140. プチモヤモヤと、解呪
うむむ。
ロランってとってもかわいいのよね――ロイドの尖ったベージュの犬耳とは違って半分寝てるごげ茶色の耳――すごく柔らかいし、耳より色の薄い髪の毛もすごく柔らかくてふわふわで、ほっぺもふっくら――してきたのはモリモリとご飯を食べているからだけど。
抱っこされて寝るのが大好き――なのはよくわかる。四六時中くっつかれているのだから。
すごく甘えん坊だ。
ロランはロイドがいない時はエリザベスにピッタリくっついて離れようとしない。
リディアやマリーとはシュヘル邸に来て三日目にしてようやく短時間遊ぶようになった。
トリスタンが苦手で、ナイジェルにも少しビクビクしていて、時々うなされて飛び起きて火が付いたように泣く――そんなときはもうロイドにもどうしようもないみたいで、エリザベスでないとダメだ。
懐かれた、なんてレベルじゃない。親代わりとして刷り込みされたみたいだ。
それに、そういう時に抱っこをすると、少しだけ魔力を抜かれる感覚がある。
傷ついて、癒しを求めているのはたぶん身体じゃなくて心――涙でぐしゃぐしゃの顔を柔らかい布で吹いて、ゆっくり髪の毛を撫でてやる。額にキスをして歌を歌って――安心して眠るまで。
時には夜中のこともある。ロイドは「わざわざ起きて来なくていい」とひどく恐縮した様子で言ってくれるけれど、「泣き声がうるさいせいで起きているわけではないから気にしなくていい」と伝えた。
呼ばれている感覚があるからわかるだけだ。
助けて、っていうあの感覚――心が壊れそうな痛みと不安――あれを無視することなんてできない。
それにエリザベスは、ロランがいることでちょっと救われてもいた。
ふう。
音を立てて息を吐く。
ちょっと、減ってる気がするんだよね――トリスタンとの、触れ合いが。
いや、実際はそんなに減ったわけじゃない。
でも、減ってる『気がする』。
トリスタン自身がエリザベスといる時間は(睡眠時間を除けば)そんなに減ってない。
だけど、夜中や早朝の『狩りの練習』と『夜泣きしたロランの寝かしつけ』のぶんは離れている時間が増えた。
起きて会っている時間はそんなに減っていないのにどうして減った気がするのかというと――会話の内容が変わったせい、だと思う。
トリスタンの発言にレイラの名前が増えたし、自分が話す内容にはロイドとロランのことが増えた――それは当然だってわかるけど、わかるけど、なんか。
なんかさ、もっとゆーっくり一緒にいられる時間が……欲しいな、なんて思ってしまうのは、わがままだろうか。わがままだよね、うん。
この前あんなに幸せだって思ったばっかりなんだから。
だけど、甘えん坊のロランがいるぶんエリザベスは簡単には外を出歩けなくなったし、治療院にいる時間も減った。
ハンナさんは来なくても大丈夫だって言ってくれているし、薬の錬成は家でもできるから仕事に関してはそれでいいんだけど――。
外に出る用事はほぼ全てロイドがやってくれるし、楽ではあるんだけど――。
お昼休みにトリスタンの職場に顔を出すとかの、ちょっとした触れ合いも減ったわけで。
短い時間だったしそんなに頻繁に会っていたわけじゃないけど――。
ちょっと……いやけっこう寂しい。「夜中の寝かしつけで睡眠時間が減ってるんだからその分家で休めるときに休めばいいよ」って言ってくれるのはありがたいんだけど、さ。
自分が抱えているのが自分たちの子どもだったらどんなかな~、なんて気の早い妄想をして、しょうもないもやもやをやり過ごす。
その日の夜も、そうだった。
悲しい声に目を覚ますと、カーテンの隙間、窓から差し込むのは月明り。
隣にトリスタンはいなくて――今日は深夜の狩りだから。
あまり遅くならないといいんだけど、って思いながらナイトウェアの上にガウンを羽織って起き出した。
階下に降りると、ロランを抱いたロイドは応接室(一番日当たりがいいので、置いてあった家具をどかして柔らかい布張りのソファだけを三つ置き、絨毯も半分剥がしてロランが好きな方で遊べるようにしてある)で、小さな声で子守唄を歌いながらうろうろしていた。
育児は大変だなぁ。
出入り口のドアを軽く叩く。
そこに立っているエリザベスに気づくと、ロイドは目を伏せて耳を倒した。
「すみません。また起こしてしまって――」
「いいのよ、そんなこと――かして。私が抱くから――おいでロラン。大丈夫、もう怖くないわよ――。ロイド、寝ていていいわよ。あなたは昼にずっと働いてるんだから――ちゃんと休憩してって言ってるのに、働きすぎよ? 夜くらいちゃんと寝た方がいいわ」
