138. 犬と猫
就業時間終了きっかりにギルドを出てシュヘル邸に戻った。
歩いて行く道々、やっぱり黒豹は注目の的で、大抵の住民は怖がっているような目を向けてくる。
「みんながこの反応ってことは、あなた、街中ではずっとその姿で過ごしてきたのね?」
「ああ、そうだ。俺はもともと亜人じゃなくて人だし――黒豹でいる理由がないときは変身しない。住民を怖がらせたくないし、魔獣だと思われて狩られたくないし――ここには結構冒険者がいるだろ?」
すれ違う人たちの視線には、あきらかに獲物かどうか考えているようなやつがちらほら交じっている。
「『ミミズクと黒豹にしか見えない亜人が滞在しているから、その二種類に関しては当面狩らないように』と各ギルドにも連絡はしてもらったけれど、知らせが行き渡るまで、当面は注意が必要だ。一人歩きは控えてくれよ……あっちも控えてくれるといいんだけど」
レイラが亜人なら、おそらくあのミミズクは人間――仮登録もしなかったし、ずっとあのままでいるってことはおそらくかなりの『訳あり』か、すぐに出て行くつもりなのだろうが――いずれにせよ狩られてはたまらない。
「ただいま~」
「おかえりなさ~い!」
いつものように走り出てきたエリザベスの腕には、あの子だ。
ちゃんと目を覚ましていて、真っ黒い目でこっちを見上げてる――息子もかわいいよな~なんて、そんな気の早いことをちら、と思う。
それはそれ、約四時間ぶり。抱き寄せてキスをして――って、思ったら。
「アーーー!!」
エリザベスの腕の中の子どもが大声を出して腕を突っ張った。
エリザベスの驚いた顔。
直後「どうした、ロラン!?」って声がして、外からあの犬耳の男性が走って来た。
「あ、お帰りなさい、ロイド――トリスタンが帰って来たんだけど、ロランがびっくりしたみたい」
「ああ――お帰りなさい……あ~」
「トリスタン、よ。本当に名前で呼んで大丈夫だから――私たち、奴隷を持ったんじゃないわ。あなたは働いてくれてる、私たちはその支払いとして宿泊場所と食事を提供する。関係は平等よ」
「あ――その……」
「私はエリザベス、それでいいから。エリー、でもいいわよ? その方が呼びやすいわよね」
そう言いながらロランという名前らしいその子どもを犬耳の男性に手渡す。子どもはちょっとぐずって――よっぽどエリザベスのことが気に入ったらしい――それでも父親の腕の中におさまった。
「お帰りなさい、トリスタン。みんなもう帰ってるから、すぐ食事にできるわ――その黒豹さんもうちに来ることになったの?」
「ああ、うん――。名前はレイラ、だって」
これは、ただいまのキスをし損ねた感じだな。
そんなことを思いながら、傍らの黒豹の名前を告げた。
「レイラ? 女の子なのね? 素敵な名前――いいな~。よろしくね、私はエリザベスよ。エリーって呼ばれて――ここではあんまり呼ばれてないけど」
「はい、よろしくお願いします! がんばります!」
「わ! 喋れるのね~! ますますトリスタンみたい! だけど、がんばる、って? 何を?」
エリザベスが首を傾げたところで、奥からリディアの声が響いた。
「エリー、みんな来たんなら玄関先で固まっていないで夕ご飯にしよう~!」
それもそうだ。
食堂に移動しながら後見人の話をすると、やっぱりエリザベスは即座に引き受けてくれて、「レイラの仕事として当面黒豹状態での狩りのやり方を習うことになった」と説明すると面白そうに笑ってからちょっとだけ眉を寄せた。
「ギルドの仕事と両立するの? 時間が大変にならない?」
「そう長い間のことじゃないよ。ちゃんとした仕事が見つかるまでのつなぎ。それに狩りは日中より夜がいいんだって――寝る前に二時間とか、明け方に二時間とか――そういうやり方でやってみて、調整するよ。休みの日ならピクニックみたいにしてリジーも一緒に出てもいいし。あと、彼女は基本夜型だそうだから、夜中は家の周りを見回ってくれるそうだよ。ネズミや土竜退治が得意だって」
まあ、見回りって言っても、この家を襲うようなやつはまずいない。俺もジジイもエリザベスの安全については絶対手を抜かないし。
だけど、エリザベスは心配そうにまた眉を寄せた。
「十五歳なんでしょ? 女の子だし、夜に家の周りって危険じゃない――」
「大丈夫です。あたし、黒豹だし。夜目も利くから、大抵の敵は返り討ちよ。それに家事とかって、苦手なの」
「覚えたいなら教えるわよ?」
レイラが小さく首を振る。
「できるだけ人の形にはなりたくないんだってさ。食事も生肉の方がいいって」
「そうなの? ――じゃあ、保冷庫を見てもらった方がいいわね。一緒に来て何がいいか選んで? どれでもいいから。ご飯にしましょ」
