135. 黒豹の名前
「俺は人間――この変身するやつは魔法だよ。君は、人?」
木肌に爪の痕を残しながらゆっくりと降りてきた黒豹に聞く。
「ううん。亜人――前はもっと人っぽい格好をしていたんだけど、気がついたらこの姿でほぼ固定されてたの。この方が強いし、早く走れるからそれはいいんだけど。でも――捕まえられてからは口もきけなかったはずなんだけど」
首を傾げる様子がかわいい。
それならたぶんエリザベスだ。さっき触ったときに何かしたのだろう。ジジイが『触ってやれ』って言ってたし、俺に『早く帰れ』とも――緊急ではなくても、あの衝立の中で、何かしら魔力を使うようなことがあった、ってことだ。
「それもたぶん魔法の一種だよ。調子の悪いところを治したんだと思うけど――黙っておいてくれるかな。あのジジイが他言無用って言ってただろ、そういうことも含めてだと思うんだ」
祖父のことに触れると、ぎくりと一瞬固まった。それからぶるりと体を震わせて首も振る。
「わかった。話さない――ところであなた、本当に人間? すごく違和感がない」
褒められた、と思っていいんだろうな。
「年季が入ってるからかな? なんだかんだでもう十年は黒豹やってるし――最初の五年はほとんどこれでいたから」
驚いたらしくて、目が大きくなる。
「……あなたも『訳あり』なのね?」
「まあ、そうだね。今はもう大丈夫だけど」
今は黒豹だからどれだけ表情がわかるかは不明だけど、とりあえず苦笑して見せた。
「……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。大きくなったし」
「そうじゃなくて……あの人――っていうか、人なの? あれが『祖父』で、『領主見習い』って言ってたでしょ? つまり――あれが二つ前の『領主』なんでしょう? 一つ前の領主はどうなったの?」
ああ、心配なのは妖怪ジジイのことか。
「俺の母親があのジジイの娘で、ひとつ前の領主は伯父――って、そういう話なら、食事でもしながら――そうだ、食事は生肉派?」
さっきは答えてもらえなかったけど、喋れるってわかったんだし。
「できれば生の方が好きよ――特に今はこの姿だし。だけど人の集まるところには行きたくないの」
なるほど。確かに黒豹の時は自分もレアを好むよな――そういえばナイジェルも……仲間が増えたな。
そう考えるとちょっと楽しい。
「生き餌じゃなくてもいい? もらってくる。大丈夫。リジーがすぐに準備してくれるから。ちょっとそこの――藪のあたりに隠れて待っててくれる? あ、名前――何?」
「レイラ」
「じゃ、レイラ。待ってて」
小走りで食堂の近くまで移動して、トリスタンに戻った。
「リジー! ラグドルさん! どっちかいるか?」
「おう! どうした?」
ドアを開けながら声をかけると、昼食には遅めの時間なのに相変わらずの繁盛ぶり。
カウンターの奥から店主が首を伸ばした。
「残りの一人の分――生肉で。鶏を丸ごとで二羽くれ。あと、俺の分は包んで。外で食べるから」
「お前が一羽か? 祖父さんに似てきたな」
そう言いながら豪快に笑う。
ナイトでなら生の鶏も食べられないことはないかもしれないけど……食べたくない。それに丸ごとはないだろう。俺が黒豹になるって知らないんだし。
さらに加えて、あの妖怪ジジイも生肉は食べない――ハズだ。
この店主はジョナサンが帰った後から頻繁にからかってくるようになった。そのせいで住民たちとの距離がだいぶ縮んだのはいいんだけど。
一応じろりと睨み返す。
「俺は普通のやつ――リジーは?」
「子守りだ」ちょっと声を低くする。「見ろよ、絶対いい母親になるぞ?」
手早く一人分の昼食を包みながら顎で示した先には――窓際の椅子に座って、抱っこした獣耳の男の子の頭を静かに撫でるエリザベス――子守歌でも歌っているのか、唇が静かに動いている。
柔らかく射しこむ初秋の日差しがぼんやりと明るい。
なんだ、あれ。
そこだけまわりの喧騒が届かないような――あの空間。
もう、まんま聖女じゃん――絵にして飾りたい。
胸に抱かれた子どもの寝顔も、馬車で見た時のような感情のない顔じゃない。
安心しきって、しあわせに。
と、その子どもが小さく顔を動かした――すりすり、ってお前、それエリザベスの胸――!!