涙の子どもを抱きとると、ロランはすりすりとエリザベスの胸もとに頭を擦り付けて、小さく息を吐いて目をつむった。
「大丈夫よ――ね、もう怖くない――ここは安全だから――トリスタンや伯父様やお祖父様が領地ごとみ~んな守ってくれてる。怖い人はいないわ」
ロイドは頭を下げて一歩退いた。
でも、部屋に下がろうとはしない。
「すみません」
その場でもう一度謝った。
「子どもはみんな泣くものよ――あなたのせいじゃないわ、悪いのはあの商人でしょ? ちゃんと眠ったら連れて行くから、あなたは休んで。気にしなくていいから」
「いえ、でも――ロランは私の息子ですから――」
この犬系の亜人は本当に律儀で控え目だ。
「それはわかってる。大丈夫よ? 取り上げようとかそういうつもりでいるわけじゃないから――」
「とんでもない――エリザベス――さんがそういうつもりでいないことくらいわかっています!」
慌てたように上げた顔に笑いかけた。
「――冗談よ。でも、本当に気にしなくていいのよ? ロランも日中はあまり泣かなくなってきてるし、じきに落ちつくわ」
ロランを抱えたままソファに座ると、ロイドは部屋には戻らずエリザベスの向かいに腰掛けた。
やっぱり律儀にロランがちゃんと眠るまで付き合うつもりらしい。
そんなに頑張らなくてもいいのに――そんなエリザベスの内面は顔に出たらしい。
ロイドも苦笑だ。
「一度躾けられると、なかなか抜けないんですよ――私たちは」
?
首を傾げたエリザベスに話す声は穏やかだった。
「前の主人です――絶対服従するようにと――それでも我慢できないことはありますが。あなたが私に言うことは、私にはとても不思議だ。命令ではないし、要求でさえない」
本当にわからない、といった様子に、エリザベスも眉を寄せる。
「ロランのこともそうです。夜中に起こされたのに、うるさいと怒鳴りもしないし、叩くこともない。まったく躾けようとしていない。ひたすらかわいがって――そうやって心配して、守って――あなたも、トリスタン、も――まるで対等な――友人のように、名前で呼ぶように、と」
だんだん言葉か途切れて、止まった。
「そもそもが対等なのよ?」
ロイドにはそれがとても不思議なことらしい。
「奴隷ではない、というのならそうかもしれない――だが、この国にも身分はある。シュヘル家は男爵位、と聞きました。この領地を統べる家なのでしょう?」
「国民がいない国なんて成りたたないわ。領民がいない領地も。みんながいるから、成り立つのよ。守るのは当然だわ」
納得のいかない顔に言葉を続ける。
「そこに領主としての損得勘定がないわけじゃないのよ? ここにいたいって思ってもらえなければみんないなくなっちゃう――それか引きずり降ろされるとか。専制君主制は怖いのよ――歴史上君主や領主の挿げ替えが起こらなかった領地なんてない。だけどここにはダンジョンがあるから――領主の挿げ替えが利かない土地なら猶更、その地位に胡坐をかくわけにはいかないわ。でしょう?」
ロイドは、しばし考える様子で床を見つめ、それからゆっくりと口を開いた。
「平民なんていくらでも代わりがいる――でしょう? それが奴隷なら猶更」
その言葉に笑い出したエリザべスを、ロイドは不思議そうに見つめた。
「……ロイド、あなたの代わりなんて――どこにいるっていうの?」
周りをくるりと見回す。
「それは――」
当然代わりなんていない。いないのに、ロイドはそれでも納得のいかない顔だ。
「手を貸して」
「え?」
「呪いを解いてあげる――あの時は首輪の呪いを外して体調を確認しただけだったから――ロランにはバレちゃったんだけど。でも、解呪が必要なのはロランだけじゃなかったのね――お祖父様ったら、教えてくれればいいのに――その『躾け』ってやつ。絶対ろくでもない呪いの類だわ。ロランを抱いていてちょうだい――もし私がここで寝たら、毛布か何かかけて――トリスタンが来てくれるまでそのままにしておいていいから」
座ったままのロイドにロランを手渡す。
「本当は奥様がいてくれたら一番安心なんだけど――ロランを絶対離さないでね? こっちに手を貸して」
「エリザベス――?」
戸惑いながらも差し出したロイドの右手と眠ったままのロランの右手を両手に取って、額に押し当てて目を閉じ、静かに祈る。
この親子が、過去に囚われすぎることなく、しあわせな人生を送れますように。
怯えず、笑顔で暮らせますように。
いつかまた、奥さんに――ロランの母親に会えますように。




