というよりは――。
咄嗟に止めたのは、そう。トリスタンがいなくなってしまうような、そんな気がしたからだ。
でもそれはおかしい。魔王になったからっていなくなるわけじゃない。お祖父様も、ルーク伯父様だってここにいるんだし、呪いを解くことができるエリザベスだっている。
だけど――トリスタンがホルストから詳しく聞いていない上にその辺がはっきりしないってことは、やっぱり当面はお預け、ってことで、マリーのお仕事が確定する予定は立たないってことだ。
しかたない……マリーが当面の仕事場をダンジョン内にしたいなら、それはそれでいいと思う。助かるのは確かだし。
今日の住民ギルドの職員は、新人の二名も一緒に全員休日出勤扱いらしい。朝から川の岸辺でバーベキューの準備。
みんなの足取りが軽くて笑顔が多い。これが初めての『楽しむことだけが目的』のイベントだからだと聞いた。
テントも川の近くに設営してあって、秤も設置してある。
釣った魚は長さではなく重さで優劣を計ることになったからだ。
大会には時間制限があって、十時から十四時までの四時間。一番重い魚を釣り上げた人への賞品はダンジョン産の鶏(肉用)十羽になった。二番が五羽、三番は卵三十個だ。
賞品は二ギルド兼任の職員であるテオがあの戻って来た冒険者の男性、モーガンさんと一緒に潜って、変わったダンジョンの内容説明をしながら獲ってきてくれたそう。
当然だと思うけれど彼はものすごく驚いていたらしい。一階層の温泉施設に小躍りし、二階層の家畜小屋に目を丸くし、三階層に有志が建設中の『海の家』を見たときには絶句――言葉もなかったそうだ。
夫婦はとりあえず冒険者用の集合住宅にいるけれど、一軒家を探しているところだと聞いた。小柄でよく笑う奥さんのカロリーナさんは、エリザベスに会うなり「冒険者用の宿泊施設や食事処でお手伝い出来ます。よろしくお願いします」と、明るく言ってくれた。
今日も名簿と照らし合わせて参加賞を渡す係を買って出てくれていて、人好きのする笑顔がぴったりだと思う。大歓迎だ。
そういえば、馬車の護衛をしてくれたあの男性も「経営者が決まったら連絡してくれれば、従業員になって定住したい」と言って連絡先を置いていったそうだから、これで建物ができれば呼ぶことができる――なかなかいい感じになってきた。
今回のマス釣り大会の参加者は約三十名――住民ギルドの職員とエリザベスは主催者側だし、当日もやることがそれなりにありそうだったので参加者数からは抜けている。それを考えれば、初めてのイベントにしては集まった方だと思う。
ちなみに参加賞は温泉卵とエリザベスとリディアお手製のパンプキンパイとアップルパイが一切れずつだ。自由参加のバーベキューは、これもテオたちがダンジョンで獲って来た材料とシュヘル邸の畑や近隣住民の差し入れの野菜もたっぷりで、材料費がほとんどかかっていない。
タレはもちろん友人たちが大喜びしていたあれがメイン。
二階層の瓢箪から取れるあんこでお汁粉も作ったし、果汁シロップのジュースも持ち出した。
レシピを書いた紙も置こうとしたのだが、それはラグドルに止められた。「将来的にお店で扱える可能性のある物は簡単に外に出さないように」とアドバイスされて反省。
住民は釣り大会に参加しなていなくてもバーベキューには参加できるし、お汁粉もジュースもお茶も用意してあるだけは無料。残念ながら参加賞以外のパイだけは有料――あまりたくさんは準備できないからだ。
ギルド職員による前宣伝の効果もあり、十時よりずいぶん前の準備時間だというのに既に住民たちが集まり始めている。
自分たちで考えたイベントに集まってくれる人がいるのは嬉しい。
テント前に並び始めた人たちに、エプロン姿のエリザベスとリディアが小ぶりな木の器によそったお汁粉を渡していく。果汁のジュースは住民ギルドに慣れつつあるマリッサと猫耳の女性レオノーラの担当。九月とはいえ天気のいい日中は暑いので、そっちの方が忙しい。
釣りには参加しない人たちのために、バーベキューは早めに焼き始めた方がいいだろうと相談し、野菜を切る――念のためにエリザベスがすべての材料にさりげなく手を触れているのだが、それに気づいて不思議に思う人はいないようだ。
忙しそうな様子を見て、とりあえず覗きに来たらしいおばちゃん二名(太めで小柄な方がマデリンで細めで長身の方がニーナだそうだ)が手伝いを申し出てくれた。ありがたく受ける。
「あんたたちいいとこのお嬢様だって話は嘘かい? そっちの若奥さんは『王太子の婚約者だった』って聞いたのに、ずいぶん手馴れてるんだねぇ」
気安い感じでそんなことを言う。
「私はまだまだだけど、エリーは手慣れてて当然ですよ。最初から逃げ出して他所に嫁ぐつもりでいたんだから。花嫁修業だって家事を中心にやってたんだもの」
リディアが笑いをかみ殺した顔で説明してくれた。
「じゃあ、噂は本当なんだね~、よっぽど若旦那に惚れこんだんだねぇ……ま、将来はいい男になりそうだけど」
「はは、確かにねぇ、あたしが二十年若かったら惚れたかも――」
「三十年じゃないのかい、はっはっは」
気の置けない会話を続けながらも手を休めないあたりはさすがだ。
「あんたたちは結婚しないのかい? いくら田舎でも、噂は立つよ――」
聞かれてリディアが困り顔になった。
「私は父がまだ反対してて――今月中には『うん』って言わせようとがんばってるんですけど」
「母親は?」
「折れてくれました」
「じゃあ、もうすぐさね」
楽しそうに笑う。
「大旦那さんもこの頃は随分穏やかになった――ダンジョンが落ち着いているんだろう、ってみんな話してるよ。息子さんが潜りっぱなしになった時はそれはそれは落ち込んで――」
「しー! その話はナシだよ! 若奥さんの前で!」
慌てて止めたマデリンの声にニーナがハッとする。
エリザベスもつかの間手を止めた――この二人はルーク伯父様のことを知っている、ってことだ。
それもそうか――馬車の護衛のお兄さんが知っているくらいなのだから、地元の人たちなら勿論知っているはず。これまではトリスタンの耳に入らないようにお祖父様が止めていたのだろう。
「若旦那は潜っていないんだから大丈夫さ――そうなんだろ?」
ニーナがおずおずと言葉を追加した。
「はい――トリスタンは。お祖父様も、子どもが三人できるまではダメだって」
住民ギルドの面々と炭を運んでいるトリスタンの方を見やる――楽しそうだ。
「ああ、そうだろうねぇ。セリーナは本当に気の毒だったよ。成人したら結婚するって話になってたのに……」
マデリンの気の毒そうな声にニーナが何度も頷いた。