「え、でも――先払いになっちゃうでしょう?」
レイラが驚いた顔をして聞いた。
「え?」
「今もらったら、今夜の夕食の分が先払いになっちゃう。でしょう?」
エリザベスがきょとんとした顔になって、それから「気にしなくていいのよ」と微笑む。
亜人っていうのは随分律義な人たちらしい。それとも人によるのだろうか。
こっちを振り仰いだレイラに頷いてからトリスタンも言葉を追加した。
「帰って来たあとでまた準備するより楽だからそのほうがいいんだよ。どうしても気になるなら夕飯の後で少し出ようか。食事の後でレイラの使う部屋を決めて、休憩してから行こう。だけど今日は初日だし、軽くで頼むよ」
「はい!」
いい返事だ。
そしてナイジェルとリディアと四人だった食卓が七人分になって一気に賑やかに――とはならなかった。
レイラはダイニングの入り口でぴたりと足を止めた。
「どうしたの? ――キッチンはこっち――ダイニングを抜けて行った方が近いのよ」
促すエリザベスの声に小さく首を横に振った。
「あの、えっと、あたし、食事は外で――それに一人でいいので――」
そう言って後ずさる。
「え!? 一人だけ食材が生だとか、そういうことなら気にしなくていいのよ?」
エリザベスが問いかけると、レイラはおろおろとした様子のまま、それでもまたじりじりと後ずさった。
「あの、そうじゃなくて、ええっと――たぶん、凄く行儀が悪いことになるし、落ち着かないから……ごめんなさい」
「なんだ、もう一人増えたのか?」
戸口のレイラに目を留めたナイジェルがちょっと呆れた声で言って一歩近づいた。
その途端に――レイラは背中の毛を逆立てて飛び退いた。
「「「え!?」」」
その行動にみんなが驚いた顔になる――。
響くのは小さな唸り声。それはレイラだ。
どういうことだ? と思っていたら、犬耳のロイドが控え目な声で答えを出した。
「……ナイジェルさんは、私たちの――つまりこっち側でしょう? それにかなり力もある。だから近寄りがたいんだと思います。レイラさんはシュヘル卿のこともずいぶん怖がっていたから、敏感なんだと思います。それに彼女は猫科ですし」
猫科――? まあ、そういうことなら、ナイジェルは狼の呪いを受けてるし、犬系なのかもしれないけど――今は人にしか見えないのに。
ナイジェルもびっくり顔になった。
「ええ? 俺!? トリスタンの祖父さんならわかるぞ。だけど俺はあんな恐ろしいもんじゃないつもり――だって人間だぞ? その子は亜人なんだろ、普通に俺より強かったりするんじゃないのか?」
ナイジェルの驚き顔だけでなく、ロイドも驚きの顔になる。
「いや、だけど、その気配は――私たちの種では最強種でしょう――? 亜人じゃなくて人間なんですか? 本当に?」
「ちょっと変わったとこはあるけど人間だよ――それに俺も本当に「さん」はいらないって――むしろ俺がつけたいんだよ、年下だし。だけど、そっか――そういうのがわかるのか。亜人ってすごいな」
感心したように何度も頷く。
「何? どういうこと? ナイジェルがどうしてロイド側だなんて――」
エリザベスが右へ左へと顔を向けながら聞く。ナイジェルがもらったダンジョンの呪いのことを聞かされていなかったらしい。
見上げられたナイジェルはちょっときまり悪そうに鼻の頭をかいた。
「ちょっと、便利な呪いをもらったから有効活用中なんだ――」
途端にエリザベスが目を見開いた。
「ナイジェル!? それって、大丈夫なの? 解呪が必要なら――」
「ないない!! ないから! 大丈夫だし――本当に有効活用中――いらないと思ったら相談するから! そんなふうに心配させると思って、ちゃんと使えるかどうか試してるうちはエリーには黙っていようって思ってたんだよ。だけど、リディアには話してあるし、祖父さんも知ってるから」
ナイジェルが両手を振って説明すると、エリザベスは眉を寄せてリディアを見た。
リディアがその通りだと笑って見せる。
「大丈夫よ、最初は落ち着かない感じがあったけど、このごろ慣れてきたみたいで本当に困ってないわ。来年の夏になったらちょっと暑いかもしれないけど、これからはどんどん涼しくなって冬になるだけだし」
「そう――なら、いいんだけど……レイラ、一緒に食事は無理そうなの?」
背中の毛は立ったままだけど、唸り声はとりあえず止んだ。。
「たぶん唸っちゃうし――あの、食事時は特に、縄張り意識が働くから――一人の方がいいです」
「じゃあ、俺が一緒に――」
トリスタンが言いかけたとき。
「私たちをレイラさんと一緒に別室にしてください」
ロイドが落ち着いた声で言った。




