134. 輪を外す
直後に響いたのは――例の高笑い。
「ふぉっふぉっふぉっ。んんんんん? 一人多いな――まあ、ええか。今からのう、その呪い付きの輪を外してやる。条件が一つ。これからここで見聞きしたことは他言無用――それが誓える者だけじゃ」
それだけ言って今度は妖怪笑い――皆が今にも逃げ出さんばかりの顔つきになる。
やっと和んで来たのに妖怪ジジイのせいで台無しだ。
ナイジェルの顔まで引きつっている。
「お祖父様! 怖がらせてどうするんですか! 皆さん酷い目に遭われた方たちばかりなんですよ! からかうなら元気な人を相手にしてください!」
祖父の後ろからエリザベスの窘める声が響いて――祖父の妖怪度がちょっとだけ下がった。
「なに、余計な面倒はごめんじゃから忠告したまで――わしの言ったことの意味がわかればそれでええんじゃよ。余計な口をきかずにおとなしくしておればいいだけのことじゃ」
「またそんなことを――皆さん心配しなくても大丈夫ですからね。それにその輪が取れたら食事をしてもらえるようにちゃんと準備してありますから――あ、私、トリスタンの妻のエリザベスです」
ひょっこりと首を出して「輪を取るので一人ずつ衝立のこっち側に来ていただけますか――あ、お子さん連れの方は一緒でいいですよ。でも最後にお願いします」と、追加する。
またしても皆が驚いた顔になったのは――エリザベスが美人だからってのと、祖父をまったく怖がっていないせい、だろうな。
「あ~、祖父はあんな感じですけど、むやみに人を傷つけたりはしないので――魔法も俺よりうまいからきっとすぐに外してくれますよ」
とりあえずだけれど取り成しておく。
不安そうに顔を見合わせる人たち――困ったな。
「大丈夫ですよ。私とリディアも一緒に立ち会いますから――」
エリザベスのその一声と一緒にリディアが皆を促して、固まっていた人たちがゆっくりと衝立の方に向かい始めた。
まず一人が衝立の中に入り、たいして時間もかからないうちに出て来た。首に嵌っていた奴隷の印である金属の輪はもうない。
晴れやかな顔。
そのあとは次々だった。
出てきた人たちがさっき見ていた掲示板の前に戻ってからカウンターに向かい、自分にできそうな依頼について職員と話す。その口調もずっと明るい。
四人目があのミミズクで――出てきた時もミミズクのままだったけれど、足輪を取ってもらって自由になれて嬉しそうだった。
「飛んで行くかい? 君は追加の薬の支払いはないよね? 止めないから、好きにしていいんだよ」
そう声をかけると、オレンジ色に光る眼でじっとトリスタンを見た後で近くの椅子の背に飛び乗った。そのまま「ホー」と一声。とりあえず、すぐに出て行くつもりはないらしい。
次があの黒豹――のはずだったのだけれど、黒豹は衝立の中に入ろうとしなかった。
鼻の上にかすかに寄ったしわ。伏せた耳。その顔が示している感情は『恐怖』だとわかる。
これは、祖父がよっぽど怖かったらしい。
「大丈夫だよ」と何度声をかけても、足を突っ張って震えるだけだ。
「今日はやめておく? 外したくなったらそのときに言ってくれれば――」
黒豹がそんな様子だったので、あの親子が先に中に入った。
で、同じように輪っかは取れたけど、出てきた時にはなぜか子どもの方が――エリザベスにがっちり抱きついて――眠っていた。後ろからついてきた父親の申し訳なさそうな顔。
「リジー、どうしたんだ? それ」
エリザベスもちょっとだけ困った顔だ。
「なつかれた、みたいな感じかな……? もう一人の方はどうしたの?」
「今日は無理みたいだ。よっぽどジジイが怖いんだと思う」
背後を振り返ると、黒豹が二歩後ずさった。
その姿に初めて気づいたらしいエリザベスの目が丸くなる。
「え、黒豹さん!? わあ、本物っ!? ……じゃ、ないか、亜人さんって言ってたわよね。会話はできるの?」
「どうかな――今のところ喋らないんだ」
「そっか……食事はどうしたらいいかな――人数分と思って準備はしたんだけど、その黒豹さんとミミズクさんはもっと人っぽくはならないのかしら……」
「言葉はわかってるみたいだったけど――食事は生の肉の方がいいのかな。生き餌がいいとか言われると困るけど……どう?」
問いかけると、ミミズクは小さく首を横に振った。
やっぱりわかっているらしい。
食事は通常の人間用でいいのか。
黒豹の方はまだ怯えているようで、衝立の方を凝視したままだ。
「先にジジイを帰した方がいいみたいだ」
「そうね、あんなに怖がってるんじゃ――そうだ、トリスタン。黒豹で会ってみる、っていうのはどうかな。仲間だと思うかも――ダメかな」
