142. 子どもの魅力
「え? ええ? えええ!?」
ガバ、と起きあがれば、燦燦と降り注ぐ日の光――って、今、何時!?
「寝過ごしたっ!?」
もちろん隣にトリスタンの姿はなくて。
それも、なんで――!?
大急ぎで身支度を整えてから降りて行くと、応接室にリディアとロランだけがいた。他のみんなの姿はない。
二人は仲良く布のボールで遊んでいた。
「おはよう、リディア、ロラン――ごめんなさい、寝過ごしちゃった!」
「エリー! おはよう、体調はどう? すごく疲れてるみたいだし、よく寝てるから起こすな、ってトリスタンが言ってたわ」
しまった、だ。妻なのに。
「ごめんなさい――昨夜遅くにちょっと呪いの解呪をしたせいで――って、でも、そんなに大変じゃなかったし、今は元気だし、いつもなら朝には普通に起きられるのに――トリスタン、何か言ってた?」
どうなってるんだろう。
「ううん、そこは特に何も――でも、なんか疲れてたかも」
「昨夜、帰りが遅かったからかな――私が寝た時にはまだ帰ってなくて、それだってかなり遅い時間だったはずなんだけど」
「だよね――私も顔を見た時は寝不足なのかな、って思った……」
私が『もらった魔力を融和させる時間のぶんだけ寝過ごした』ってことなら、『明け方に帰って来た』ってことだろうか。それともトリスタン自身の魔力がものすごく減っていたとか――そう考えたら心配になって来た。
「お昼ごはん、どうするつもりか聞いてる? トリスタンが疲れてるみたいだったならなおさら、私、今からお弁当を作って届ける――」
「それもいらないって。大変だろうから今日は職場のみんなでラグドルさんのとこに食べに行く、って言ってたわ」
急いでエプロンの紐を結んでいた手が止まった。
それは、残念……。
「そっか……レイラとロイドは?」
「レイラは庭の菩提樹の上で昼寝よ。ロイドは畑ですって、今日は朝から随分元気そうに見えた。そのせいかロランもすごくいい感じなの」
それはよかった。少しは吹っ切れたんだといい――。
役に立てた、かな。
「この話題でその顔ってことは、昨夜の解呪はロイドだったのね?」
ロランにボールを転がしてやりながらリディアが笑う。
「そうなの……それにたぶんロランもまとめて二人。奴隷制があるって本当に大変なんだな、って思ったわ。――ここが奴隷制のほぼない国で本当によかった」
「ロランもなの? 今までの抱っこは解呪とは違ったの?」
走り回るロランはボールを追いかけてはくれるけれど、もちろん持ってきたりはしない。
捕まえて咥える。振り回す。飛びかかる。時々見失う。リディアが拾って投げてやる。
「うん。今までは解呪のつもりで触ってなかったから――商人に捕まったことが怖かったんだろうな、って思ってたし、怖い夢を見なくなりますように、ってだけで――でも、もっと、根が深かったみたいなの」
「そうなの――でも、じゃあよかったわね。それならそのせいだったのね――ロランってば本当に凄いのよ、今日はね、なんと――ロラン、やって見せて!」
ボールを両手と口で捕まえたロランがリディアを見て、にっこり笑った――尻尾がぱたりと揺れる。
ポンと、ボールを手放して。
「リディ!」
明るくて元気のいい声だった。
周囲の空気まで明るくなったような。
「えええ~! ロラン、今喋ったの!?」
エリザベスの驚きの声に、ロランは得意そうな顔になった。尻尾がまたぱたり、と揺れる。
「わ! 今、きゅん♡ ってなった! なに今の、かわいい~♡」
「でしょでしょ~、名前はさっき呼んでくれたんだよ! もう、めちゃくちゃかわいいよね~♡」
もっとおとなしい子なのかと思っていたけれど、表情がずっと明るくなったこともあり、とても活発そうだ。
「リディア、ずる~い! ロラン、私も私も! 『エリー』って呼んで! ね、『エリー』だよ、『エ・リ・ー』」
ロランが嬉しそうに笑った。
とことこと歩いてきて、見上げる。
「エリー! わかる。パパ……たすけてくれた。ぼくも。ありがと!」
「「……!!」」
おもわずリディアと顔を見合わせた。
パタパタ、と短い尻尾が揺れる。折れたこげ茶の耳、ふわふわのベージュの髪。
はわわ~。
一気に空間が和らいだ。
「どういたしまして~♡ なにこれ、なにこれ! ロランったら、こんなに喋れたんだ! すっごくかわいいんだけど♡」
「ホントだ~! エリー、これは……危険物だよ! ピュアな攻撃力がすさまじい♡」
「これ見たら絶対欲しくなるよね、どうしようリディア、この子、攫われないように気をつけないと」
「だよね! だけど――だけど私が既に欲しいよ~!」
「私も欲しい~。ペットじゃないのはわかるけど、むちゃくちゃかわいいよ~!」
またボールで遊び始めたロランを二人で見つめた。
軽く唸りながら咥えてぶんぶん振ってみたり、両手で放り投げたりしてまた飛びつく。
本人はやりたいようにやっているだけなのかもしれないけど、すごくかわいいし、癒される。
無心に遊べるって、最高だ。
「子どもかあ……いいなぁ」
リディアがぼそっと呟いた。
「ホントいいよね……私も『トリスタンみたいなまっ黒い髪の男の子が欲しいな~』ってロランを見るたびに妄想してる。きっとかわいいんだろうな~」
エリザベスも同じように呟く。
リディアが音を立てずに笑った。
「妄想じゃなくて現実にしちゃえばいいじゃない。夫婦なんだし」
「そう、なんだけど……」
エリザベスの躊躇う言葉に、リディアは楽しそうに続けた。
「まあ、どっちに似るかはわからないけど、どっちに似てもかわいいわよ、絶対」
「……そこじゃなくて……あのね、トリスタンは、子どもができるのは自分が本来の成人年齢以降――十八歳になってからの方がいい、って考えてるみたいで。ほら、今子どもができたら、将来的にはトリスタンが十八歳になってすぐに生まれた子どもだっていう記録が残るでしょう? トリスタンはもう飛び級で卒業してるけど――子どものためには、あんまり外聞がよくないんじゃないか、って。私のことも――きちんと手順を踏んでお父様に許可を、って。醜聞も――今のところは、そのままだし。
そういうことまで――つまり自分たちのことだけじゃなくて、私や子どもの将来のことまで――考えてくれるのは嬉しいの……」
エリザベスの声が尻すぼみに消えて。
「……つまり、後ろには『でも』が続くのね?」
にっこり笑った表情は、リディアもきっと同じ考えなんだと思う。
「そうなの……あんまり、気にしなくてもいいんじゃなかなって、実はそうも思ってる……」
なんとなく、二人で照れ笑い。
似たような立場の者同士、考えることだって似ているのだ。
「リディアのお父様とお母様は、なんて?」
「お父様には『本当にいいのか、後悔しないのか』って、これまで百回くらい聞かれたわ。全部『しない』って返したけど、まだ許可してくれないの。お母様は『あなたは社交界向きじゃないから、後悔しない、って言い切るならいいと思うわ』って言ってくれた。
だから妹に、私が「九月中に許可してくれなかったら初孫は抱かせない」って言ってるわよ、って言ってみて、って頼んだところ。たぶんこれで折れると思うわ」
リディアと二人、今度は声を出して笑った。