おもいきり引き剥がしてやりたくなったところに、笑いを含んだ声が飛んで来た。
「妬くなよ? あんな小さいの相手に」
「妬かねえよ! さっさと鶏をよこせ!」
くそ。
弁当の包みと毛を毟った生の鶏が二羽入った袋を受け取って外に出ると、店の中から店主の大笑いが聞こえてきた。
くそ。
気を取り直して店から離れると、人目のないところで黒豹に変わる。
袋を咥えて走り出せば、あっという間にレイラを置いて来た茂みに着いた。
「レイラ? お昼ごはんもらってきたから、もうちょっと山の方に移動しよう」
さっきの自分がやったみたいに茂みからにゅっと黒豹の頭が出て、ドキッとした。
――あ~、まあ、確かにびっくりするよな、肉食獣だし。
それなりに小高い、近くの丘に登って食事にすることにした。
「食べる間、人に戻ってもいいか? 俺のは人間用だしこのままだと食べにくいから」
「ほうほ~」
袋から出した鶏に噛みついた状態でレイラが答えた。『どうぞ~』かな。よっぽどお腹が空いていたらしく、バリリバリリと音を立てて骨を噛み砕く音が響く。
今さらかもしれないけど、すごい迫力だな。
トリスタンに戻って自分の分のサンドイッチ(ボリューム満点のやつ)を手に持ったままその力強さに見とれていると、あっという間に一羽分を食べ終えたレイラがちらりとこっちを見た。
「何? 欲しいの?」
「いや、顎の力が凄そうだなって思って――」
「あたし豹よ? 当然で――あなたは違うの?」
「さあ? 俺はそういう食事はしたことないから」
サンドイッチに噛みつくと、レイラは胡散くさそうな視線を向けてきた。
「あなた、何のために黒豹になったの? 夜の狩りをしたことがないの?」
「……そう言われてみれば――きっかけはナイトイーグルに襲われて、逃げるためだったけど、黒豹で狩りをしたことはないな。っていうか、狩りをしたこと自体一度もない」
レイラは今度は呆れたような顔になった。もう一羽に噛みつく。
今度はゆっくり食べるようだ。
「いい大人が狩りもできないんじゃ、いざという時困るわよ? せっかく黒豹なんだから、夜の狩りくらいできないと。悪いやつから逃げた時の自給自足は大事――逃げられなければ意味がないけど」
小さなため息。奴隷商人に捕まえられた時のことを思い出しているのかもしれない。
「レイラはハリオネス王国にいたんだろ? 馬車がリナリア方向に向かってた――わざわざ不法に国境を越えてきたってことは密輸だし――ハリオネス側に追って来てくれる主人とか――誰か迎えてくれる人がいるのか? それが優しい人なら――帰りたいと思う?」
聞いてみたら黒豹は鼻の上にしわを寄せた。
「亜人を奴隷にする国になんてごめんよ。だけど――よくわからないのよ。あたしが捕まえられたのはハリオネスに近いモルドネシアなの。みんなもそうみたい。モルドネシアでは亜人が珍しくないから――ハリオネスで売られるんだと思ったのに。
薬でぼんやりしていたから道中はよくわからないところも多かったけど、なんでナルシカ王国なの? 今回の対応を見る限り、この国の政策が変わって奴隷制を受け入れたってわけじゃないんでしょう?」
バリリ、とまた鶏の骨が砕ける音がした。
『モルドネシア』はハリオネス王国のさらに先にある国の名前だ。レイラの言葉通り国民には亜人も多い。
「君たちを捕まえた商人たちの身分証は、リナリアの奴隷商人だったよ?」
リナリア王国から見るとハリオネス王国を挟んでその奥にあるモルドネシアは遠い。そのため通常はハリオネスがモルドネシアから奴隷にする亜人を連れて来て、そのハリオネスからリナリアが仕入れている――と学院で習った。
だけど価値の高い奴隷はリナリアに入る前にハリオネスで売れてしまうので、リナリア王国に入ってくる亜人奴隷はあまり質がよくなかったりとんでもなく高価だったりするらしい。
だからあの商人たちはハリオネスを通さずに直接モルドネシアに亜人を捕まえに行ったのだろうか? だが、たかが七人程度の亜人に国を横断する旅をさせるなんて納得がいかない。檻にはまだ余裕があった。どうせならもっとたくさん捕まえて運ばないと経費が掛かり過ぎ――それに、直接仕入れたとなれば確かにハリオネス側はいい顔をしないだろうが、国境を越えさせないほどのことではないはずだ。直接仕入れようとすれば結局リナリア側に損が出る――ハリオネス側はその辺りをうまく見極めつつ、奴隷の価格を操っているのだから。
あの商人たちが独自に奴隷にする亜人を捕縛し、さらにこの国の国境を侵した理由はどこにある? ハリオネスからリナリアに直接入れない理由があったはずだ。
嫌な感じだな――。