「ああそっか――だけど胡散くさいって思われないかな。俺、本物じゃないし」
そんな会話をしているところにジジイが出てきた。
黒豹が壁際限界まで後ずさる。
ジジイの方はそれを嬉しそうに見つめた。
「ふぉっふぉっふぉっ。そいつは中々見どころがあるぞ――まあ、わしの方はいつでもええ、気が向いた時に外してやるでな。――エリザベス、触ってやるといい――」
「はーい。お祖父様は大丈夫ですか?」
「領地内にいる限りは魔力切れにはならんよ。ふぉっふぉっふぉっ。――トリスタン、早めに帰れよ――その小僧はだいぶ弱っておってな、エリザベスが必要じゃ。妬くなよ」
「妬くかよ! まだ小さいじゃないか」
こんな小さな子にまで嫉妬するとか、さすがにない。
また高笑いをして祖父が出て行くと、黒豹の身体からあきらかに力が抜けた。
「ええと――黒豹さん? 怪我が本当にたいしたことないかどうか、ちょっとだけ確認させてもらってもいいかしら――その首のところにちょっとだけ触らせてね?」
エリザベスがゆっくりと手を伸ばす。
幸い黒豹は抵抗することはなく、エリザベスの手が触れるとますますほっとしたように息をついた。
「うん。大丈夫みたい。よっぽどお祖父様が怖かったのね。――安心して。お祖父様はあれで外では結構無害なのよ」
ゆっくり話しかける言葉を聞きながら、黒豹がじっとエリザベスを見つめる。当然だけど、祖父の時とは大違いだ。
「これで全員無事よね? とりあえず、命にかかわるような怪我の人がいなくてよかった――あとはご飯ね」
その言葉で笑顔になったリディアがパン、と一つ手を叩いて皆の注意を引いてから明るく言う。
「じゃあ、みんなでラグドルさんのお店に移動して食事にしましょ――この一食は無料よ。だけど、元気になったんだから夜の食事の分からは労働で支払ってくださいね! 大丈夫、難しくない仕事もあるし、困ったときは何でも相談してくれればいいから」
どうやら既に仕事を受けるために仮の住民登録を終わらせた人もいるようだ。
他も総じて好意的でやる気もありそうだし、今回の出来事が大きな出費になることもないだろう。今は人手不足だし、何人かこの土地に残ってくれればプラスにだってなるかもしれない。
とりあえずは、よかった。
「リジー、俺あの黒豹とゆっくりむかうから、みんなと先に行ってくれる?」
「うん、わかった――あのね、お祖父様がこの子は暫くシュヘル邸に置いた方がいいって――すごく怖い目に遭ったみたいなの。今なら空き部屋もあるし、お薬の支払いもあるからお父さんの方も一緒に来てもらってもいいかな」
「ああ、うん。そういうことなら俺は構わないよ――じゃあ、後で」
「うん」
犬耳付きの同居人が増えるのは楽しいかもしれない――そんなことを考えながら皆を見送って黒豹に声をかける。
「すぐにご飯にしないで少し辺りを見て回ろうか? ここが安全な場所だってわかればちょっとは安心できるだろ? それにあのジジイは俺やリジーに危害が及ばなければ無害だよ。普段もダンジョンに行ってる以外はほとんど家から出ないし」
ギルドを後にして歩きだしては見たけれど、首に嵌ったままの金属の輪は痛々しいし、下げたままの鎖は少し重そうだ。
「もうちょっと短くしようか? それ」
聞いてみたけれど、返事はない。ただしちゃんと聞いてはいるようで、こっちを見ている。
「俺も黒豹になれるんだけど――その方がいい?」
やっぱり返事はない――けど、やってみるか。
「ちょっと待ってて――」
辺りに人の姿がないことを確認し、近くの茂みに入ってナイトになってから首だけ出してみたらものすごくびっくりしたみたいで――黒豹は二メートルくらい跳ねあがった後ですごい勢いで近くの木に登った。
木肌についた爪の痕が痛々しい。
うん。これはちょっとショックだな。
「人間でいた方がいい? だったら戻るけど――」
返事がないままなのでそのまま茂みから出てみた。
木の下まで行って見上げると、はるか上空の枝の上から金色の目が見おろしていた。
そんなに怯えなくてもいいのに。
「お~い? トリスタンだよ。さっき俺も黒豹になれるって言っただろ? 人の方がいいなら戻るけど、こっちの方がいいなら降りてきてくれない?」
反応は、ないな。
「……降りてこないってことは戻った方がいいってことでいいのか?」
諦めて茂みに戻ろうとした時だった。
「あの……あたし、降りるのは苦手なの。時間がかかるのよ。……あなたも、亜人なの?」
声が降って来た。
どうやらこの黒豹も喋れるらしい――そして彼女は『亜人』なのか。




